昨日は、池田市でした。 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

昨日は、大阪の池田市でお話しをさせていただきました。

 

豊中の青年会議所が主催してくださいました。

 

昨日の大阪は、とてもよい天気で、風も涼しくて最高でした。

 

その日は、伊丹空港のそばのホテルに泊まっていたので、

徒歩で会場を目指します。

 

しかし、高速道路が入り組んでいる部分を突破するのがかなり大変。

人間に優しくないのお・・・と思いました。

 

でも、風に吹かれながら、無事に到着。

 

機材の接続もあっというまに完了。対応してくださったホールの方々には

本当に感謝です。

 

そのあと、時間があったので、例によって失踪。

一応、帰着時間を確認して、ちゃんと断ってからの失踪です。

どうしても行きたい場所があったから。

 

教育大学付属の池田小学校に行ってきました。

緩やかな坂道を登っていった先にありました。

とても美しい学校でした。

でも、学校を囲む塀の上には、高圧電気の線が張られています。

それは、とても悲しい光景でした。

 

行ったところで、なにもできません。

また、思い出したくない人もいるかと思って、

手をあわすこともはばかられました。

しょうがないから、学校の向かいにある小さな公園のゴミを拾って帰ってきました。

もしかしたら、子ども達は、この小さな公園で遊んでいるかもしれないから。

 

問題を解決する能力を奪われてしまった人間は、

自分の不遇をまわりのせいにします。

そして、まわりを恨んで、呪って、

そして、自分より弱い立場の人を攻撃する事があります。

歯向かえない人、自分より小さい人、もしくは、

自動車や、エアガン、ガソリン、刃物、大勢・・・

相手に対して、優位に立てる武器等を使って、人を攻撃します。

 

人生には、思うようにならないことがいっぱいです。

改善できることもあれば、やり過ごす、生き延びる、しかないこともあります。

それらの「問題」を、解決するためには、思考力が不可欠です。

そして、思考力と「いい子」を作ろうとする教育は、おそらく反対の存在です。

 

大人から見て、「いい子」を作ろうとする大人は多いです。

「あなたのためを思って」と言います。

でもそれは、実は、「すばらしいトレーナー」という評価を得たいだけだったりします。

大人の、自己満足です。エゴです。

 

「余計なことを考えないで、言われたことを、言われたとおりにやればいいんだ」

「見本のとおりにやりなさい」

整列、行進、右向け右。

某国もびっくりのマスゲーム。

ほら、この子達は、こんなにすばらしい。

この子達を、こんなにしつけたのは、私なんですよ!

 

それは、本当に子ども達のためになっているのかな。

みんなと同じ事ができない子は・・・。

 

子ども達に自我が芽生えると、子ども達は自分のやりたいことをやろうとします。

それを、一方的に禁止したりするだけだと、子どもは、自由になったら、

なんでもやろうとしてしまいます。

重要なのは、自分の行動は、まわりの人に影響を与えるから、

まわりの人の事も思いやって、自分のやりたいことを実現する方法を考える力を

与えることです。

 

最近、問題を解決できない人が、増えている感じがします。

まわりを恨む人や、なんでも、誰かのせいにする人が増えている感じがします。

または、抗うことをやめて、あきらめて、やめて、問題から目をそらすだけの人もいます。

「それは、最近の若いもんは根性がないからだ!こらえ性がないからだ!」と言う人もいます。

でもきっとちがいます。

問題を解決できない大人が、問題を解決できない子どもを増やしているのだと思います。

 

今回の、豊中青年会議所の事業の中で、高校生をカンボジアの孤児院に連れて行く、

というものがありました。

カンボジアの子ども達のために、何をするのかを高校生に考えさせ、

そのための費用を、高校生が募金活動で集めたそうです。

でも、まったく集まらない。

だから考える。

まもなく高校生達は、

「いままでは、お金をもらおうと思っていた。

でも本当は、カンボジアの子達のことを伝えるべきだった。」

に思考が至ります。

そこから、加速度的にお金が集まったそうです。

そして、カンボジアに行き、子ども達と関わり、またさらに多くの事を考えます。

子ども達が食べている食事と、自分たちが食べている食事が、違いすぎる・・・。

教えられなくても、考えさせられなくても、自分で考える。

すばらしいです。

 

教育とは、失敗(問題)を避ける人間を作るためのものではなく、

失敗(問題)を、安全に経験させるためのものであるべきです。

 

そのためにも、子どもに関わる大人は、

自分の目の前にある問題を、乗り越える努力をするべきだと思います。

「忙しい」「時間がない」「お金が無い」「人が足りない」「難しい」などなどの

できない理由を言ってる限り、

問題を解決できない子どもを育ててしまうだけです。