僕は、子どもの頃、「人をだますな」と教えられました。
でも、同級生の中には、「人にだまされるな」と教えられていた子もいました。
この言葉は、似たようなものですが、ぜんぜん違いました。
人をだますな、は、だます行為を禁じています。
しかし、
人にだまされるな、は、だます行為を禁じていません。
だから、
人にだまされるな、という教えは、
自分はだましてもいい。だまされる方が悪い。
という考えになってしまうことがあります。
おそらく、この考え方が、
夜道で襲われた女性に対して、
「そんな所を歩いていたお前が悪い」
「そんな格好をしていたお前が悪い」
「襲われるのは、隙があったからだ」
という意見を生み出したりするのではないかと思います。
いまでも、「人にだまされるな」の人と出会ってしまうことがあります。
こういう人達とは、自分の保身のためになら、底の浅い嘘を平気でつきます。
その場限りの、取り繕う嘘をよくつかいます。
だから、こういう人は、ミスを沢山犯しますし、成果も上がりません。
こういう人を信頼することは、不可能です。
「人をだますな」を教えられたのは、小学校の低学年くらいだった気がします。
家庭でも教えられた気がしますが、学校でも教えられた気がします。
紙芝居だったかな・・・。教頭先生が読んでくれたような・・・。
ちなみに、おなじくらいにおぼえているのが「いそがば回れ」です。
その記憶が、いまも僕を縛ります。
だから僕は、儲け話ができません。
形が無い物や、実績の無い物で商売ができません。
開発に、出資や投資も求めることができません。
100%の成果が見込めないことに、他人を巻き込めません。
僕ができることは、銀行からお金を借りて、金利をつけて返すことだけです。
だから、ゆっくりしか前に進めません。
でも、だからこそ、生き残ってこられたんじゃないかと思っています。
「道徳」が学校の教科に格上げになりました。
道徳の教科書も読ませていただいています。
でもちょっと、複雑過ぎるような・・・と感じます。
もうちょっとシンプルな、でも、一生、心のどこかに引っかかってるような言葉のほうが、
いいような気がするなあ・・・と思います。