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敵に塩を送るような、野田元首相による安倍元首相の追悼演説を読んで 

実際、安倍氏の死は、本当に残念である、なぜなら、彼に統一教会の関係について説明させることができないからである。

 

生きていればもっと安倍政治と統一教会の親和性が明らかになる一方で、安倍氏の神話性が崩れただろうに。

 

 

10月25日野田佳彦元首相によるの衆院本会議での安倍晋三元首相の追悼演説が行われ、多くの識者、立場が異なるリベラルと目される人々からも称賛の声が聞こえてきた。

 

私は、ニュースでの映像を見たのと、日経新聞の下記の報道をで全文を読んだ。

 

 

敵に塩を送るような演説であると感じた。

 

改めて、この人物(野田氏)が第2次安倍政権を導くことになった国会での安倍氏と論戦とそこでの衆議院解散が決まったのを思い出して、あの時も自民党に塩を送っていたのだったよなぁとデジャヴ(既視感)を感じずにいられなかった。

 

あー、これでは、安倍政権の負の遺産の原因について追及できなくなってしまう。

 

そのような状況は、統一教会と自民党の関係のコアな人物は安倍晋三氏であっただろうことも封印されてしまうだろう。

 

なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです。

暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません。

 

との記載は安倍氏がテロで殺されたとの認識を国会が示したこと同じである。

 

山上容疑者が民主主義の敵であるような表現に私は強く反論しかつ強烈に批判する。

 

山上容疑者が狂気に至ることになったのは、彼自身の落ち度ではなく、反社会的な統一教会という狂気の新興宗教団体とのかかわりによるのではないのか。

 

安倍氏が山上容疑者の凶弾に倒れた理由は、私は断じて日本の民主主義に対するテロだと思わないし、安倍氏は山上被告の恨みの矛先にいたのであり、安倍氏は統一教会の韓鶴子の身代わりでしかない。

 

実際、安倍氏の軽率な統一教会へのメッセージビデオを送ったこと、それを見た山上容疑者の標的となっただけである。

 

日本の民主主義の一員であるはずの山上容疑者の家族の悲惨な体験を救うべき政治家たる安倍晋三元首相がこのようなビデオメッセージを送る時点で、私は、山上の容疑者の恨みの矛先が安倍氏に向かうのは物事の道理であるとさえ感じる。つまり、因縁というものである。

 

安倍氏は北朝鮮よる拉致者の帰国と救済を呼び掛けていたが、統一教会と北朝鮮は人的関係においても経済的にも密接な関係があるのであり、そのコネを使って北朝鮮とのパイプを持っていた可能性がある。

 

テレビにおいて明らかにされた統一教会の反社会的かつ反日的な思想、高額な献金要求や霊感商法、そして、自民党と統一教会癒着、これらの問題を差し置いて、山上容疑者が行ったことがテロという行為であるなら、日本における民主主義とはなんであるのか改めて突きつけるような山上容疑者に凶行の因縁・原因を無視し、山上容疑者がそれしか選択肢がないと思わせてしまった現在の日本は、正常な民主主義政治が行えていないことを意味する。

 

にもかかわらず、安倍元首相の礼賛のごとし追悼文に多くの国民が共感するなら、山上容疑者による日本の民主主義に突きつけた凶行を単なるテロと認識し、この事件の背後にある闇を封印しかねない。

 

また、下記の部分も同意しかねる。

 

私が目の前で対峙した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、のみ込むべきことはのみ込む。冷静沈着なリアリストとして、柔軟な一面を併せ持っておられました

 

このような認識なるのはアベノミクスでのデータの改ざん、森友学園・加計学園・桜を見る会の問題で、国会での嘘100回以上も付くことで、国会の審議を妨害し、公務員の自殺まで追い込むような隠ぺい体質の政治を許すことであり、日本の民主主義の後退を直視できないでいるのはどうかと思う。

 

確固たる主義主張を持ちではなく、偏狭な家父長的世界観であり、民主主義と対峙するような思想・主義・主張の持主であった。

 

安倍氏は冷静沈着なリアリストというより単なる嘘つきでしかないだろう。

 

柔軟な一面を併せ持っておられましたのではなく、柔軟にウソつきまくっていただけでしかない。

 

立憲民主党が、安倍氏の悪政を事実を闇に葬るようなことに加担するなら、自分たちの立ち位置がどこに置くべきかさえわからくなってしまったなら、日本は翼賛的と思える方向に行くのだろう。

 

