努力してもムダだ、を教える人達は、国家の敵です。 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

僕は、自分なりにかなりがんばって大学受験をしました。

その結果、希望の大学に合格できました。

 

しかし、僕が高校3年の夏休みから勉強して入れるには、理由がありました。

僕が選んだ大学は、当時、国立工業大学の中で、もっとも偏差値が低かったのです。

 

それでも、僕はうれしかったです。

希望にあふれて、学校に行きました。

 

そこで出会った同級生に、なぜこの学校に来たのかを聞かれたので、

僕は、「飛行機やロケットの仕事がしたいから、流体力学を学びに来た」と答えました。

すると、言われました。

「おまえ、何言ってんの。こんな偏差値低い学校に来ちゃったんだもの、自分のやりたい道に行けるわけないだろう。努力したってムダだよ。」

 

まじか。

と思いました。

 

おまけに、教授にも言われました。

「この学校から、航空宇宙産業に行った人はいないねえ。」

 

まじか。

 

僕の中で、炎が消えた気がしました。

 

 

こうなってしまった原因は、

「成績が悪い」=「努力してもムダだ」

ということを教えている人達にあります。

 

たとえば、工業高校。

日本で物づくりをしっかり教えている貴重な学校です。

しかし、中学校の先生の中には、

「お前は普通高校は無理だから、工業高校に行け。」という指導をする人が少なくないです。

おまけに「普通高校に行かないと、進学はできない。」とも教えてくれます。

おまけに「進学しないと、まともな仕事には就けない。」とまで教えてくれます。

これで、人生に希望を持てるかったら、そりゃ難しいでしょう。

捨て鉢になった子達は、工業高校でやさぐれます。

そして、工業高校でがんばりたくて入ってきた子達をつぶしてしまいます。

 

僕も言われました。

「お前の成績で、普通高校に行っても、どうせついて行けないで落ちこぼれるだけだ。だから、最初からレベルの低い学校に行っておけ。」

「お前の成績で、進学コースを選んだって、どうせついて行けないで落ちこぼれるだけだ。だから、就職コースを選べ。」

このどちらも、ある意味、僕の事を案じた上でのアドバイスなのでしょう。

でもね、そこに僕の意志はありますか?

僕は、大学受験前に、模擬試験を受けました。判定結果は「E」でした。

進路の先生からは「だから、〇〇大学にしておけって言ったべや!」と怒鳴られました。

 

夢を持て!

夢を追え!

とさんざん言っておきながら、

いざ、3年生になると、

過去の成績の範囲から未来を選べ、と言われます。

過去の成績とは、変えることが出来ないものです。

それで、未来をあきらめさせられると言うことは、

「努力してもムダだ」と言ってるのと同じです。

 

「こんな会社にはいっちゃったから、努力してもムダさ」

「こんな学校に来ちゃったから、努力してもムダさ」

「こんな成績だから、自分なんて勉強してもムダさ」

そんな悲しい考えを、なぜ植え付けるのか。

ただでさえ人手不足の日本で、なぜ日本人の能力や可能性を奪い取るのか?

そんな教育をしていたら、国が滅んでしまいます。

 

国家の発展は、国民の発展に他ならないです。

それはすなわち、国民が学び、修練することだということです。

しかし、学ぶ気持ちや、修練する気持ちを奪うなんて、おかしいです。

そんなことをする人間は、国家の敵です。

 

でもね。そういうことを言う人に、いくら反論したって通じません。

反論する時間が無駄です。

そして、そういうことを言う人の言うとおりに、人生をあきらめていくなんて、

嫌な人間に自分の人生を操られてると一緒じゃないですか。

そんなのいやです。悔しすぎます。

だから、自分で勝手にがんばるしかないです。

 

お願いだから、

「こんな会社にはいっちゃったから、努力してもムダさ」

「こんな学校に来ちゃったから、努力してもムダさ」

「こんな成績なんだから、勉強してもムダさ」

という、外部の評論なんかに、決して負けないでください。

自分の夢を実現するために、もっとも効果があるのは、

自分の夢を、出会う人出会う人に、かたっぱしからしゃべることです。

もちろん、99%位の確立で、夢は否定されます。評論されます。

でも、そんな言葉は無視です。

たった1人でも、やったことがある人とつながる線が見つかったら、

それをたぐっていけばいいのです。

 

お願いだから、負けないで。

お願いだから、自分の人生をあきらめないで。

お願いだから、捨て鉢にならないで。

お願いだから、「どーせ無理だ」の人間に負けないで。

 

「だったらこうしてみたら」は、壁にぶつかったときに、涙をぬぐっていう言葉です。

でも、この言葉がある限り、負けないです。