子どもの輝きを支えたい。 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

受験を経て入学する学校という場所は、とても不思議な場所です。

 

受験というふるいのおかげで、かならず、自信を失った人が集まるからです。

 

なぜ受験があると自信を失うのか?

(1)自分の成績で、合格できそうな学校を選んだ段階で、かならず自分より上位ができる。

(2)受験に失敗して、落ちてしまった結果来てしまった人達は、自信がない。

(3)来たくて来たけど、自分よりも成績がいい人が必ずいる。

だからです。

 

自信を失った人は、自分の自信を守るために、自分以下を必要とします。

それは、直接的な暴力だったり、

支配だったり、

卑下や差別だったり、

中傷や陰口だったり、

いじりだったり・・・。

 

そういう人に目をつけられたら、とても面倒くさいことになってしまいます。

まわりから、「あの人見下されてる」と思われてしまうし、

嫌なことをしてくる人に、いくら文句を言っても、反論しても、

なんにも生まれてこないからです。

なぜなら、嫌なことをしてくる人は、状態を改善しようとしているのではなく、

ただ単に、自分以下をつくりたいだけだからです。

 

しかも、そういうことをする人が、誰だかわからないのです。

全員が自信を失っているから、誰もが攻撃側になる可能性を持っています。

ほんの一言の発言や、何気ない行動が、突然攻撃される可能性があります。

 

だから、「気づかれないように」「関わらないように」生きるようになります。

一番手っ取り早いのは、「寝る」「忙しそうにする」「集中する」です。

特に簡単なのが、「スマホに集中する」です。

 

でもその姿は、発見されないために、目をつぶっている状態です。

自分から見えないから、相手からも見えていない、と思い込んでいる状態です。

 

僕らの町を走る電車は1両編成です。

うちの会社の仲間が、その電車を利用したとき、

学生さん達は、車内に入ってこないで、入り口部分に立つそうです。

そこは、満杯になるほどだそうです。

そして、全員がスマホをいじっています。

彼らは、終点まで行きます。

で、うちの会社の人が、途中の駅で降りようとしたとき、

彼らはまったく動かず、降りられないそうです。

「降りますよ」と声をかけても、イヤホンしてるわけでもないのに、

誰も反応しない。

大きな声で、「降りますよ!」と言ったら、やっとこ、もたもたと

通路をあけてくれたそうです。

彼らは、見つからないために、目と耳をふさいだ状態なのだと思います。

 

以前、大雪が降ったとき、歩道もひざほどの雪になりました。

そこを、高校生達が一列になって歩いて行きます。

そこに、市の除雪車が来ました。

歩道の雪をとるために、歩道の上をゆっくりとこちらに向かってきます。

やがて、歩道の上の高校生達と向かいます。

除雪車が通った後は、歩道はとても歩きやすくなります。

だのに彼らは、そこから動きません。

除雪車の人が、「さがってくれ!除雪してあげるから!」と叫んでも、

だれも動きません。

自分に言われていると思わない努力をしているのでしょう。

それは、異様な光景でした。

 

以前、植松電機に大学生が何人も実験に来ていました。

その実験に必要な装置を、僕と会社の仲間が運んでいました。重たかったです。

でも、重そうに運んでいる僕らを見ても、彼らは動きません。

「おーい、手伝ってくれ」と呼びかけたら、

「ん?呼ばれてる?」「だれ?」「おまえじゃね?」「いや、おまえじゃね?」

と、なんじゃかごちょごちょこそこそやってます。

「お前ら全員来いや!」と怒鳴りたくなりましたが、それよりも、

あきれる気持ちの方が強かったです。

こいつらとは、一緒に仕事できないわ・・・。

彼らは、自分が呼ばれてると、思いたくなかったのでしょう。

 

小さな頃、朗らかに輝いていた子達が、

目をつぶり、耳をふさぎ、発見されないように縮こまって生きる。

なんでそんなことになってしまうのか。

その原因は、現在の教育システムにあると、僕は思っています。

 

本当は、学校に行くと、新しい事を学び、新しい運動をおぼえ、

できることが増えていくのですから、自信が増えるはずなのです。

だのに、自信はどんどん減っていきます。

これは、システムとしてまったくおかしいです。

国を滅ぼすシステムです。

 

いまこそ、真剣に、この自信剥奪システムを見直し、

人と人とが関わり合い、助け合える教育をすべきです。

この状況を変えられるのは、教育の当事者である先生です。学校です。

もちろん、取り組んでいる先生もいます。学校もあります。

 

でも、

おかしいな・・・。このままじゃまずいんじゃないかな・・・。

でもまあ、自分1人でやったって、どーせかわんないし・・・。

よけいなことして、目をつけられてもめんどくさいし・・・。

ま、自分の面倒が増えなければ、どーだっていいよ・・・。

は、まさに、自信を奪われた子達の末路なのだろうと思います。

 

北斗の拳というマンガに、南斗白鷺拳のシュウという漢(おとこ)が登場します。

その人の名台詞。

「今より輝こうとする子ども達の光を奪い去ることはゆるさん!」

僕の心を支える言葉です。

 

子ども達の輝きを支え伸ばすことが大人の役目です。

どうか、子ども達を、大人の都合のよい人間にしないでください。

大人のために、子どもの輝きを奪わないでください。

 

子どもの輝きを支えていきましょう。