僕は、「まなぶ」には二種類あると思っています。
ひとつは、「教えられたことを、おぼえる」です。
これは必要です。
たとえば、「ひらかな」や「アルファベット」をおぼえるのは大事です。
いまから新しいひらかなやアルファベットを生み出しても混乱するだけです。
また、1+1=2をおぼえるのも大事です。
ルールや、機械の操作方法などをおぼえるのも大事です。
しかし、この方法では、進化と発展がありません。
未知に踏み込むことができません。
教える人を超えることもありません。
しかし、この方法は、とても成果を可視化しやすいのです。
明確に点数をつけることが簡単なのです。
評価しやすいのです。
もうひとつは、「自分で疑問を感じて、自分で調べる」です。
これこそが、本当の「学力」です。
たとえば、僕らは地上で微小重力状態をつくれる実験装置をもっています。
高いところから落とせば、微小重力状態になることは、本に書いてあります。
しかし、空気抵抗のキャンセルの仕方と、
最後の減速の部分は、本に書いていません。
だから、教えてもらえません。
だから、自分で考えて、自分で調べて、自分で試すしかなかったです。
でも、それができたから、植松電機の微小重力実験施設は、
様々な研究者の役に立てるようになりました。
しかし、「学力」は、定量的な評価は不可能です。
日本の「算数」は、「教えられたことをおぼえる」学問です。
基本的なことは、2年生くらいまででおぼえてしまいます。
そのあとの「数学」は、論理的な思考力を育てるための学問です。
しかし、今の日本の教育では、「数学」さえも、「教えられたことをおぼえる」学問に
してしまっています。
でもそれでは、進化も発展もありません。
今までの日本では、人口が増えていましたから、
大人が子どもを自分以下にしてしまうことのマイナスが目立ちませんでした。
しかし、人口が減る社会でそれをやったら、
社会は急速に衰退していくのです。
もうそろそろ、大人が子ども達の上に立ち、
自分に都合のよい、自分以下をつくる教育をやめなければいけません。
大人は、子ども達を自分以上に押し上げる教育をしなければいけないのです。
僕は、小さい頃から伝記が大好きでした。
伝記の人達は、前例のないことをやりますから、だれもやりかたを教えてくれません。
だから、伝記の人達は、自分で考えて自分で調べていました。
僕はそれを学んでしまったのです。
だから、僕は勝手に考えるのです。
自分で勝手に関数をつくり、自分で勝手に関係式をつくります。
それは、ずーっと否定されつづけました。
しかし、大学の数学の授業で、それらこそが f(x)の考え方だということを知りました。
それは、高校でも学んでいたはずですが、高校のそれは「教えられたことをおぼえる」でしかなかったのです。
繰り返します。
もうそろそろ、大人が子ども達の上に立ち、
自分に都合のよい、自分以下をつくる教育をやめなければいけません。
大人は、子ども達を自分以上に押し上げる教育をしなければいけないのです。
僕も頑張ります。
頑張って行きましょう!