生きること・働くことそして経営すること~何故に日本人はやさしさを見失っているのか(たのか)~ | にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

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20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

☆人間(=社会で生きるヒト)の持つあたりまえの資質と

  私が捉えている『やさしさ』。


☆「やさしさ」は単純な言い方をすれば『助け助けられ』

 となりますし、そこからで出てくる『やさしさ』を私なりの定義

 数式的に表わしますと

    やさしさ=優しさ+易しさ

                 と、なります。


★そして、多分、日本人は「やさしさ」を特徴とすることが

 できる(デキタ?)人間集団なのだと感じてもおります。


●では・・・・

 本来の日本人が持っているはずの「やさしさ」が

 何故に見失われてしまったのか、

 日本人はどうして顕著な特徴である「やさしさ」を

 すてて?しまったのでしょうか。


●私の想いを連ねていきたいと思います。

 だたし、学問的に正しいのか、とかは問わないでください。


●あくまで私は「そう想う(そう想っている)」、このことを前提

 としてお読みいただければ、と思います。


◆私は20世紀までを「頭(=かしこさ)の時代」

  表現します。


◆「かしこさ」をチカラとして人間生活を「豊か」にしていく、


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◆産業革命の言葉に代表されるような「技術革新」の連続で

 人々の生活は20世紀、一気に豊かになっていきました。


◆正に「人間の『頭=かしこさ』」のおかげ、であった訳です。

◆そしてその豊かさとは「物的な豊かさ」。


◆物的な豊かさ・・。生きていくための「手段」としての物

 が徐々に自分のものになっていった訳です。


衣食住から始まり、それらが充足されていくと所謂、

 テクノロジーの発達による恩恵として

 洗濯機・テレビ等の電化製品、車・・・。


●人々の暮らしは物的な豊かさと比例的に豊かなものになって

 行きました。


●私なりの表現をお許しいただければ

 「今日の汗の向こうに期待するものが見えていた」のです。


●頑張って「テレビを買おう」「車を持とう」・・・


●そのために働いていた(汗を流していた)んですね。


★「目的」と「手段」が明確だった訳です。


●食べるために働く、スタートはここだった。

 これも家族全員が食べると言う目的を果たすために一生懸命に働く

 (手段)、目的が明確なんですね。


★そして・・・・世界中の国々の施策としても「自国民の物的な豊かさ」を

 実現していくために、の物差しを持っていたのです。


●長くなってしまいますので途中、割愛させていだたきますが、

 「技術革新」を武器にしての右肩上がりの状態はある意味健全だと

 私は思いますが、不健全になってしまったのは

 「頭あるいは身体・心に流す汗」とは無関係に

 「お金を手にすることができる状況」の到来にあった、

 と感じます。


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●そんな状態(一言で言ってしまえばバブル状態)が、しかも長く

 続いてしまったことで「人間の感覚・人間の『あたりまえ』」を

 みんな失してしまった、のだと思います。


●そして「勝ち組と負け組」と言ったように人間をお金・物を

 尺度として区分してしまうような状態を人間みずからが創り上げ

 てしまったのです。


★勝ち組とは解り易い言葉で言って言ってしまえばお金を含めて

 「沢山持っている人」なのでは。


間違った価値観」が醸成されてしまった」のです。


物を持つことは「目的ではあり得ない」んです

★「使うことが目的」なのに「持つことが目的」となってしまった社会。

  本来、物の価値とは「使用価値」であるはずなのに

  その価値を「所有価値」としてしまっている人間たち・・・。


★「さびしい」と感じます。


物を持つことは「何かを実現するために」手段として保持・

 保有するものなのに、「持つこと自体を目的とする」風潮に

 全世界が染まってしまっていた(いる)、と私は感じています。


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●そんな「あたりまえから外れた動き」に拍車かけたのがこれも

 人間の「頭=かしこさ」の産物である「コンピュータと通信」技術

 の発達だと思います。

IT」です。


物の所有重視状態だけで済んでいれば今のような世界的な経済

 危機になることはなかった、私の想いです。


★なぜなら、価値観の逆転があったとしてもある意味で「本来的な経済

 活動」の産物である限りは「実態があります」。


★立ち直ることが不可能なような状態にしてしまっている原因は

 「IT発達によって

 眠っていた「人間の欲望」に火をつけてしまったこと

 にある、と思うのです。


★「実」の経済から「虚(実態がない、と言う意味で)の経済」へ

 「コンピュータゲーム経済に競い合って突入して

 しまったことにあると感じ続けています。


★株取り引き・為替・証券化・投信・・・。

 ひとことで言っちゃえば「金融商品取引」は

 全世界、地域時間差なく幅広く行われておりますが、コンピュータと

 通信技術がなければ、存在することはできないビジ

 ネスではないでしょうか。


★この金融取引・ビジネスは人間が生きていくために

 必要不可欠なものだと私は位置づけられません。


★なくとも生きていくことに何ら不都合はない、と

 おもうのです。
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★ここらで『世界的に「これまで」を一度精算して」

