GW中に、Eテレで海外の子ども向けアニメーションを放送していました。
時は中性っぽい感じ。
そこで、生徒が集まって、先生から授業を受けています。
先生は教科書を持っています。
生徒は石版を持っています。
先生は、教科書の内容を黒板に書きます。
生徒は、それを写します。
これは、現代でもおおよそ同じです。
石版がノートに変わった程度です。
この映像を見ていて、ふと思いました。
「そうか。これは教科書が高価で買えなかった時代の景色なんだ。」
大学生の頃、授業中に違和感をおぼえました。
先生は、教科書を持っています。
僕ら生徒も教科書を持っています。全員買わされました。
先生は、教科書の中の、テストに出るところを黒板に書きます。
書いてる内容は、教科書と同じです。
生徒は、それをノートに写します。
しかし、生徒は教科書を持っています。
そこに、同じ事が書いてあります。
ものすごく、非効率だな・・・と思いました。
教科書は、数時間かけたら読むことができます。
重要そうな部分もわかります。
しかし、授業は、そこに半年ほどかけます。
これなら、自分で教科書を読んだ方が速いんじゃね?と思いました。
そして、テストです。
暗記の量と正確さを測定されます。
でもそれって、まだ印刷技術が無くて、本が貴重品で、
本を買うことができなかった時代には重要だったでしょうが、
誰でも教科書や参考書を持ってる時代に、意味があるのかな?と思いました。
今にして思えば、暗記にたよってする仕事などありません。危険過ぎます。
もちろん、暗記していると、速く処理できる仕事もありますが、
それは、同じ事を繰り返すルーチンワークであることが多いです。
そういう仕事は、これからどんどん自動化されます。
僕が大学時代に嬉しかった授業は、教科書には書いていない、
先生の経験談を教えてくれるものです。
教科書の内容はおぼえていませんが、先生の経験談はしっかりおぼえています。
そして、僕が嬉しかったテストは、「教科書も参考書も持ち込み可能」というテストです。
そのかわり、ものすごく難しいです。
でも、僕はそういうテストの方が点数をとることができました。
そしていま、僕がやっている仕事は、前例がない事ばかりです。
毎回、新しい問題や難関に出会います。
その解法が書いてある教科書は存在しません。
だから、いろんな知識を総動員して問題を解決するしかありません。
そこでは、暗記の量も正確さも、意味がありません。
いかにして、関連のありそうな新しい情報をかき集めるか、のほうが重要です。
なんとなく、今の日本の授業のスタイルは、
江戸時代のやりかたのような気がします。
そして、今の日本のテストは、中国の科挙の時代のやり方のような気がします。
時代は変わりました。
いまや、オンラインで、オンデマンドで、いくらでも情報が手に入ります。
僕たちは、来年、専門学校として、新しい学科を立ち上げます。
ただ、心配なこともあります。
それは、スーパーサイエンスハイスクールと関わる中で感じていることです。
最適な解法もありません。
何歳でも入れる、というのも、とても良い事だと思います。
人生は、生まれた瞬間からスタートしています。
僕は、この新しい学科で、これからの時代に適した新しい授業に挑みます。