救うべき弱者が少なく、支持率として無視できると考えるなら格差の拡大と貧困化は確実に進むだろう。

 

野田氏はいつも日本をダメのほうへ導いてくれる。

 

あたかも安倍氏と対立しているようで、実際は、野田氏は安倍友であり、敵ではないのかもしれない…。

 

下記に、日経新聞の記載した野田氏の追悼演説を張り付ける。

 

 

本院議員、安倍晋三元首相は、去る7月8日、参院選候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃撃されました。搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。

享年67歳。あまりにも突然の悲劇でした。

政治家としてやり残した仕事。次の世代へと伝えたかったおもい。そして、いつか引退後に昭恵夫人と共に過ごすはずだった穏やかな日々。

すべては一瞬にして奪われました。

政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。人々の暮らしや命がかかっています。マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えている時に、後ろから襲われた無念さはいかばかりであったか。改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。

私は、生前のあなたと、政治的な立場を同じくするものではありませんでした。しかしながら、私は、前任者として、あなたに首相のバトンを渡した当人であります。

我が国の憲政史には101代64名の首相が名を連ねます。先人たちが味わってきた「重圧」と「孤独」を我が身に体したことのある一人として、あなたの非業の死を悼み、哀悼の誠をささげたい。

そうした一念のもとに、ここに、皆様のご賛同を得て、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べます。

安倍晋三さん。あなたは、昭和29年(1954年)9月、後に外相などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子様ご夫妻の次男として、東京都に生まれました。

父方の祖父は衆院議員、母方の祖父と大叔父は後の首相という政治家一族です。「幼い頃から身近に政治がある」という環境の下、公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。

成蹊大学法学部政治学科を卒業され、いったんは神戸製鋼所に勤務したあと、外相に就任していた父君の秘書官を務めながら、政治への志を確かなものとされていきました。そして、父晋太郎氏の急逝後、平成5年(1993年)、当時の山口1区から衆院選に出馬し、見事に初陣を飾られました。38歳の青年政治家の誕生であります。

私も、同期当選です。初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りを取り囲む、ひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています。そこには、フラッシュの閃光(せんこう)を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿がありました。私には、その輝きがただ、まぶしく見えるばかりでした。

その後のあなたが政治家としての階段をまたたく間に駆け上がっていったのは、周知のごとくであります。

官房副長官として北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、自民党幹事長、官房長官といった要職を若くして歴任したのち、あなたは、平成18年(2006年)9月、第90代の首相に就任されました。戦後生まれで初。齢52、最年少でした。

大きな期待を受けて船出した第1次安倍政権でしたが、翌年9月、あなたは、激務が続く中で持病を悪化させ、1年あまりで退陣を余儀なくされました。順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。「もう二度と政治的に立ち上がれないのではないか」と思い詰めた日々が続いたことでしょう。

しかし、あなたは、そこで心折れ、諦めてしまうことはありませんでした。最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、思いを寄せる雨天の友たちや地元の皆様の温かいご支援にも助けられながら、反省点を日々ノートに書きとめ、捲土(けんど)重来を期します。挫折から学ぶ力とどん底からはい上がっていく執念で、あなたは、人間として、政治家として、より大きく成長を遂げていくのであります。

かつて「再チャレンジ」という言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、その言葉を自ら実践してみせました。ここに、あなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。あなたは「諦めない」「失敗を恐れない」ということを説得力もって語れる政治家でした。若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。


党首討論する野田首相㊨と自民党の安倍総裁(12年11月、国会内)
5年の雌伏を経て平成24年(2012年)、再び自民党総裁に選ばれたあなたは、当時首相の職にあった私と、以降、国会で対峙することとなります。最も鮮烈な印象を残すのは、平成24年(2012年)11月14日の党首討論でした。

私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に、衆院の解散期日を明言しました。あなたの少し驚いたような表情。その後の丁々発止。それら一瞬一瞬を決して忘れることができません。それは、与党と野党第1党の党首同士が、互いの持てるすべてをかけた、火花散らす真剣勝負であったからです。

安倍さん。あなたは、いつの時も、手ごわい論敵でした。いや、私にとっては、かたきのような政敵でした。

攻守を代えて、第96代首相に返り咲いたあなたとの主戦場は、本会議場や予算委員会の第一委員室でした。

少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。張り詰めた緊張感。激しくぶつかり合う言葉と言葉。それは一対一の「果たし合い」の場でした。激論を交わした場面の数々が、ただ懐かしく思い起こされます。

残念ながら、再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れません。

安倍さん。あなたは議場では「闘う政治家」でしたが、国会を離れ、ひとたびかぶとを脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました。

