僕は寒さに強い。 | 植松努のブログ

植松努のブログ

講演でしゃべりきれないことを書きます。

僕は、こう見えて、皮下脂肪が厚いです。

 

以前、沖縄でダイビングをしました。

ウェットスーツを着た自分の姿は、まさに、ネイビーシールズ(あしか)

水の抵抗の少なそうな、理想的な水中体型でした。

 

そんな僕は、小さい頃から、家の仕事の手伝いをしていました。

掃除とか、買い物ではありません。

「おい、いまから山の現場に行くぞ!まかないして出てこい!」

(まかないとは、冬の外の現場でも耐えられる装備のこと。おそらく北海道弁。)

 

真冬の、山の中の現場に連れて行かれます。

移動手段は、ジープです。

クローズキャビンではありません。オープン+幌です。

足下のドア部分(ドアももちろん布製です。)には大きな隙間があり、外気がどんどん入ってきます。

基本的に、車内も外気温です。マイナス15度くらい。

 

で、現場について、ブルドーザーのバッテリー交換。
ブルドーザーは、地上では見ないような巨大なもの。重量は40トンとか。
だから、使うバッテリーも尋常ではない。H52型。重量は70kg。
それを、背丈ほどのブルドーザーのキャタピラの上に押し上げて、
そこからさらに、キャビンのシートの下のバッテリーボックスに入れる。
当然、元々ついていたバッテリーは外して持ち帰る。
それを、父さん1人ではできないから、僕が連れて行かれます。

(おそらく、熊が怖かった、というのもあると思います。)

 

雪も降らない、快晴の夜。ものすごい寒さ。でも仕事しなくちゃ。

バッテリーのターミナルを外すには、工具が必要です。

うっかりすると、工具を落として、それがバッテリーのターミナルでショートしたら、

工具が溶けるだけではすみません。
バッテリーも溶けて壊れます。最悪は、水素ガスに火花が引火して、

爆発の危険性もあります。

だから、当然、軍手をはいてできる仕事ではありません。素手です。

工具を懐で暖めてから使います。そうしないと、工具が素手にくっついてしまいます。

 

そういう仕事を、ずいぶんやってきました。

だから僕は、冬に強いです。

そして、僕は冬でも素手でかなりのことができます。

不思議なことに、手が湯気が立つほど暖かくなります。

まるで、元斗皇拳の金色のファルコのようです。(北斗の拳を検索せよ)

 

しかし、植松電機に実験に来る大学生は、みんなスリムです。

エヴァンゲリオンかよ、てくらいスリムです。

彼らは、皮下脂肪が少ないし、冬の外作業の経験もないから、寒がります。

がたがた震えています。

 

そんな彼らを見て、

「なんだお前ら、根性無いな!

今日なんて寒くないぞ!

こんな寒さで震えるなんて、だらしないな!

我慢しろ!気にするな!」

と、言ったってしょうがないです。

 

僕は寒くない。

彼らは寒い。

 

僕がすべきことは、

「この上着着たらいいよ」

「このタイツはいたらいいよ」

「ホッカイロあるよ」

です。

 

いかにして、寒がる彼らが能力を発揮できるようにするのか。

それこそが、僕のすべきことです。

 

しかし、それができない人が多いです。

口でだけ、

「我慢しろ!」

「気にするな!」

「だらしないな!」

「根性無いな!」

と言うだけです。

これでは、状況が改善するわけもないのに。

 

これは、冬の寒さだけではありません。

会社内での人間関係とかでもです。

 

「我慢しろ!」「気にするな!」しか言えない人間は、

相手の立場になって物事を考えられない人間です。

状況をよくしようとする思考力に欠けた人間です。

そういう人は、組織をよくすることはできません。悪くすることはできます。

そういう人は、組織にとってのマイナスです。

 

そういう人は、そういう人によって作り出されます。連鎖します。

いまだに、帝国陸軍顔負けの精神論と根性論の人が少なくないのは、

それが、学校教育に根付いているからです。

戦争を毛嫌いする教育者が、旧帝国軍人と同じ事をやっています。

 

でも、連鎖は断ち切れます。

自分の所で断ち切れます。

自分が、理不尽と戦えばよいのです。論理的に考えればよいのです。

 

自分が耐えられることが、誰もが耐えられると思わない方がいいです。

自分ができることが、誰でもできると思わない方がいいです。

自分の普通や常識を、相手に強要すべきではありません。

と、僕は気を付けています。