「どーせ無理」と「無理」はぜんぜん違うよ。 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

僕は、「どーせ無理」という考え方が危険だと思っています。

だから、「だったらこうしてみたら?」と考えたらいいと思っています。

 

しかし時々、「どーせ無理」と「無理」をごっちゃにして考える人がいます。

 

世の中には、思うようにならないことが山ほどあります。

たとえば、天候。

子ども達のロケット教室の時には、よい天気であって欲しいです。

しかし、台風をはじめとして、天気は人間にはどうにもできません。

そのときに、

「台風が来るし、雨の予報だから、ロケット打上はどーせ無理だから、見学をキャンセルしよう。」と考える事もできます。

でも、植松電機に来るのは、修学旅行や見学旅行です。

一生に一度のイベントです。

だから僕は、

(1)学校が植松電機に無理なく来ることができるか確認する。

=学校が安全上の理由から、来ないことを選択したなら、それはしょうがない。

(2)雨雲レーダーと首っ引きで、ロケット打上が可能な時間帯を探す。

(3)それにあわせて、当日のスケジュールを入れ替える。

(4)小雨時に子ども達が濡れないための、移動と展張が容易なテントを多数用意している。

    (もちろん、風対策の重りも沢山用意しています。)

(5)雨で濡れたロケットは、植松電機で乾燥させてから学校に送付する。

(6)もしもどうしてもロケット打上ができなければ、後日学校に出向いて再打上する。

(7)強風対策として、ロケットを回収する範囲をどんどん広げている。

   (敷地中央の道路も赤平市にお願いして購入させてもらいました。道路沿いの電柱も、電線を地中埋設して撤去して、ロケットが引っかからないようにしています。)

という対策をしています。

 

どーせ無理、というのは、人間の考え方です。

問題に対して、真剣に向き合わず、曖昧な情報だけで、

問題解決をしないで済ましてしまうことです。

この言葉は、使った瞬間から、何もしなくてすみます。

考えなくてすみます。すごい楽になります。

だから、この言葉を、楽をするために使う人が沢山います。

 

しかし、「どーせ無理」という考え方は、

(1)思考力を奪う

(2)経験を不可能にする

(3)問題を解決できなくする

その結果として、自信を失います。

そして、自信を失った人は、他人が経験を増やすことや、

問題を解決しようとすることを邪魔しはじめます。

この自信剥奪は、伝染し、拡大していきます。

 

だから僕は、「どーせ無理」という考え方を無くしたいと思っています。

 

そのために、世の中の、対策が無理だと思えるような問題に対して、

「どーせ無理」と投げ出すのか、

「だったらこうしてみたら?」と立ち向かうのか。

ということを伝えようと努力しているのですが、

「どーせ無理」という考え方の楽ちんさに慣れて大人になってしまった人達には、

僕の伝えたいことは理解できません。

僕もそれは十分に承知していますので、

だから、僕は学校でしゃべるのです。

 

「みんなが、どーせ無理、という言葉に出会ってしまったら、

この言葉に反論しなくていいよ。この言葉を使う人と戦わなくていいよ。

心の中だけでいいから、だったらこうしてみたら?って、次の手を考えて見て。

それだけで、みんなは、どーせ無理に負けない、鋼のハートになるから。

そうしたら、みんなのまわりから、いじめや暴力が消えていくから。

できるときだけでかまわないから、力を貸してもらえたらうれしいです。」

 

昨日は、近畿大学で講演でした。

講演後、とてもかわいらしい女の子が追いかけてきてくれて、小さな紙片をくれました。

その紙片には、とても小さい文字が、とても薄く書かれていました。

その小さい文字と、薄い筆圧が、彼女の自信の無さを示しているように見えました。

でも、彼女は、わざわざ書いてくれたのです。

わざわざ追いかけてきてくれて、僕に手紙をくれたのです。

その手紙には、彼女が子どもの頃に受けた虐待と、それによって自信を失ってしまったこと。

そして、いま、そういう人を減らしたくてがんばってることが書かれていました。

僕の仲間でした。

 

がんばってるとさ、いろんなこといわれるよね。

「よーやるわ」「なにそれ自慢?」「意識高い系?」「余裕ある奴はいいよね」

「そんなことしたって、どーせ無理だよ」

でもさ、そんなの、天気とおなじだから。

「だったらこうしてみたら?」で、共に頑張っていこうね。