それは、忘れもしない、平成24年(2012年)12月26日のことです。解散総選挙に敗れ敗軍の将となった私は、皇居で、あなたの親任式に、前首相として立ち会いました。

同じ党内での引き継ぎであれば談笑が絶えないであろう控室は、勝者と敗者の2人だけが同室となれば、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんの方でした。あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、「お疲れさまでした」と明るい声で話しかけてこられたのです。

「野田さんは安定感がありましたよ」

「あの『ねじれ国会』でよく頑張り抜きましたね」

「自分は5年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやって来ますよ」

温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。

その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。

残念ながら、その時の私にはあなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。でも、今なら分かる気がします。安倍さんのあの時の優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを。

第1次政権の終わりに、失意の中であなたは入院先の慶応病院から、傷ついた心と体にまさにむち打って、福田康夫新首相の親任式に駆けつけました。わずか1年で辞任を余儀なくされたことは、誇り高い政治家にとって耐え難い屈辱であったはずです。あなたもまた、絶望に沈む心で、控室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。

あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。

安倍さん。あなたには、謝らなければならないことがあります。

それは、平成24年(2012年)暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。

「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でおなかが痛くなってはダメだ」

私は、あろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前で、そんな言葉を口走ってしまいました。他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさをやゆすることは許されません。語るも恥ずかしい、大失言です。

謝罪の機会を持てぬまま、時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。いま改めて、天上のあなたに、深く、深くおわびを申し上げます。

私からバトンを引き継いだあなたは、7年8カ月あまり、首相の職責を果たし続けました。

あなたの仕事がどれだけの激務であったか。私には、よく分かります。分刻みのスケジュール。海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。容赦ない批判の言葉の刃も投げつけられます。在任中、真の意味で心休まる時などなかったはずです。

第1次政権から数え、通算在職日数3188日。延べ196の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は1187回。最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します。


所感を述べるオバマ氏(中央)と安倍氏(2016年5月、広島市中区の平和記念公園)
首脳外交の主役として特筆すべきは、あなたが全くタイプの異なる2人の米国大統領と親密な関係を取り結んだことです。理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。かたや、強烈な個性を放つドナルド・トランプ大統領の懐に飛び込んで、ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。

あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。ただ、それだけではなかった。あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。

安倍さん。あなたが後任の首相となってから、一度だけ首相公邸の一室で、ひそかにお会いしたことがありましたね。平成29年(2017年)1月20日、通常国会が召集され政府4演説が行われた夜でした。

前年に、天皇陛下の象徴としてのお務めについて「おことば」が発せられ、あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。

2人きりで、陛下の生前退位に向けた環境整備について、1時間あまり、語らいました。お互いの立場は大きく異なりましたが、腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。

そして「政争の具にしてはならない。国論を二分することのないよう、立法府の総意をつくるべきだ」という点で意見が一致したのです。国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決めきるのではなく、国会で各党が関与した形で協議を進める。それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。

私が目の前で対峙した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、のみ込むべきことはのみ込む。冷静沈着なリアリストとして、柔軟な一面を併せ持っておられました。

あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、天下国家のありようを腹蔵なく論じあっていけるのではないか。立場の違いを乗り越え、どこかに一致点を見いだせるのではないか。

以来、私は、そうした期待をずっと胸に秘めてきました。

憲政の神様、尾崎咢堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を五・一五事件の凶弾でうしないました。失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。

「人生の本舞台は常に将来に向けて在り」

安倍さん。

あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来に在ったはずではなかったのですか。

再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。

勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。

耐え難き寂寞(せきばく)の念だけが胸を締め付けます。

この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感は、いま大きな空隙となって、とどまり続けています。


衆院大阪12区補欠選挙の応援で街頭演説する安倍首相(19年4月、大阪府四條畷市)
その上で、申し上げたい。

長く国家のかじ取りに力を尽くしたあなたは、歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です。

安倍晋三とはいったい、何者であったのか。あなたがこの国にのこしたものは何だったのか。そうした「問い」だけが、いまだ中ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています。

その「答え」は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。

そうであったとしても、私はあなたのことを問い続けたい。

国の宰相としてあなたがのこした事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、言葉の限りを尽くして、問い続けたい。

問い続けなければならないのです。

なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです。

暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません。


あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかないのです。

最後に、議員各位に訴えます。

政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています。

暴力にひるまず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか。

民主主義の基である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんか。

真摯な言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱(きょうじん)なものへと育てあげていこうではありませんか。

