子どもが将来の事を考えて悩んでいるときに、
「あなたの好きにしていいんだよ。」と
言ってあげる保護者が増えています。
この段階で、本当はかなり「まずい」です。
なぜなら、これには、「情報」が1ミリも入っていないからです。
どうしていいか迷っている人に、「好きにしろ」というのは、
突き放しているのと同じです。
子どもは、相談する相手を1人失ったことになります。
また、最近の子どもは、そもそも「好き」がよくわからない状態になっています。
なぜなら、主体的に興味や好奇心を持つことが、禁止されている事があるからです。
自分が好きでやりたいことが、学校の勉強と関係ない場合には、
「そんなことしてるヒマがあったら、勉強しなさい!」と言われます。
子ども達は、塾や習い事も忙しくて、自分の時間がとれません。
最近の中学生や高校生に、「何か好きなことないの?」と尋ねても、
せいぜい部活の名前が返ってくるくらいです。
しかもそれは、高校を卒業したらやらなくなってしまう人がほとんどです。
こんな状態で、「あなたの好きなことを選びなさい」と言われても、
好きなことをと言われても、そんなにできることもないし、とくいなこともないし・・・
となってしまったら、せいぜい、学校の勉強の中で、多少は点数がとれがちなもので、
進路を決めてしまうことになります。
でもそれは、かなりよくないことです。
なぜならば、社会には、単科だけで成り立つような仕事はないからです。
ようやく最近になって、クロスカリキュラムという言葉が使われるようになってきましたが、
まだまだ日本の教育は、日本お得意の縦割り行政的な問題を抱えています。
で、もっと「まずい」のが、
「あなたの好きにしていいんだよ。でもね、普通の仕事がいいんじゃないかな。」
です。
この言葉の中の「普通」が、ものすごく「まずい」です。
こう言われたら、「普通」って、なんだ?になります。
一般的な「普通」とは、「平均」になるでしょう。
その瞬間から、「くらべる」がスタートします。
クラスのみんなはどうするのかなあ・・・。
を考えたとき、
自分のいる立場が、成績でちょうど中間くらいであったとしても、
比較対象を探す目は、たいてい、自分より上位に向けられます。
当然、自分は劣って見えます。
そうなると、そもそも、選択肢が劣っているものしか選べない、となってしまいます。
その段階で、自分は普通さえも選べない人間になります。
クラスで成績が上位であったとしても、
自分の立ち位置を考える時、それは、たとえば塾の中での順番であったり、
もしくは、全国模試の順番であったり、が基準となってしまいます。
そうなると、「やっぱり自分は、そもそも普通ではない」になってしまいます。
進路に関する、「普通にしてね」「普通がいいよ」という言葉は、
実は、子どもの自信をものすごく奪っている可能性が高いです。
「好きにしていい」も「普通がいい」も、情報の価値はありません。
こんなの、言わなくたっていい無意味な言葉です。
そして、この言葉は、子どもの自信を奪います。
子どもの進路の悩みに対して、使うべきではない言葉です。
人口増加期には、「普通」は価値でした。
なぜなら、いくらでも仕事が増えていて、人手が足りなかったから、
採用側にとっては「普通」が一番選びやすかったし、それでも、問題はありませんでした。
しかし、いま、人口減少期です。
いまは、仕事がどんどん減っています。自動化も進んでいます。
だから本当は、人手が余って余ってしょうがないはずです。
だのに、日本中人手不足です。
これは、実は、ものすごく恐ろしい事を示しているかも知れません。
日本の教育が作ろうとしている人材が、
社会のニーズにまったく適合していない可能性があります。
だって、本来なら、人手が余る条件下で、人手が足りないんだよ。
素直とまじめと勤勉では、ロボットに負けます。
暗記の量と正確さでも、ロボットに負けます。
普通だと、くらべられて、安い方が選ばれます。
3連発。ジェットストリームアタックかよ。
先日お伺いした中学校の先生が、こんな事を言っていました。
「中学を卒業したら、そのまま専門学校に行く、という子がいるんです。
そのとき、ものすごくこわくなりました。
なぜなら、自分たちはこの子に、社会人に必要なことをなにも教えていない、と思ったからです。
みんな高校に行くものだと思っていたから、高校の受験対策しかしてきませんでした。
ずーっとそうやってきました。
でもそれでは、中卒で社会に出て行く子達にとっては、ぜんぜん不十分なんです。」
そこに気がついてくださったこの先生は、素晴らしいと思います。
日本が迎えた、日本の歴史で最初の「急激な人口減少期」
日本人は、だれもそれを知りません。
知らないからこそ、考えないといけません。
でも、間違いなく言えるのは、「普通」というのは、この人口減少期において、
昔ほどの価値を持っていない、ということです。
どうか、子どもに、「普通」を要求しないであげてください。
だって、自分だってたいして普通じゃないでしょう?