 実業中心の地球世界に戻る』ことが大切なのでは、

 と感じ続けておりその想いは日増しに強くなってきていま

 す。


実業とは人間の「生」に連なるビジネス、でありコンピュータ

 そして革新的な通信技術がなくとも成立するビジネスのこと

 だから実業とは「生業」私はそう定義づけしたいと思います。


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●コンピュータと通信の発達は確かに人間の生活を豊かに

 してくれた、これは事実です。


★行きすぎてしまった、のです。


★人間が頭(=かしこさ)にかいた沢山の汗の結晶として

 生まれたコンピュータと通信技術は

 人間生活を豊かにしていくための手段(=道具)であるはず、

 なのです。


★人間にとっての「道具」のひとつのはずなのです。


人間が創り上げた道具に使われてしまっている、支配され

 はじめているように私は思うのですがいかがでしょうか。


◎賢い人間が考えコンピュータと通信技術を

 駆使して創り上げた金融ビジネスが

 世界を支配し、その金融ビジネスが

 より「勝ち組・負け組」を作りだし、明確にし、

 更に「身体・頭あるいは心に汗ながすことなく

 楽して儲ける、お金を手にする」習性?を

 人間自らに非常に短期間の間に埋め込んで

 しまったんだと思うのです。


ウォールストリートのデモ多くの人種を超えた人達の終結

 これもひとつの原因はここにあるのでは、と思います。

 (金融ビジネスには金持ちしか入れない、金持ちほど

 マーケットを操作?でき金持ちほど稼げる・・)



全世界が「投資ではなく投機に入ってしまった」のです。

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リーマンショックから何故に立ち上がれないのか、

私の答えは単純です。実体経済(生業経済)の破たん

ではなく人間が頭で創り上げたビジネス(言い切っ

てしまえばゲーム)の破たんであり、

実態がないからどこに手を入れて手直ししたら

いいのかは誰もわからない、ことにあると思っています。


大いなる反省を世界の全員でおこないしかるべき修正を

 全世界として行うべきなのでは、と強く感じています。


私の想う修正の方向は「実業中心のあたりまえ」

 に早く戻ること。

●実業かどうかは人間が生きていくために必要な

 ビジネスであるかどうかをものさしとして判断して

 いくことだと思います。


●人が活きていくために必要、そのために不可欠なのが

 「やさしさ」である、とも思います。


★21世紀の始まりの時、私は当時所属していた会社の社内報に

「21世紀はやさしさの世紀、21世紀は日本人の

世紀」との題で書かせてもらってもおります。


なぜ、日本の世紀なのか。理由はひとつだけ。

「やさしさ」こそが本来、日本人の誇れる資質なんだと

私が思い続けているから、です。


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本来持っているものがちょっと数十年、隠れている状態が今、とも

捉えています。


●何故隠れているのか。


●先に記させていだたきました「物的豊かさ」「楽して儲けるのが賢い人間」

「他人を差し置いても自分だけは」・・・

行きすぎた物的な豊かさ追求のたと私は考えています。


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●ごめんなさい、関係ないかも、なんですが私は「演歌のすたれ」とも

関連しているような気がずっとしています。


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●もっと日常的なのが「遊び方」の変化


●これも「コンピュータと通信技術の発達」の産物ですが

「人間性を大きく失しさせている」ことを私たち大人は

真正面から見ないといけない、と思います。

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●コンピュータゲーム。

私もはまりました初期の頃(昭和50年台入口?)の

「インベーダーゲーム」はまだ単純でいい、としても

昨今のコンピュータゲームは

「自分が勝利者となるために誰かを次々にやっつけて

 その敗者が持っていた武器を取り上げ次に進んでいく」

こんな展開になっています。


●このゲームで「他人とではなく「自分一人で」の遊び方

いつの間にか生き方になってしまい

また「他を負かして(場合によっては殺して)自分だけが

勝ち続ける、の意識」が醸成されてしまっていて

社会生活でも同じ動きをしてしまう、のではないのかと

感じるのです。

●終わりなき「もっともっとの追求」と言ってもいいのかも

 しれません。


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★やさしさを取り戻すには・・・。


★難しくはない、

 人間としてのあたりまえを失してしまっている

 のですから「人間としてのあたりまえにもどる」

 ことでいいのです。

  私はそう想い続け動き続けてきております。

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★そしてそのあたりまえとは・・。

私の信念の入り口でもあります

ヒトは単体では生きていくことのできない

      弱い動物であり、

    ヒトは生きていくために

    群れ(=社会)を形成し

  群れの中で「助け助けられ」で生きて行く」

 ことなんだと思います。


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20世紀は「頭(=かしこさ)の世紀」

21世紀を「心(=やさしさ)の世紀」に

していきたい。       (入道)

                                   置筆


(かなり長くなってしまいました。

お読みいだたきありがとうございます。)