放課後学習会についてどう思いますか? | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

塾がない地方の町での、学力をつけるための放課後学習会について、どう思いますか?

という質問を受けました。

 

まずは、「学力」と「塾」について考える必要があるでしょう。

 

文科省が求める「学力」とはなんなのか?

学力とは「学ぶ力」です。未来の行動を支える力です。

で、テストの結果は、過去の情報です。

学力テストの点数なんてのは、学力を把握するための指標のごく一部に過ぎません。

 

学ぶ力がある子は、学力テストの点数が高めになる可能性が高いです。

学ぶ力の無い子は、学力テストの点数が低めになる可能性が高いです。

確実にそういう傾向があると思います。

しかし、

学力テストの点数が高い子が、学ぶ力を持っている、とは限りません。

学力テストの点数が低い子が、学ぶ力を持っていない、とも限りません。

 

そして、学力テストの点数を上げるのは、そんなに難しくないです。

過去問題を繰り返してやらせて、解法や答えを暗記させるのです。

そうすれば、わりと確実に学力テストの点数はあがります。

あとは、答えをおしえちゃう、という方法もありますね。やった学校ありますね。

で、そうやって得た学力テストの高得点が、子どもの「学ぶ力」の指標になるかったら、

そんなわけないですね。

 

ですから、学力テストの点数が高い子も、点数が低い子も、

両方に尋ねるべきは「テストの他に、好きなことはあるかい?どんな本が好き?」です。

「学ぶ力がある子」は、勝手に調べてます。研究しています。

だから、必ず自分の好きなことが返ってくるでしょう。

 

もしも、学力テストの点数が高い子だろうが、低い子だろうが、

好きなことは特にない、本も読まない、と答えたなら、

それはまずいです。学ぶ力を奪われた状態です。

その場合に、もっとも有効なのは、調べたり、知ったりすることの喜びを感じさせることです。

 

学ぶ力のために、最も重要なのは、強制的にさせられる、ではなく、

自分から知りたい、学びたい、と思う心です。

それを奪うと、自動的に、丸暗記で点数の高い子か、

本を読んだらねむくなるう・・・。という子を作りだしてしまいます。


 

 
また、「塾」についてですが、
もしも、学力が足りないから塾にいく、というのであれば、
それは、学校の存在否定です。
本当なら、学校だけで十分な学力が身に付くべきです。
そうなっていないのなら、その原因を考えて、対策すべきです。
その対策として、「家庭学習」を上げるのは、学校の責任放棄です。
そもそも義務教育は、家庭学習ができない環境の子達を救うためのものです。
 
そして、塾には、「行ける環境」の子しかいけません。
家庭の事情などで塾に行けず、学校では学力が低い、という子達を救う方法を考えたら、
自動的に、塾に行く必要は無くなるはずです。
 
僕は、企業が新卒一括採用をやめて、採用条件から学歴を外した段階で、
進学という価値感が変わると思っています。それは、そう遠くない未来です。
でも、まだ数年は、現状が残りますから、暗記型の受験対策は、
進学に関しては有効です。
塾の多くは、中学受験や高校受験のハウツーを教える場所になっています。
過去問題を分析して、次の出題の傾向を分析して、解法や答えを暗記すれば、
受験対策としては有効です。
僕も、大学受験の際には、過去問題丸暗記作戦で突破しています。
しかしそれは、思考力や学ぶ力とは正反対の行為です。
ロボットやAIが無かった時代は、それでも大丈夫でしたが、
今後は、そんなことをしていたら、ロボットに負ける人が育つだけです。
 
そのため、最近の塾の中には「学ぶ力」を強く意識しているところも増えています。
なぜ学ぶのか、なぜ進学するのか、なぜはたらくのか、をしっかり考えさせることで、
目標に到達するために受験をするのだ、そのためには、このテストを突破するのだ、
という「主体的な意志」を育てれば、手段として、過去問題丸暗記をしても、問題はありませんから。
 