こうした誓いこそが、マイクを握りながら、不意の凶弾にたおれた故人へ、私たち国会議員が捧げられる、何よりの追悼の誠である。

私はそう信じます。

この国のために、「重圧」と「孤独」を長く背負い、人生の本舞台へ続く道の途上で天に召された、安倍晋三元首相。

闘い続けた心優しき一人の政治家の御霊に、この決意を届け、私の追悼の言葉に代えさせていただきます。

安倍さん、どうか安らかにお眠りください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アベノコクソウにて思う事

今日、安倍元首相の国葬が日本武道館で行われた。

 

現在の日本がどんな状態であるかをよく示している。

 

国民の6割以上の人が反対とされる世論調査もある中での強行である。

 

事実、大規模な国葬反対デモが行われるていることからも国民の思いに耳を傾けることのできない政治が現在も行われ続けている。

 

7月8日の安倍元首相の死から一週間たたないうちに、「聞く力」をアピールポイントとしていた岸田文雄首相が7月14日の会見で、安倍元首相の葬儀について「この秋に国葬という形式で行うこととする」と発表し、7月22日に閣議で安倍元首相の国葬を決定してしまう。

 

その後、国費で行うのに国の最高機関である国会を差し置いて国葬を決定してしまう事に多くの人がそのおかしさを指摘していた。

 

安倍首相による政治も世論を無視し、国民が森友学園や加計学園、そして、桜を見る会の疑惑を忘れることを待つような対応しかしなかったが、今の岸田政権でも同じ対応である。

 

公正公明であるべき政治的な判断に基づく行為が特定の人脈につながるという疑惑が政治不信の原因であり、今の自民党政治の本質であるのだろう。

 

安倍氏は自民党人脈に関わる人の利益・不利益を考慮して政治を仕切っていたのだろう。その人脈の一つにカルト・統一教会が含まれることは今や疑いの余地がない。

 

が、山上容疑者はこのような政治の仕方に腹立ていたわけではない。

 

安倍元首相は統一教会との関係性から山上容疑者の統一教会への私怨の延長線上に狙撃の対象となり倒れることになる。

 

この事件によって山上容疑者は政治がどのようになるか考える余裕はなかったというようなことを事件後報じられていた。

 

山上容疑者は安倍元首相の狙撃死という結果によって政治が現在のような混とんとなることが予想できたが、それよりも、私怨を具現化させることで頭がいっぱいであったのだろう。

 

その一方、多くの国民が、1992(平成4)年8月25日に行われた統一教会合同結婚式で有名人が結婚することなどでワイドショーで連日話題となり、統一教会はカルトであり危険だという認識が当たり前であった30年前のことを忘れていた。


 

それを、山上容疑者の安倍元首相の狙撃事件がきっかけとして、寝た子を起こすように多くのメディアが騒ぎ、多くの国民が統一教会の危険性を再認識したのである。

 

このような統一教会の報道がある中、なぜか、若者が安倍元首相の国葬に賛成が多いとされる。

 

過去報じられていた統一教会の危険性は若者は関心がないか知らないためだろう。

 

また、自民党が統一教会と何らかの関係を持っていたのは、自民党国会議員379人のうち179人であると報じられている。

 

 

これまでの自民党の議員の発言からカルト統一教会との関係が清算できないと多くの人が感じているはずである。若者はどのように感じているのだろう。

 

また、国葬を行う法律的な根拠がないことを多くの人が指摘している中で、野党の要求する国会で議論が十分にされなかったことも、多くの若者は知らないと思われる。

 

にも拘らず、今日のNHKニュースで若者が安倍元首相の国葬に賛成が多いとして若者の発言を映像とともに多く放送していたが、反対意見が多い実際の世論との乖離が感じられたし、映像の若者の多くが国会での安倍首相の言動を知らず、バラエティ(例えば笑っていいとも)出演したり、SNSで芸能人と画像をアップしたりするイメージでしか安倍元首相を見ていないことが明らかだった。

 

今の日本は、誰が権力のネットワークに近いか(考え方を含め)で公権力(政治力)を実行し、そのネットワークに外れた人たちへの公的な支援を考えていないのが現在カルト自民党ではないか。

 

昔の自民党はここまでひどくはなかったと感じている。

 

菅(スガ)氏は首相の時、『自助・共助・公助』とはっきり言っているが、困窮する国民を政府が支援するのは最後であると宣言したの同じである。

 

実際、コロナで自宅待機中に亡くなる方もいた。

 

