お金と能力の話2 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

お金は大切なものです。

 

だから、お金が欲しい、と思う人は多いです。

 

では、なぜお金が欲しいのか?

 

それは、払うためです。

では、なぜ払わなければいけないのか?

 

それは、してもらうからです。

では、なぜしてもらわなければいけないのか?

 

それは、自分ではできないからです。

 

だとしたら、自分でできることを増やせばお金を払う量を減らせます。
 

 

そして、とても残念な事ですが、お金を払ってしてもらえることには、限度があります。

まず、お金を払って教えてもらえることは、全て過去の事です。

これからと未来のことは、誰も知らないから、教える事ができないのです。

また、お金を払って教えてもらえることは、すでにこの世に存在することです。
この世にないもののことは、誰も知らないから、教える事ができません。

少し前。日本の人口が増えていたころには、

人が増えるから、仕事が増えます。
つくってもつくっても追いつきません。サービスしてもしても追いつきません。

だから、「のれんわけ」が成り立ちました。

同じ仕事をするライバルが増えても、ぜんぜん平気だったのです。それほど仕事が増えました。
その頃には、誰かが成功していることをやれば、間違いなく成功です。

だから、日本の自動車メーカーも、どこかの会社がヒットを出したら、たちまちみんなが、

それとほぼ同じものを作ってきました。
その頃には、「過去のこと」や「この世にあるもの」のことをおぼえても、

それは立派な力になったのです。
なんたって、この時代の成功の秘訣は、「同じ」「普通」「前例がある」だったからです。
その時代が、日本では、約150年間続きました。

しかし、人口が減ると、仕事が減ります。

他人と同じ事をやると、比べられて安い方が選ばれます。

これでは喰っていけません。

だから、成功の秘訣が、まったく180度変わってしまいました。

「ちがう」「見たことがない」「前例がない」が成功の可能性を持つのです。

その中でも、世の中の、「困ったこと」「悲しいこと」「苦しいこと」を

改善するものが、仕事として成功する可能性をもっています。
ですから、これからの人口減少社会では、

「お金を払って教えてもらうことをおぼえる」では、成功する可能性は、とても低いのです。

だからこその、研究開発なのです。
おいしいお菓子を生み出す会社は、その作り方を誰かに教えてもらうでしょうか?
フェラーリは、誰かに車を設計してもらうでしょうか?

ちなみに、カメラのレンズで有名なライカという会社は、レンズの成分を全て公表しています。しかし、誰も同じものをつくれません。なぜなら、混ぜる順番に秘訣があるからだそうです。
それは、ライカが長年かけて自分たちで編み出したものです。

だから、ライカは唯一の存在です。そして、ライカは今も研究開発をつづけています。

僕はよく、「オタクのマグネットは、どこの製品なの?」と聞かれます。
植松電機のマグネットは、すべて自社開発です。
植松電機のマグネットは、軽くて省エネルギーです。

それができたのは、僕が学んできた流体力学の知識を、磁気工学と合体させて、

自分勝手な理論をつくったからです。

その理論は、僕が勝手に作ったから、誰も知りません。

だから、植松電機のマグネットは、真似されません。
(真似されない理由は、他にもいくつかあるのですが・・・)

いま、多くの学生さんが(正しくは親御さんが)、景気が悪くて将来が不安だからと、

進学にすがりついています。
いまだに「大学に行けば何とかなる」や、「高卒では就職などない」という、
高校の進路の先生の言葉を信じています。
でも、先に述べたとおり、「教えてもらったことをおぼえる」が通用したのは、
人口が増えている頃の話です。
これからは、「自分で考えて、自分で試す」能力がものすごく重要です。

本来、大学とは、「自分で探究する」場所です。
しかし、小、中、高と、「教えられたことをおぼえる」しかやらなかった人達は、

「教えてもらおう」とします。「おぼえよう」とします。
でもそれは、「思考」とはほど遠いのです。
だから、大学はフルパワーを出せないでいます。

日本では、テストをします。
そのテストでは、評価を容易にするために、マークシートが使われます。

自動的に、答えはとても簡単なものになります。
正しいものを選べ。
当てはまる単語をいれよ。
これをやってしまうと、最初に身に付くのは消去法です。
沢山の選択肢から「ないわ〜」を外していくことで正解を導く方法です。
でもこれは、「選択肢」を与えられないと、答えを出すことができません。
次に有効なのは、暗記です。
ですから、日本のテストの多くは、「暗記の量と正確さ」を測るものになっています。
それは、「思考」とはほど遠いです。

しかし、暗記の量と正確さが重要だった時代もあるのです。
それは、印刷技術がなく、書物がものすごく高価で貴重だった時代です。

しかしそれは、今から1000年くらい前の話です。

いまや、莫大な情報がオンデマンドに手に入ります。
暗記にたよってする仕事などないです。
その時代に必要なのは、莫大な情報を活用する能力です。
だのに、日本の教育では、「ネットが危険だから使ってはならない」

「スマホは危険だからもってはいけない」レベルのことが行われています。
これでは、世界との格差は開く一方です。

これから、教育は本気で変わらないといけません。
そして、企業も「前例踏襲」から抜け出さないといけません。

そうしなければ、日本は世界の中で落ちこぼれになります。
ていうか、もう、そうなってきてるのを感じてる人も多いでしょう。
この30年間で、大学の数は2倍になり、大学進学率は2倍になり、学費は2倍になりました。
日本の家庭は、高等教育にものすごい投資をしています。
だのに、この30年間で、日本の大学と企業の世界ランキングはだだ下がりです。
これは現在の教育の敗北を示すものです。

「教えられたことをおぼえる」時代は終わりました。
これからは、自分で考えて、自分で試す能力が必要です。
でもそれは、本当は、生まれつきもっている能力です。
それをうばう仕組みをなくせばいいです。
「勉強に関係ないことはくだらないからやめなさい!」という指導は、

「教えられたこと以外のことをやると損をする」という子どもを増やします。
これは、子ども達の思考力をうばい、受け身にしてしまう指導です。

どうか、子ども達のもつ可能性の輝きをうばわないでください。
いまの学歴信奉は、もはや通用しないことを真剣に考えてください。
「〇〇企業が何百人リストラ」という記事を、

「うわー、不景気だなあ・・」で終わらせないでください。
なぜ、そうなっているのか?を考え、対策すべきです。
その対策の第一歩が、子ども達の思考力を奪わず、伸ばすことです。
と、僕は思っています。