見敵必殺!じゃない生き方。 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

休み中に、昔録りためていた、東日本大震災の頃のドキュメンタリーを見ていました。

「風化とはこのことか」と思えるほど、いろんなことを忘れていることを

実感しました。

 

それらのドキュメンタリーの中で、

本州のある地域が、過去にあった津波の経験から、

「不便かもしれないけど、ある高さ以下の地域には居住しない」を守り続けて、

その後に何度もあった津波でも、一名の犠牲者も出していない、というものがありました。

 

東日本の震災でも、過去の石碑には、「ここから海側には住んではいけない」というものが、

いくつもあった、と言われています。

 

また、古代文明のドキュメンタリーも見ました。

かつて大勢が暮らしていた都市が、いまでは砂漠になっていて、

誰も暮らすことができない、というものでした。

そういえば、楼蘭という都もあったよねえ・・・。

 

おそらく、かなりの昔から人類は、気候変動や自然災害に出会ってきています。

その結果、居住することができなくなってしまった場所や、

逆に、昔は住めなかったのに、住めるようになった、という場所も沢山あるようです。

そりゃそうだ。

 

今、地球温暖化が問題になっています。

僕は、温暖化によって、人が住めなくなる地域があるだろうとは思っています。

同時に、今まで寒くて住めなかったとこに、人が住めるようになるのかもね、とも思っています。

その際に問題になるのは、「国」や「国境」だろうと思っています。
大昔、「国」という考え方が曖昧だった頃は、気候にあわせて人が移動するのは、
ごくあたりまえの事だったのだと思います。
しかし、「国」や「国民」「民族」が定義されるようになってからは、
動きたくても動けない、という状態になり、問題になるのだと思います。
だから、地球温暖化対策として、もっとも効果的なのは、「国」や「民族」という
概念を無くすることではないかな、と思っています。
同じように、「土地」を「財産」とする考え方も、なくした方がいいと思います。
同じように、水産資源や、地中の資源などのように、人類がそれらを育てたり作ったりするための努力をしていないで、手に入れられちゃうもの、も、「地球の資源」とするような考え方も必要な気がします。
それが本当の「グローバル」という概念では?
 
そうすれば、自然災害だけではなく、戦争などで暮らせなくなって移動してきた人達の
扱い方も、今よりはうんとやりやすくなるのではないかなと思うし、
石油などの資源が戦争の原因になったりするのも、防げる気がします。
 
 
 
僕は、地球の温暖化と、人類の経済活動の間に、因果関係はあるだろうと思います。
でも、人間の経済活動が全ての原因とは言えないと思います。
ただ、現在の資本主義経済圏で通用している「消費しないと回転しない経済システム」は、
よいものではないと思います。
なぜなら、たとえば、たった1人で遭難した場合には、節約した方が豊かになると思います。
無駄遣いをしたほうが豊かになる、というのは、なんとなく、物理的におかしな気がします。
 
植松電機の本業であるマグネットは、
(1)なるべく壊れない。壊れてもすぐに治せる。
(2)運用に際して、油圧ショベルの余剰電力を利用するので、専用の電源を必要としない。
(3)中古の油圧ショベルにも後付けできるので、専用油圧ショベルを買わなくていい。
を20年前から基本コンセプトとしています。
壊れないので、行き渡ったらおしまいなので、なるべく積極的に売らないようにしています。
これは、通常の資本主義ビジネスで考えたら、成り立たないことだと思います。
それでも、植松電機は、20年間やってこれました。
ちなみに僕は、SDGsも、CO2も、意識しないで、
単純に、「お客さんの運用コストを最低限にするにはどうしたらいいのか?」を
考えた結果です。
(あと、人手が足りない会社だったからこそ、修理に行く手間も抑えたかった。)
 
最近、大規模な森林火災が問題になっています。
温暖化のせい、といわれたりもしていますが、実際には、
「昔は、小規模な森林火災が頻発していて、それが自然の防火帯となって、大規模な森林火災にならなかった。ところがいまでは、消火技術が発達して、小規模の森林火災をあっというまに消してしまうので、防火帯がなくなったから、森林火災が大規模化している。」
ということで、海外では、人為的な小規模の山火事などを起こすようにも
なってきているそうです。
「山火事」=「速攻で消す」という考えを突き詰めたら、
山火事が大規模になっちゃったということか。
 
北海道では、エゾシカが減りすぎたので保護をしたら、増えすぎて問題になっています。
 
おそらく、人間には寿命があることと、脳のストレージに限界があることから、
人間の考えは、「浅い」のだと思います。
だから、人間が決めつけたことは、たいていうまくいかないのじゃないかなと思います。
ということで、「温暖化」=「食い止めなくちゃ」=「そのためにはCO2削減!」
ってすると、CO2排出権の売買とか、C02を地中に埋めるためにものすごいエネルギーを使うとか、「再生エネルギーのために、すぐに壊れる風車を山ほどつくって、逆にエネルギー消費が増える。」という問題が起きたりするので、
「温暖化しても大丈夫な社会ってどんなかな?」と、
「無駄遣いは減らそうよ」くらいで、十分な温暖化対策になっちゃうんじゃないのかな、と
僕は思っています。
 
北海道に暮らす僕としては、「除雪しないでも生活できる町」ってのを開発したいなあ、と
思ったりもしてるわけで・・・。
 
見敵必殺!という生き方よりも、
もうちょっと穏やかな生き方でも、いいんじゃないかなあ、と思います。