しかし、自民党人脈(支持者)の人はそれすらも支持するのである。

 

なぜなら、『自助・共助・公助』の順序の対象者は自民党人脈から外れてた人向けであると認識しているからだろう。

 

これらの事象を見て、今日、多くの人たちが国葬反対を示すデモに参加していることに共感し、支持を示します。

 

リメンバー・アベノコクソウ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エネルギー管理士試験 合否結果通知を開封

いろいろとあって、エネルギー管理士試験の合否結果通知を今日開封しました。

 

結果は以下の通り、

 

 

不合格でした。でも、科目合格2科目しています。

 

まあ、知っていましたけど、勉強したのは2科目だけですから、4科目勉強するにはボリュームが多く、あぶはち取らずになる可能性があるので、2科目に絞って勉強、予想通りの結果です。

 

公式のテキスト4科目分のボリュームは下記のような感じ、これを読み込んで理解してから、過去問をやるのですが、科目Ⅰ、Ⅱは試験時間は80分、しかし、科目Ⅲ、Ⅳは110分なので、4科目の過去問を1年分(380分=6時間20分)やり、解答解説を読み込むとなると大変だなあと思っちゃったわけです。

 

 

まだ、2年あるので残り2科目をなんとか合格させたいですね。

 

電験3種より専門的な内容になっていて、難しいと感じましたが、科目Ⅰ、科目Ⅱはまだまだ簡単な方で、科目Ⅲ、科目Ⅳはかなり専門的な内容ですので、4科目すべてを1度に合格できる人は十分な準備をしてきた人か天才肌のかもしれないですが、そこまでの時間のない凡人は手堅く2科目を合格出来れば残り二年で2科目は何とかできそうな気にもなります。

 

来年も頑張りますかね。

 

エネルギー管理士試験を受ける皆さん、電験より合格率が高いからと言って甘く見ないほうがいいかもしれませんよ。

 

 

 

 

 

 

昨日の奈良の安倍元首相へ銃撃事件は″テロ″ではない怨恨による殺人事件である

まず、私自身と安倍元首相との思想信条の違いはあるが、銃撃という形で安倍元首相が亡くなられたことは許されることではないと思っています。

改めて、哀悼の意を表明します。

 

私にとって、アベノミクス等の安倍政権で行われてきた政治は同意できず、批判の対象であり、その政治家が突然亡くなることは心に穴が開いたような、ニュースを聞いてから何度もなぜなんだろうと問いかけ、安倍元首相の死を理解しようとしました。

 

しかし、やはり、警察等の調査により事実が明らかにされ、その事実通りに受け入れるしかないと思う。

 

以上が、私に心の中での解決手段である。

 

ただ、

 

このような事件を、冷静に受け入れられず、自分の政治信条に我田引水的に誤解または利用して、日本の国をあらぬ方向にもっていきそうな言論がSNSでは目に付く。

 

まず、この事件は、まだ全貌が明らかになっていないが、現時点での報道では、以下のように報じている。

 

これまでの捜査関係者への取材で殺人未遂の疑いで現行犯逮捕された山上容疑者は警察の調べに対しある特定の宗教団体に恨みがあり、安倍元総理大臣はその宗教団体と関係があると思って狙った」という趣旨の供述をしていることがわかっています。

 

 

警察によりますと、山上容疑者は安倍元総理の政治信条への恨みではないと話しているということです。

 

 

このことから、山上容疑者は単独犯である可能性高い。

 

ネットの言論やニュースの報道では、この事件を、テロとしていることがあるが、この事件では安倍元首相しか被害にあっていない状況や山上容疑者は「政治信条への恨みではないと話していること から、テロというより怨恨による殺人である。

 

また、海外メディアではテロ(terrorism)でなく暗殺(Assassination)と報じている。

 

Shinzo Abe, former Japanese prime minister, assassinated during campaign speech
By Helen Regan, Junko Ogura and Tara John, CNN
Updated 2339 GMT (0739 HKT) July 8, 2022

 

テロは日本大百科全書を引用すると、

 

 

テロリズムとは、ある政治的目的を達成するために、暗殺、殺害、破壊、監禁や拉致(らち)による自由束縛など過酷な手段で、敵対する当事者、さらには無関係な一般市民や建造物などを攻撃し、攻撃の物理的な成果よりもそこで生ずる心理的威圧や恐怖心を通して、譲歩や抑圧などを図るものである。政治的目的をもつという意味で単なる暴力行為と異なるが、それらの目的には、政権の奪取や政権の攪乱(かくらん)・破壊、政治的・外交的優位の確立、報復、活動資金の獲得、自己宣伝などさまざまなものがある。これらテロリズムを行う主体をテロリストといい、個人から集団、あるいは政府や国家などが含まれる。[青木一能]

