意志と思考を奪われた人達の怖さ | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

この休み中は、インフルエンザ明けで体調が優れなかったこともアリ、

ほとんどの時間を、

(1)プラモデル

(2)録りたまった番組のCMカットとブルーレィへの焼き込み

に費やした気がします。

はげしく運動不足です。

 

僕が録画するものは、ほとんどがドキュメンタリーです。

なかでも、技術系や歴史系は大好きです。

 

特に最近は、アメリカの公文書の時効公開などのおかげや、

戦争中に隠されていたことを、最後の最後に明らかにしていく人のおかげで、

第二次世界大戦時の様々な新事実を明らかにするドキュメンタリーが面白いです。

 

それらを見ていて、本当に切なくなるのは、日本政府や日本軍の行動です。

 

たとえば、満州には、戦争の末期になっても大勢の農家の方々が、

半ば強制的に開拓のために送られたそうです。

しかし、行った先で、稼ぎ頭の男性はどんどん徴兵されてしまい、

残されたのは、年寄りと女性や子どもです。

そして敗戦。

日本によって農地を奪われていた現地の人達が、農地を取り戻しに来ます。

そういう人を守ることも、日本政府はしません。

なすすべもない年寄りや女性や子どもは、集団自決に追い込まれていったそうです。

 

そして、戦後、それらの政策を推し進めた行政の人達は、

(1)そのときは、それが正しくて良い事だと思っていた。

(2)命令に従っただけだ。

(3)ノルマをこなすためにしょうがなかった。

と言ってのけます。

 
昨年、日本の元国営企業が、保険をひどい方法で販売していたことが明らかになり、
大きな問題になっていました。
原因として、「ノルマ」が問題になっていました。
僕の友人の、その企業で働く人も、「年賀状、暑中見舞い、記念切手のノルマがきつい」と
ぼやいていましたが、おそらく、本当にきついのだろうと思います。
しかし、ノルマがきつくて、不正をする人も、不正をしない人もいます。
 
戦争中でも、
特攻の圧力に屈せずに、特攻をしない部隊もありました。
特攻の命令に従って、部下をどんどん死地に送り込んだ部隊もありました。
民間の人を守るために、必死で戦った部隊もありました。
民間の人を盾にしたり、完全に見捨てて保身に走った部隊もありました。
なにが違うのか?
それは、「自分の思考」と「自分の意志」だと思います。
残念ながら、日本中に蔓延する年功序列のピラミッド型組織を機能させるには、
「下位の人間は思考せず、上位の人間の命令に従うこと」が必要です。
そこでは、「言われたことを、余計なことを考えずに、言われたとおりにやればいいんだ」
という教育が行われます。
しかし、「思考」と「意志」を奪われた人達は、まさにショッカーの戦闘員です。
おかしな事も、間違ったことも、非道なことも、命令されたら、
粛々とやってしまいます。
これは、ものすごく危険なことです。
でもそれが、そこら中にあります。
そして、その教育は、今日も行われています。
 
「思考」と「意志」を奪われた人達は、
なにをしていいのかわかりません。なにができるのかもわかりません。
問題を問題として認識することもできません。
そういう人にできることは、
「他人の意志と思考」に乗っかるか、批判するか、だけです。
すなわち、「付和雷同」です。
 
最近、そういう人が増えている気がします。
なんたって、「意志と思考を持たない人」が教育を行うと、
「意志と思考を持たない人」しか生み出せないからね。
そこから抜け出す道は、「自ら学ぶ」しかないんだけど、
最近の子達は、部活と勉強が忙しすぎて、「自ら学ぶ」時間が極度に少ない気がします。
 
でも、大人も、目の前の仕事に埋没することで、
意志と思考を使わなくてすんでしまうことができます。
 
いま自分がやっている仕事は、
「なぜやっているのかな?」
「どうしてやっているのかな?」
「なんのためにやっているのかな?」
が「わからない」場合は、要注意です。
知らず知らずの間に、恐ろしい事に荷担している可能性があります。
 
時々、真剣に考えて見た方がいいと思います。