「自信をもちな!」「気にするんじゃない」は怖い言葉です。 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

子どもの悩みごとを聞くときに、僕は使わないようにしてる言葉があります。
それは

「気にすんな!」「心配すんな!」

「もっと元気出せよ!」「もっと自信をもちな!」

です。

子どもは、気にしてるのです。それを、「気にすんな!」とか、「気にしすぎだよ。」

と返してしまったら、もう、その子は相談してくれなくなります。

 

そして、「元気出せよ!」といわれて、元気が出る人は、ごくわずかでしょう。

「自信持ちな!」と言われて、自信が増える人も、ごくわずかでしょう。

大抵は、

「励まされてるのに元気を出せない自分なんて・・・」

「自信持ちな!っていわれても、自分はあれができないし、これができないし・・・」

「できない自分はダメなんだ・・・」「自信がない自分はダメなんだ・・・」

になってしまいます。

 

「普通は気にしないよ」
は、「普通じゃない自分」「みんなと違う自分」をマイナスに思うようにしてしまいます。

「自信を持ちな」
は、「自信が無い自分」をマイナスに思うようにしてしまいます。


 

「いやいや、何もできなくたって、君は君のままでいいんだよ。」と言われても、

「だって、成績も悪いし、人前でうまく話せないし、みんなができることができないし、

自分はみんなに迷惑かけている。

みんなに「ダメだ」と言われている自分のままでいいわけがない。」と

思ってしまうことが多いです。

 

おそらく、これは、「空気を読め」や「自粛」という言葉の使われ方に似てるような気がします。

 

以前も書きましたが、

「空気を読む」のは、とても大事なことです。

でも、

「空気を読め」は、ものすごく危険なことです。

 

「自粛」をする、のは大事なことです。

しかし、

「自粛」せよ。はものすごく危険な事です。

 

なぜ危険なのか?

それは、他人の思考や人生を他者が制御することになってしまうからです。

それは、人権の侵害です。

 

同じように、

「自信」を持つ、のは大事なことですが、

「自信」を持て、は危険です。

 

「今のままでいいんだよ」というのも、自分がそう思えるなら素晴らしい事ですが、

「今のままでいいんだよ」と思え、といわれても、そうは思えないです。


子どもの相談に乗るときに、大事なのは、まずは需要「受容」と共感です。

「そうか・・・それはつらいねえ」

「そうか・・・それは心配だねえ」

 

たとえ、自分なら「それは気にしすぎだよ・・・」と思っても、

まずは「そうか・・・それは気になるねえ」です。

なぜなら、相談をするとき、最初から全てを話す人はいないからです。

最初は、めちゃめちゃオブラートにくるんで、曖昧な表現をしがちです。

だから、相手が話しやすい環境を作ることが一番です。

そのための、需要と共感です。

 

僕の会社にも、自信がない人は沢山います。(僕もかなり臆病です。)

特に、入ったばかりの人達は、自信がないです。そりゃそうだ。
だって、自信って、知識と経験に比例しますから。

で、そういう人達に、「もっと自信持ちな!」って言ったって、

逆につぶしてしまいます。

なんぼほめても、おだてても、自信は増えません。
自分が増えるのは、「できなかったことが、できるようになったとき」です。
そのためには、まずは「できない」ことが条件になります。
最初は、「できない」を突破するのが大変です。
次に、できなかったときに、できるようになるまでささえることが大事です。
時間がかかります。回りくどいです。でも、それこそが、
知識と経験の蓄積になり、小さな自信になります。

自信って、生きていくためにとても大事なものです。

でも、自信を増やすのは、かなり難しいです。

うそです。

本当は、自信を増やすのは簡単なんです。

だって、もともとは、みんな自信を持ってるのだから。

でも、その自信を奪ったりつぶしたりする人がいるから、

そこから回復させるのはとてもむずかしいのです。

そして、その、自信を奪ったりつぶしたりする原因が、「比べる」「評価」だと思います。

自信を増やそうとして、競争させて、勝たせる。ほめる(評価)。

たしかに、その人の自信は増えるでしょうが、それは「比べる自信」です。
「ほめられる」ことを求めます。注目を求めたり「いいね」を求めます。

でも、自分よりできる人に出会ったら、その自信は簡単に失われます。

やがて、その人は、自分以下をつくるようになります。

同時に、負けた人の自信は失われます。そして、「比べる自信」にとらわれます。
こういう人は、自分より優れてる(と思う人)と自分を比べ続けます。
そして、勝負や人との関わりを避けるようになります。

どっちにしても、救われないです。
この「比べる自信」という価値感を捨てるのは、なかなか難しいです。

 

僕は、勝負が嫌いです。なぜなら、勝ったら、負けた人に恨まれるからです。

そして、負けたら、悔しいから頑張ります。相手を負かすまで頑張ります。

そして、結局、勝ったら、負けた相手に恨まれます。

 

だから、クラス対抗のイベントとか、苦手でした。

勝ちたくないです。

でも、みんな一丸となって盛り上がります。

他のクラスに対して、ヤジを飛ばしたりする人もいました。

そして、1位になったら、それは、みんなと笑える共通の思い出になります。

でも、負けたクラスが沢山あるのになあ・・・と思います。
僕にとっては、あんまりいい思い出ではありません。
 

そして、最近は、優しい子が多いです。

僕のような「勝負したくない」と感じている子は、昔よりはすごく増えている気がします。
そういう子達が、自信を増やすための「勝負」や「競争」で、つらい思いをしています。


僕は、人の自信と可能性が奪われない社会を作りたいです。
そのためには、「比べる自信」から、いかに遠ざかるかがだいじです。
どうか、愛する我が子に、比べる自信を強要しないで欲しいです。
自分自身の、比べる自信も、捨てて欲しいです。
大人の価値感が変わらないと、子どもの価値感も変わりません。
自分が、比べる自信にとらわれていないか、考えて見て欲しいです。