 

以上から、分かるように、今回の安倍元首相の殺人事件はテロと呼ぶふさわしくない。

 

下記のツイートはテロとしている

 

必死の祈りも虚しく安倍晋三元総理が凶弾に斃れました。
このテロに心から憤っています。
右の勢力に対しても、左の勢力に対しても、
いかなる対象に対してもテロを許す事はできません。
暴力によって目的を達し、
力によって相手をほろぼす野蛮国が日本であってはなりません。

— 櫻井よしこ (@YoshikoSakurai) July 8, 2022

 

もし岸田総理が被害者だったら、緊急事態宣言を出し、犯人の関係者から組織の可能性まで総力を上げて調べ上げテロリストの一網打尽の為に全力で動くだろう。安倍元総理は与党自民党の重鎮で、内政のみならず、外交では政府特使としても動く日本の最重要人物の一人だぞ。なぜテロ事案扱いにしないのか。

— 海乱鬼 (@nipponkairagi) July 9, 2022

 

選挙期間中に一国の元総理が銃撃されたのに、民主主義に対するテロ事件が起こったのに、安倍ちゃんの容態よりも、この事件で自民に同情票が集まることを懸念する左翼の皆様は、やはり人間として何か重大な欠陥を持っておられると言わざるを得ない

— つまきち (@tsumakichi1) July 8, 2022

 

散弾銃を撃つのは、「周りの人に当たっても仕方ない」と犯人が考えたってことではないか。「支持者も同罪」的な… 恐ろしいテロ。

— ナザレンコ・アンドリー🇺🇦🤝🇯🇵 (@nippon_ukuraina) July 8, 2022

 

 

小野田紀美事務所、最終日である本日も選挙活動致します。
テロには屈しない。暴力や恐怖によって民主主義の根幹である選挙活動が中断されたり、投票行動が阻害されたりする事があってはならない。私達は最後まで選挙戦を戦い抜きます。皆様もどうか、こんな時にと思わず投票に行って下さい。 https://t.co/xmr8gCd1jE

 

 

 

上記の人たちは保守寄りの人たちである。テロと思った人々には左翼の人たちもいる。

 

この事件をテロとして解釈が当たり前となることを憂慮する。

 

なぜなら、この事件は怨恨による殺人であり、これにテロとして過剰に恐怖を感じることはない、なぜなら、我々国民や特定の政治団体に対する何らかの譲歩や政治的駆け引きを容疑者が求めたものでなく容疑者が抵抗せずに捕まったことも、事件的には解決もしくは収束するもので、模倣犯のリスクがあるものの、犯人が再度事件を起こすことはできないからだ。

 

むしろ、この事件が、なぜか、テロであるという日本人の共通認識ができることのほうが、我々の思考が、正しくないほう進み、もしくは、政治利用されてしまうリスクがある。

 

安倍元首相には熱狂的な支持者が多く、彼らにとって、安倍元首相の死を正しく認識することは大事であるが、感情がそれをなかなかできずにいるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山本太郎氏「れいわ新選組の経済政策はMMTではない」MMTはほぼアベノミクス

まず、以前書いたブログのリンクを張り付ける。

 

 

 

 

なぜ山本太郎氏は彼の主張している内容がMMT(現代貨幣理論)とほぼ同一の内容であるにもかかわらず、それを否定するのか不可解である。

 

MMT(現代貨幣理論)はWikipediaでは下記のように記載されている

 

 

 

現代貨幣理論(げんだいかへいりろん、英語: Modern Monetary Theory, Modern Money Theory、略称:MMT)とは、ケインズ経済学・ポストケインズ派経済学の流れを汲むマクロ経済学理論の一つである。

変動相場制で自国通貨を有している国家の政府は通貨発行で支出可能なため、税収や自国通貨建ての政府債務ではなく、インフレを尊重した供給制約に基づく財政規律が必要であるという主張をしている。MMTはその名の通り現代の貨幣についての理論が支柱となっている。管理通貨制度に伴う政府の通貨発行権に焦点を当て、政府が法定通貨での納税義務を国民や企業に課すことによって、法定通貨に納税手段として基盤的な価値が付与されて流通するという表券主義が基軸である。

 

