人をだますな、か、人にだまされるな、か。 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

僕は、子どもの頃、「人をだますな」と教えられました。

でも、同級生の中には、「人にだまされるな」と教えられていた子もいました。

 

この言葉は、似たようなものですが、ぜんぜん違いました。

 

人をだますな、は、だます行為を禁じています。

 

しかし、

 

人にだまされるな、は、だます行為を禁じていません。

 

だから、

人にだまされるな、という教えは、

自分はだましてもいい。だまされる方が悪い。

という考えになってしまうことがあります。

 

おそらく、この考え方が、

夜道で襲われた女性に対して、

「そんな所を歩いていたお前が悪い」

「そんな格好をしていたお前が悪い」

「襲われるのは、隙があったからだ」

という意見を生み出したりするのではないかと思います。

 

いまでも、「人にだまされるな」の人と出会ってしまうことがあります。

こういう人達とは、自分の保身のためになら、底の浅い嘘を平気でつきます。

その場限りの、取り繕う嘘をよくつかいます。

だから、こういう人は、ミスを沢山犯しますし、成果も上がりません。

こういう人を信頼することは、不可能です。

 

「人をだますな」を教えられたのは、小学校の低学年くらいだった気がします。

家庭でも教えられた気がしますが、学校でも教えられた気がします。

紙芝居だったかな・・・。教頭先生が読んでくれたような・・・。

ちなみに、おなじくらいにおぼえているのが「いそがば回れ」です。

その記憶が、いまも僕を縛ります。

 

だから僕は、儲け話ができません。

形が無い物や、実績の無い物で商売ができません。

開発に、出資や投資も求めることができません。

100%の成果が見込めないことに、他人を巻き込めません。

僕ができることは、銀行からお金を借りて、金利をつけて返すことだけです。

だから、ゆっくりしか前に進めません。

でも、だからこそ、生き残ってこられたんじゃないかと思っています。

 

「道徳」が学校の教科に格上げになりました。

道徳の教科書も読ませていただいています。

でもちょっと、複雑過ぎるような・・・と感じます。

もうちょっとシンプルな、でも、一生、心のどこかに引っかかってるような言葉のほうが、

いいような気がするなあ・・・と思います。

 

人の一生に影響を与える、とても大事な教科だと思います。
家庭でゆがめられた道徳を修正することができるのも、学校の道徳だと思います。
でも、ちょっと心配なのは、ずいぶん長いこと、道徳なんて役にたたないと
学校教育で思われていたことです。
いまでも、「そんなことしてる時間があったら、受験対策を」という保護者もいるそうです。
この状況下で、道徳を伝える先生は、大変だろうなあと思います。
でも、がんばって欲しいです。