不労所得を求めると、無能になる。 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

人生も50年も生きていると、何度かの「不景気」を経験します。

バブル崩壊であったり、拓銀の破綻であったり、リーマンショックであったり・・・

 

で、そう言う時期に急増するのが、

「儲け話」です。

 

出資をすると、何倍にもなりますよ。

友人を紹介してくれると、紹介料がもらえます。

その友人が、別な友人を紹介すると、そこからまた紹介料がもらえます。

 

昔は、ネズミ講と呼ばれましたが、いまは、マルチっていわれてるのかな?

でも、マルチまがい、という表現もあり、なんだか曖昧です。

でも、要するに細胞分裂のようにメンバーが拡大することで、

最初の方の人はエライ儲かる仕組みです。

メンバーが増える限り、成り立ちます。

でも、メンバーの拡大が止まった瞬間に不成立です。

 

ちなみに、1人が2人に、2人が、4人に、4人が、8人に、で計算すると、

27代目で1億2千万人くらいになってしまいます。

国家を挙げてやっても、あっというまに行き詰まります。

 

この仕組みは、実は、紹介料だけで儲かります。

そこになぜ、「出資をすると何倍になる」がついてくるかというと、

単にお金を集めてしまうと法律に違反してしまうから、

資産を運用する、という設定が不可欠だからです。

また、組織を回転させるためにも、当面の現金があった方がいいからです。
 
消費者金融から資金を借りて、それで出資をする、という判断ができてしまうのも、
このシステムの運用益が、消費者金融の金利を超えているからです。
でもね、本当にそうなら、消費者金融が全資産をそこに突っ込むでしょ?
というか、そもそも、そこら中の銀行や保険会社が、全資産をそこに突っ込むでしょ?
 
本当の儲け話があるならば、「上流階級の人達」が独占して、情報は漏れてきません。
下々に流れてくる儲け話は、間違いなく、儲からない話です。
 
だのに、こういう儲からない話に引っかかる人が少なくないです。
それは「不労所得」という考えがあるからです。
 
でもね、もしも、この世界に人が2人しかいなかったら、
片方が働いて、片方はなにもしない。それでも、同じ生活ができる。
というのは、あり得ないでしょう。
 
なぜ、不労所得という概念が生まれるのか。
ぼくはそこに、「時間給」という考え方が影響していると思います。
同じ時間働いたら、アウトプットに関係なく、同じだけ給料もらえるなら、
なるべく仕事しない方が効率的です。
時間給という仕組みでは、「単位時間あたりのアウトプットを増やす」という
モチベーションは、上がるはずもありません。
「なるべくだらだら、ながーく働いた方が儲かる」のですから。
 
いま、働き方改革というもので、日本の労働生産性を向上させようとしていますが、
そもそも、時間給という考え方で、労働生産性が上がるはずもありません。

 

給料少ないから、そんなにがんばらないでおこう。と思ってると、

その給料の額面通りの人生になります。
 
人生の時間を使ってるのだから、修練として、フルスロットルでいこう!と思ってると、
こなした仕事量に比例した人生になります。
やがて、その修練で向上した能力は、もっと高く評価されていくでしょう。
 
生涯所得を決定するのは、
いくらもらえるか、ではなく、
どんだけ人生の時間を能力向上に使ったか、です。
そして、人間の能力は「経験」に比例します。
「不労」では、経験値が増えませんから、無能になります。
だれからも、必要だよ、って言われなくなります。
 
おかしな儲け話に引っかかって、借金背負う人が減ったらいいなあと思います。
そのためにも、まずは「クロサギ」という漫画を読むといいよ。
これは、学校で使う教科書にしてもいいんじゃないかなと思います。