分かりずらいので説明しなおすと

自国通貨建ての国債発行はデフォルトしない(通貨発行により返済できるため)とされ、だから、デフレの状況であれば国債発行により積極財政を行うことができ、国債発行の上限となるの判断はインフレ率(例えば2%程度)で決められ、税制や金融引き締め等を行うことでインフレを管理できる(ハイパーインフレにならない)と考える。

 

 

さて、山本氏がMMTを否定している下記のサイトを覗いてほしい。

 

 

 

山本:よく言われるが、MMTとは違う私たちの経済政策、財政政策は、これまで財務省が言ってきたことやってきたことを勘案した上で、今のルールの中でできる最大限が元になっている。自国通貨建て国債を発行している国は破綻することがないという、当たり前の話だ。だからこれをMMTだなんだと言うと、話がそれてしまう

 

 

竹山:インフレターゲットは目標2%でラインを引くとおっしゃっているが、いざ止めようと思っても止められないぞという意見もある。

山本:私たちはそうは考えていない。というより、景気を調整するのが政府、主に日本銀行が担うことだ。デフレになっているとき、社会にお金が回っていないときにはお金を生み出し、必要なところに出していく。これによってインフレにしていき、目標に近づいたとき、あるいは加熱したときには税金で間引くということだ。

 

上記の彼の考えていることはMMTそのものである。

 

それを山本氏が否定して説明するのは、現時点でMMT対する批判が強くなり、十分な説明がMMT論者以外の人々に納得できる形でされていないと思われることにあるのではないか。

 

 

また下記のようなのところがある

 

竹山:そのためには、国債を出すしかない、ということか。 

 

山本:借金という言い方、これが誤解を生む原因になっていると思う。政府の借金と呼ばれるものは、言い方を変えれば財政赤字、あるいは国債発行残高だ。それは社会に存在しているお金のことを指している。極論だが、もし1200兆円もの国債発行残高、つまり1200兆円の借金はけしからん、全部返そうかとなったら、1200兆円の増税が行われるということだ。それで社会にお金が残るか。残らなくなる。 なぜか。世の中にお金が出現する方法は大きく分けて2つ。国債の発行と通貨の供給、そして銀行が貸し出しをするときに行われる信用創造だ。だから世界を見てみても、国債を全て償還するというような話にはならない。元本の返済はまずしない。通貨の発行量を減らしたいという思いがあったら、税金を集めることで、世の中からお金を消し、国債の元本を償還する。それをしないのは、一定の通貨の供給量を担保するためだ。

 

この部分の国債や通貨に対する考え方もMMT的な考え方(インフレを尊重した供給制約に基づく財政規律)である。

 

 

山本:ご心配されている、消費税26兆円の代わりの財源を国債でやった場合、それを続けられるのかというご指摘だが、当然、消費税をやめることによって消費が喚起されれば、逆に税収が増えていくことになる。そして、まず儲かっているところから財源をいただくということになっていく。所得税でいえば累進性の強化だ。法人税に対しても累進性を導入するというやり方があるが、それだと金持ちや企業が海外に逃げちゃうんじゃないかという疑問があると思う。 そこはまず、日本企業がどうして海外を目指すのかという根本的な部分を見つめないといけない。どうして逃げるのか。経済産業省の調べでは、要は物が売れないと日本では商売を続けられない。だから製品需要が旺盛な発展途上国など、今後の需要が見込まれる国を目指そうと。そういう答えがでてきた。 もちろん、竹山さんがおっしゃるように、税の優遇が受けられるということで海外にいらっしゃる方もいる。しかし、それは一番大きな内需というエンジンを弱らせ続けたということが原因なので、そこをいかに喚起していくことだと思う。それも、みんなが使えるお金を増やしていけば、わざわざ海外に需要を求めなくても国内にあるんだねということになる。

 

下記の部分は間違った認識と思われる。多くの企業が、円高傾向の時に発展途上国の低賃金や税優遇のある地域に工場を建設したというのが正解であろう。

 

経済産業省の調べでは、要は物が売れないと日本では商売を続けられない。だから製品需要が旺盛な発展途上国など、今後の需要が見込まれる国を目指そうと。そういう答えがでてきた。

 

しかし、「経済業省の調べ」としてるから山本氏の間違いでないってことになる。

また、下記の部分でも「財務省が言ってきたこと」と言い訳している。

 

財務省が言ってきたことやってきたことを勘案した上で、今のルールの中でできる最大限が元になっている。自国通貨建て国債を発行している国は破綻することがないという、当たり前の話だ。

 

彼の主張の根拠は、上記のように日本政府のようであるようだが、なぜ、日本政府はプライマリーバランスを意識して財政再建しようとするのか。山本氏と最終的な考え方が異なるかといえば日本政府はMMTを採用していないのである。

 

彼はなぜそのような考えになったのか?

