わかりきった現状の確認では無く、これからどうするかを考えよう。 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

すごく楽しみにしていたイベントの日に、大雨が降って、イベントが中止になったとします。

それはそれは残念です。

 

そのときに、天に向かって恨み言を言っても、雨は止みません。

 

そのあとで、「あのとき雨が降ったおかげでダメになった!」と怒っても、

時間は戻せません。

 

 

豪華客船が氷山にぶつかりました。

船体に亀裂が入り、水がどんどん浸入してきます。艦首が沈み込んでいきます。

 

そのときに、

「なんで氷山を見落としたんだ!」

「すいません。双眼鏡が無かったんです。」

「なんで双眼鏡が無かったんだ!」

「誰それが鍵のついたロッカーにしまっていたんです。」

「なんだとお!今すぐ誰それを探して連れてこい!問いただす!」

なんて、言っている場合じゃ無いですね。

「最悪、沈むわな。」を前提に、どうやったら1人でも多く生存できるかを考え、

行動に移すべきです。

 

 

人生は、思うようになりません。

たいてい、壁にぶつかります。

そのときに、壁を恨んでも、呪っても、前には進めません。

 

苦しいときに、「苦しい」と言っても、

つらいときに、「つらい」と言っても、

困ったときに、「困った」と言っても、

それは、わかりきった「現状」を説明してるにすぎません。

その上で、

「苦しいから、こうしよう。」

「つらいから、こうしよう。」

「困ったから、こうしよう。」

を考える事がとても大事です。
「だったら、こうしてみたら?」です。

 

植松電機もコロナによる経済縮小の影響を受けています。

それは、不安なことです。

でもそこで、「これからどうなるんだろう」って言っても、

誰も答えてくれません。だって、わかんないんだもん。

様々な、希望的な観測や、絶望的な観測が渦巻いていますが、

どれも、だれかの想像にすぎません。
大事なことは、「これからどうするか、自分で考える」です。

 

そして、考えるためには、情報が必要です。

僕は、その情報の多くを、本から得ています。

本には、過去の人類の苦労話が山盛り入っています。

いままでに読んできた本達が、僕の思考と判断の原資になっています。

 

いま、Facebookで、本の表紙を紹介するチャレンジが流行っているようです。

本の表紙を紹介するだけで、内容などは一切書かないのがルールだそうです。
僕は、「それは嫌だなあ」と思いました。
だって、内容もぜひおすすめしたいから。
だから、僕はそのバトンを受け取らないできています。
 
しかし、僕の大切な仲間である永田晴紀先生は、バトンを受け取りました。
そして、平然と、かなりの長文で「内容」も「押しポイント」も書きまくりです。
本人も、ルールを理解した上での確信犯です。ルール無用の悪党です。タイガーマスクか。
ルールを守ろうとした自分が小さく思えます。
そう。きまりを守りましょう。ではなかったのです。
vivat le Revolution! 革命バンザイ!
フランス革命も面白いよ。生まれたての民主主義の迷走ぶりが面白いです。
そういう意味では、「ベルサイユのばら」も再読したいねえ。

先行き不透明な今だからこそ、
思考力を増やすためにも、本を読むのはいいよお。
マンガでもいいからね。