強制されなければ学べない、という人を、そのまま世に出したらまずいです。
だって、学ばないもんね。
だから、強制されなくても学べる人を作る努力をすべきです。
 
いやいや、そう言ったって、うちの子は、なんにもしないもん。
一日中ゲームしてるか、youtube見てるか、寝てるかだけだもん。
強制してもらわないと、まともな大人になれないもん。
という意見も、とてもよく耳にしますが、
そういう人は、なんぼ強制したって、強制がなくなったら元通りです。
大人になっても、そのまんまです。
 
大事なのは、なぜそうなったのか?を考える事です。
もちろん、医学的な治療が必要になる場合もあります。だったら、それをすべきです。
特別な支援が必要なばあいもあります。だったらすべきです。
でも、最も多い原因は、
「かたづけなさい!」「ちらかすんじゃない!」「べんきょうしなさい!」
「くだらないことやってないでしゅくだいやりなさい!」
「そんなことばっかりおぼえてもねえ、将来やくにたたないからねえ・・・。」
「あんたにできるわけ無いでしょ。なんたって私の子だよ!」
子どもの、主体性を否定し、興味を否定し、可能性を否定する言葉が、
子ども達の「学ぶ力」を奪っています。
 

僕が、放課後学習をするとしたら、

まずは、従来の暗記型学習以外の努力をしている学校や塾を見学に行くでしょう。

そして、自分の学校の子達のことを思い浮かべながら、

「学力テストの結果」をよくするための付け焼き刃の努力よりも、
子ども達が朗らかに伸びやかに、興味と好奇心を発揮できる学校にする努力をします。

 

そして、誰もが活躍できる遊びを第一にするでしょう。

適度に体を使い、適度に頭を使う遊びがいいです。

体力差や、年齢差、性別差、習熟度による差が、あまりつきにくいものがいいでしょう。

それには、パラリンピックの種目を学ぶ、というのも有効だと思います。

(今度の同友会空知中央地区会の例会は、まさにそれ。)

 

そのあとは、一流を招いての、心を伝えてもらう機会を作ったらいいです。
おそらく、みんなが、「歯を食いしばって練習することが大事」とは言わないです。
みんなが「楽しむことの大切さ」を教えてくれるはずです。
努力とは、しようと思ってするものではなく、
やりたかったからがんばっちゃった結果に過ぎません。
 
また、学問が、誰かに評価されるためのものではなく、
社会の問題を解決するために、人類が命をかけて積み重ねた記録なのだ、ということを伝えます。
そのためには、学問が生まれてきた経緯などを知ってもらうことも大事でしょう。
暗記させられていた公式が、なんのために、どうやって生まれてきたか、を考えるのもたのしいです。
算数を学びつつ、小さなピラミッドを作ってみる、なんてのも面白いと思います。
ナスカの地上絵も面白いかも。

 

もう、この頃には、勉強がそれほど嫌いにはなっていないかもしれません。

そのあとは、「わかる子が、困っている子を助ける」方式の勉強会をするでしょう。

「勉強わかんなーい。おれはだめなんだー」と思っていた子達が、

誰かを助けられるようになったら、小さな自信がわくでしょう。

いつまでも教えてもらうだけだと、いつまでたっても自信は増えないと思います。

 

地方の、人口が減り続けている少人数の学校と、都会の大きな学校とを、

おなじ「学力テストの結果」で評定するような現在のやり方は、間違っています。

なんたって、人数が少ないと、1人2人が欠席しただけで、結果がまるでかわります。

学校によっては、成績がよくない子を、休ませたケースもありましたね。

ばかげています。

 
学校の先生は、文科省の押しつけてくる「学力テストの結果による評定」などで、
自分たちを無力に思う必要も無いし、
子ども達や地域をダメだと思う必要もありません。
それより大事なのは、「学校を楽しい場所」にすべきことではないかなと思います。
 
放課後学習会に関しては、学校や家に居場所がないような子達にとっては、
ものすごく大事な場所だったりします。
「学校を楽しい場所」にする練習台として、いろんなことを試す場所としても、
有効な気がします。
ただ、「学力テストや受験対策の暗記の場所」としてしまうのなら、
それはそれで保護者からは歓迎されるでしょうが、
子どもの将来にとっては、どうかしら・・・という気がしますし、
学校の存在意義を、もういちど考える必要があるだろうと思います。