主体的な学びを阻害するもの。 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

今朝の朝礼で、会社の仲間が、自分の息子さんの学芸会(学習発表会)での、

劇のことを話してくれました。

 

戦時中の沖縄での、対馬丸の劇だったそうです。

その劇を、子ども達が素晴らしく演じたという話でした。

 

対馬丸といえば、沖縄からの疎開児童を乗せた船です。

疎開の途中で潜水艦に沈められてしまい、大勢が犠牲になりました。

以前、沖縄にいったときに、タクシーの運転手さんが、

弟さんを対馬丸で亡くしたと言うことで、悔しい思いを沢山話してくれたのを

思い出しました。

 

僕は、うろ覚えで、対馬丸は、出航したものの、疎開まかりならんと、引き返す途中で

攻撃されたのかと思っていましたが、

実際には、行く途中で攻撃されたようです。

 

劇が素晴らしかったので、先生の指導が厳しかったのではないかと思ったら、

子ども達が自分たちで話し合って決めていったそうで、先生は強く指導していなかったそうです。

朝礼で、彼は、主体的によりよくを求めた方が、よい結果が出せる。という話を、

息子さんの劇のすばらしさと絡めて話してくれました。

 

これは、確かにそうだろうと思います。

やらされるのか、

やるのか。

そこには、大きな違いがあります。

 

僕は、ベーシックインカムというものにすごく興味があります。

だから、いろんな人に、ベーシックインカムになったらどうするね?と質問します。

とても悲しいことに、日本人から返ってくる答えは、

「え?働かなくてもお金もらえるの?じゃあ、仕事やめる。絶対働かない。」です。

なぜなら、

「仕事とは、言うことを聞いて、お金をもらうことだ。」と教えられるからです。

 

しかし、中には、

「え?生活できるだけのお金もらえるの?だったら、生活の心配が無いから、思いっきり挑戦できる!」という人もいます。

こういう人達は、

「仕事は、社会や人の役にたつもの。」と考えている人達です。

 

僕は、大学に入ったとき、受けられる授業を片っ端から受けました。
単位という概念がわかっていませんでした。
お金を払ってるんだから、沢山受けた方が得だと考えたのです。
 
しかし、同級生から指摘されます。
必要最低限の単位を取っておけばいいんだよ。そうすれば、自由な時間が増えて、遊べる。
余計なことをしたら、損をするよ。
 
そういえば、中学生の時にも言われました。
学校の成績さえ悪くなければいいんだから、学校の成績に関係ないことやったら損をするよ。
 
おそらく、この考えのベースになるのが、
ロボットがいなかった時代の企業が社員に求めた、
「余計なことを考えないで、命令されたこと、命令されたとおりにやればいいんだ!」
なのだと思います。
こういう人達にとっては、主体的な学びは「損」でしかありません。
だから、こういう人達は、成長できません。
 
いま、全国の学校で、主体的な学びの価値が高まっています。
しかしそれは、自動的に、主体的に学びたくない人と、主体的に学ぶ人との、
格差を広げてしまうことになるでしょう。
 
では、子ども達は、本当はどうなのか?
子ども達は、本当は、主体的に学びたいです。遊びたいです。興味と好奇心があります。
でもそれを、
「そんなことやってないで、宿題しなさい!」
「くだらないことやってないで、勉強しなさい!」
としてしまうことで、主体的な学びを失っていくのだと思います。
 
人生の時間を、経験や学びに使うと、損をするのか?
楽をすることが、なにもしないことが、得なのか?
 
人生を、最低限の努力で、最短コースで生きていくと、最低最短の人生になります。
人生は、きっと、寄り道したほうが豊かになります。
 
これからは、「安定、楽、お金」を夢だと思わない生き方が重要になると思います。