恐らく、彼の背後にいるブレーンの考えを暗記してしゃべっているだけで深く考えてはいない。だから、表面的な説明でおかしいと思えてくるし、いつも聞いたような言葉の繰り返しが多く、テープレコーダーのように思える。

 

彼の演説は、消費税の廃止等、困窮している人に訴えかける手法ではあるが、実のところ、彼自身の主張する経済政策がうまくいくのか分かっていないのだろう。

 

アベノミクスの失敗(過度な円安)で苦しんでいる現在に、アベノミクスとほぼ同一の経済政策をさらに進めようななんて思うなら、あなたは、騙されている。

 

日本政府が積極財政を行うことは現時点では必要であるが、それは、インフレ率で制約させるのではなく、単年度でプライマリーバランスを守るのでなく、長期的視点で計画的にプライマーリバランスを維持していくように管理しないといけない。

 

それが、日本政府の信用であり、国債や通貨の信用となる(円安が生じにくくなる)。

 

基礎的財政収支(プライマリー・バランス)とは、税収・税外収入と、国債費(国債の元本返済や利子の支払いにあてられる費用)を除く歳出との収支のことを表し、その時点で必要とされる政策的経費を、その時点の税収等でどれだけまかなえているかを示す指標となっています。 

 

 

政府が積極財政を行って支出する対象のそのほとんどが、今後も増え続ける社会保障費であるならば、それを国債でっていうのは破綻することであろう。

 

積極財政で景気を刺激し、結果として積極財政分以上の税収増にならないと国債残高は増え続ける。社会保障費に財政の多くを当てても景気が刺激される効果は少ない(経済的効果が限定される)。

 

社会保障費の増大に対して今しなければならないのは、少子化対策か、それができなければ、人口減少少子高齢化で日本の経済規模が小さくなる中で、財政の健全化の維持を考慮するのは当然である。

 

財務省が社会保障費の増大を気にして、税収が景気に左右されない消費税を導入したのはそれなり言い訳できそうであるが、と同時に、法人税・所得税を減税をしたのは企業や金持ち外国投資家の利益になってしまっているのは事実である。

 

しかも、人口減少が始まり、消費経済の縮小は消費税さえも減少してくる。

 

この点は元に戻さないといけないが、このような考えの党は共産党も立憲民主党も考えているはずで、れいわが特別なわけではない。

 

アベノミクスの超金融緩和を続けることはできない。日銀の国債価格の維持ができなくなる時が来るだろうが、れいわが政権をとっても同じで、たぶんその時には、財務省を悪者するのだろう。

 

なぜ、山本太郎氏を支持しないかは上記理由と、与党や維新の票を奪うのではなく、実現させるべきでないMMT政策を掲げ、野党の票を奪い、実質に、政治の劣化が加速させてしまっているからだ。

 

山本太郎氏のれいわブームが去った後には政治の無関心がさらに加速するかもしれない。

 

今は、消費税のいきなりの廃止より、段階的に税率を減らしていくことが大事であろう。急激な変化は経済に与える影響が大きい。さもなければ、税収の減少から国債の信用が低下し、ヘッジファンド等の海外投資家による国債先物売りが起こりやすくなり、円安も加速する

 

少子化の原因は、賃金減少から女性も長時間働くようになり、子育てが負担になっている。

 

それを解決するには、保育所の確保や労働時間の短縮など、生産性の向上のため人件費を削ってきたのと逆に、子育て・介護・病気で数人が休んでも仕事が停滞しない労働環境が必要である。

 

 

実現は難しいが、例えば、申告時に実際の人件費の1.5倍を経費に繰り入れられることになれば、その分企業は多くの人を雇うことで見かけ上より多くの経費が計上できることになり、利益が圧縮され納める法人税も減少するから、労働環境も改善するのではないか(労働環境インセンティブ)。

 

この根拠は、経営する上で労働者が休みを取ることで発生するリスクが人件費の1.5倍程度であると考えればよい。もちろん1.5倍は、現時点の例に過ぎないが、社労士が良い提案してくれないかと思う。

 

この方法なら、税制の優遇を事業者の業種によらず恩恵が受けられる。

 

皆で知恵を出し合えば労働環境改善を促す政策が見つかり、労働環境改善と子育て環境改善ができることで少子化の解消できるのではないか。