植松電機は今年で20周年です。 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

今朝の赤平は、マイナス20度近くなりました。

青空で、風がなくて、ロケット的には最高です。

(ただし、電子部品などはこの気温だと機能不良になる可能性があるので、要注意です。)

 

赤平に引っ越してきてから、今年で20年です。

2000年の8月から、赤平の工場が稼働しました。

 

最初は、入ってすぐの工場1つだけでした。

2000年に、土地が5千万円。工場が5千万円。あわせて一億円の借金でした。

返済期間は10年でした。

 

翌年、あまりにも沢山の注文が来てしまい、

最初の工場が手狭になったので、隣に工場を建てました。

土地の改良工事も含めて、また一億円の借金でした。

今度は、売り上げもものすごかったので、返済期間は5年にしました。

 

その直後に、その大量注文がなくなりました。

借金返済は、ものすごく大変になりました。

 

2004年。永田先生に出会いました。ロケット開発がはじまりました。

 

そして、

2006年、微小重力実験塔と、研究用の第三工場を建てました。

また1億円の借金です。今回は10年の返済です。

最初の、返済期間5年の借金が終わったから、何とかなるかなと判断しました。

 

そして、

2009年、ARCプロジェクトスタートです。

工業団地の土地13万平方メートルを全部買いました。

ARC実験棟も建てました。

あわせて3億円の借金です。返済期間は10年です。

工事着工直後にリーマンショックになりました。

会社の売り上げは半分になりました。死ぬかと思った。

 

その後は、

2014年に、念願のマシニングセンターを入れました。トータルで約1億円でした。

2015年に、新事務所を建設しました。約8千万円でした。

2016年に、ハイパワーのレーザー加工機を入れました。約4千万円でした。

2017年に、大型ロケットエンジンと、小型ロケットエンジン用の実験棟を建てました。

      2つで8千万円くらいです。

2018年に、ロケットエンジンのサイレンサーを強化しました。約8千万円(自己資金)。

2018年から2019年にかけて、倉庫を2棟建てました。約5千万円(自己資金)。

     工業団地の中を通っていた市道を購入し、電柱なくし、電線を全部地中化しました。

     これで、子ども達が安心してロケット打ち上げ出来ます。

そして、

2019年の年末に、新型固体燃料製造用の混和機が納入されました。

そして、

リーマンの前に借りた3億円の借金が、返し終わります。

 

気がつけば、植松電機のメンバーは、本社が25名。ユニゾンが45名と、70人にもなっていました。

 

なんだかんだで、20年間で約10億円つぎ込んできました。

会社経営の歴史は、借金の歴史です。

いろんなことがありました。

苦しいこともありました。

でも、着々と、やりたいことに近づいています。

 

小学生の時には、「あの子はおかしいから迷惑だ」と言われました。

中学生の時には、「お前には進学は無理だ」と言われました。

高校生の時には、「赤点の帝王」でした。

大学に入ったら、「この大学から航空宇宙の仕事に行った人はいないよ」と言われました。

こういう言葉に負けなかったのは、こういう言葉を言う人を信じなかったからだと思います。

憶測で、出来無い理由ばかりを並べ立てる人達。

そういう人に、負けないですんだのは、ひとえに、「やったことがある人達」のおかげです。

伝記の偉人達が、僕を助けてくれました。

今も、僕を助けてくれています。

 

 

で、今年、20周年だから、なにか記念事業をしようかなと思っています。

修学旅行が一段落したあたりかな。10月くらいかなあ。

その頃には、順調にいけば、新型の固体燃料の製造設備も完成しているかも。

(工事中であろうことは確実です。)

あんまり堅苦しくないイベントにしたいと思っています。

 

20年は、あっという間でした。

でも、素晴らしい仲間に恵まれて、ここまでこれました。

いまでは、日本中に、子ども達を支える活動が広まりつつあります。

でも、時代の急激な変化の影響もあり、日本の経済は厳しい状態です。

そして、企業が苦しいと、働く人も苦しくなります。

そして、そのしわ寄せは、子ども達に向かってしまいます。

気がつけば、若者の自殺率は世界一になっていました。

(しかも、遺書がない場合は自殺と見なされないので、実際には・・・・)

 

まだ足りません。

僕の力は足りません。

だから、仲間を探しています。

これからも、探し続けます。

 

夢をしゃべって、仲間を探して、前進していきます。

20周年の事業も、そういう場にできたらいいなあ。

 

 

 

(金額や年号は、うろ覚えだから、ざっくりです。)