自由と権利について、学ばなければ。 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

先日、知り合いのfacebookで、悲しい話を知りました。

ある女性が、大人しく人なつこい犬を連れて散歩していたら、

子どもから石を投げつけられたそうです。

子どもの言い分は、「犬はコロナに感染してるから散歩するな」だそうです。
石は、運悪く犬に当たってしまい、
以来、犬は人を恐れるようになってしまった・・。

まず、犬を連れて散歩をするのは、自由です。

でも、世の中には、犬をものすごく恐れる人がいます。

多くの飼い主が、そういう人がいる事を理解した上で、リードの長さなどに気を付けて
散歩をしてるはずです。
(実際には、放し飼いで散歩してる人とかもいます。うちの子どもが小さい頃に、
そういう犬に飛びつかれて、とても怖い思いをしました。)

子どもが、「犬はコロナに感染している」と思っているのは、
そういう情報があるからです。
その情報を信じるのは自由です。

 

子どもが、コロナを嫌がるのは、もしかしたら、家に寝たきりのおばあちゃんがいるからかも

しれないし、大切な人がコロナで苦しんだ経験をしたからかもしれません。
これも、自由です。

で、問題なのは、
「散歩をさせるな!」と「石を投げつける」です。
なにが問題か。

「散歩をさせるな!」というのは、他人の行動を強制する行為です。

もしもその行為が、法的に問題のある行為であり、緊急停止の必要がある場合は、
一般の人でも、犯人を取り押さえることは許されています。
しかし、犬の散歩は法的に問題ありません。

また「石を投げつける」は、とても危険な行為です。
もちろん、投げる方は、当てようと思っていないかもしれません。
当たるとも思っていないかもしれません。
ただの示威行為のつもりかもしれません。
でも、質量のある硬い物体を高速で投射する行為は、
人や器物に損壊を与える可能性があります。危険です。

この子が、コロナを恐れ、感染拡大を心配するのは、自由です。

しかし、犬を散歩している人に対して、「散歩をさせるな!」と怒鳴ったり、
「石を投げつける」のは、他人の自由や権利を侵害しています。

この話を聞いて、すくなからずの人が、この子に対して、または、

この子の親に対して、怒りや、哀しみなどの感情をもつでしょう。
でも、それと同じことを、普段からやってしまっていないかを考えるべきです。

ヘイトスピーチや、ネットの炎上なども、その根底には、
この子どもがやったのと同じものがあるように感じます。
言葉で文句を言ったりするだけなら、直接の危害がない、と思っているのかもしれませんが、
それは、石を当たらないように投げている、のに似てる気がします。

人を拘束し、裁き、罰を与える、という行為は、社会を維持するために必要だけど危険です。

だから、世界の多くの国が、この3つを分割し、1人だけでは判断できないようにしています。

ところが、個人で、他人を拘束し、裁き、罰を与えてしまう人がいます。
それは、そうされた経験があるからです。

僕は、小学校、中学校、高校の生活の中で、

1人の先生が、間違った情報を元に、生徒を裁き、罰を与えるシーンを何度も見ています。

あとから間違いがわかっても、先生はあやまりません。

「疑われるような行動をする方が悪いんだ」と言います。
子ども心に、理不尽さを感じました。

天然パーマの女の子が、先生に連れて行かれて、水道で頭を洗われているシーンは、

バイオレンス映画にある、拷問のシーンそのものに見えました。

私的制裁が横行する世界では、まともな文明は育ちません。
いつ自分が私的制裁のターゲットにされるか不安でしょうがありません。

そうなると、声が大きく力が強い人間に付和雷同するしかないでしょう。
あれ?これって、いじめでよくある構図じゃない?


僕は、人間の持つ自由や、権利や、裁きや、罰について、

子どもの頃からしっかり学ぶべき(教えるべき)だと思っています。

それをやっていないから、私的に裁き、私的に罰を与える人が生まれるのだと思います。
でも、もう時既に遅しかも・・・
なんたって、僕ら大人は、そんなことを学んでいないからです。

何度も書いている事ですが、
「僕はあのお店のラーメンが大好きです!」というネットの書き込みに対して、

「ええ、あの店のラーメン!あんなまずい物が好きなんて、味覚がおかしいんじゃないの?」

とか、

「ラーメンなんて、油と塩分とカロリーが多すぎだ。そんなものを食べる人の気が知れない!」とか、書き込む権利はだれにもないです。
でも、そういう書き込みは、よく目にします。

僕は、facebookのプラモデル愛好会にも参加していますが、
その中でも、する必要の無い評価や否定が発生します。
とても悲しいことです。

他人の思考や嗜好を、他者が「評価」したり、「否定」したり、「罰を与える」ことは、

する必要も無いし、する権利もありません。

でも、それをしてしまう人がいます。

それは、子どもの頃に、人間の持つ自由や、権利や、裁きや、罰について、

正しく教えていないからだと思います。

人類が、長い時間をかけて、社会秩序を守るために作り上げてきたシステムを、

僕らは正しく理解していません。

それは、ものすごく残念な事です。

年号を暗記したり、数式を暗記したりするより、はるかに大事なことです。

学校が教えないのなら、自分たちが教えるしかないです。

そのためには、自分たちが、学ばなければいけません。

 

大人よ。自由と権利と裁きと罰について、

今一度、しっかり学びなおしましょう。