重要なのは「考える」力。そして、そのためには読書が不可欠。 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

今日は、アクセス札幌で「どてらい市」です。
様々な工具や工作機械などの展示即売会です。

植松電機からは、14人ほどが行っています。

 

で、今日は、室蘭工業大学の子達が

ロケットの打ち上げに来ています。

例によって、けっこう大所帯です。

半数が未経験らしいので、慎重に順調に作業が進んでいます。

室蘭からは遠いから、往復の運転が大変です。

 

で、今日は、午後から、月に一度のロケット体験教室です。

いま、駐車場の看板などを設置してきました。

 

植松電機では、一度にいくつものことが進んでいるので、

なかなか人手が足りません。

ただ、植松電機で働くために最も重要な能力は、

「観察」と「自分だったらこうするな」です。

 

都度、新しい要素がとても多いです。

自分が未経験で未体験な、情報が乏しいことをするときに、

もっとも大事なのは、まわりの人を観察することです。

そうすると、「困っていること」「不便なこと」に

気がつくことができます。

その上で「自分だったらこうするな」を考えます。

「あの人は、ああしたいみたいだから、これを準備しておくといいかな?」などを考えます。

そうすると、「できること」がわかります。

 

でもこれって、どんな仕事でもいっしょです。

植松電機特有のことではありません。

 

ちなみに、観察とは、よーく見て、意味を考え、未来を予測することです。

ぼーっと見てるだけは、「傍観」です。

チコちゃんに怒られます。「ぼーっと生きてんじゃねえよ!」

 

いずれにせよ、重要なのは「考える」です。

考える力が無い人間は、命令されたことを、命令通りにするしかありません。だから、命令がないと何もできません。

そしてそれは、ロボットに負けます。

 

いろんな大学生や高校生からメールをもらいます。

だから、ある傾向がわかっています。

自己紹介として、「本が好きです」という文言があったり、

文章の中に、「本に書いてあった」「本で見た」などの文言が出てくる人の文章は、間違いなく、まともです。

意味がわかります。何を伝えたいのかもわかります。

そして、僕が書いたことも理解してくれます。

 

しかし、そういう文言のない人の文章は、

間違いなく、意味がわかりません。何を伝えたいのかも不明確です。そして、100%、僕の書いたことを理解できません。

 

人間が思考するときには、自分の中で、自分に対して、状況を説明します。そのときには、言葉を使用しています。

すなわち、思考するために重要な要素は、「言葉」です。

そして、人間は自分で言葉を生み出すのが難しいです。だから、人間は、言葉を、他者が使った表現から引用します。

それがボキャブラリーです。

ということで、ボキャブラリーが貧困だと、自分に対する説明が不十分になり、自動的に思考も不十分になります。

 

最近、本を読まない、という人がすごく増えています。

これは、思考能力の乏しい人を増やすことになります。

そして、思考能力の乏しい人達は、他人の意見を鵜呑みにします。他人と自分をくらべることでしか自己存在を維持できません。そして、他者を受容できません。(理解力や受容力には思考が不可欠です。)自分の「快」「不快」だけで行動します。

これは、現在の様々な問題の要因になっている気がします。

 

よし、では、読書週間を増やそう!

なんて言って、強制的に読書をさせると、強制が無くなったとたんに、反動で読書をなおさらしなくなるだけです。

 
「本なんか読んだって、何にもならねえよ。」
「勉強なんてしなくても生きていけるんだよ。」
「よくそんな難しい本読めるな?」
「本を読んだら眠くなるんだよね。」
という人達を作り出しているのは、強制的な読書です。
勉強を嫌いにさせる教育です。
 

読書を増やすためには、読書をしたことが、自分の人生にプラスになった経験を増やすことが重要です。

でも、それを提供できるのは、読書の価値を知る人だけです。

そして、残念なことに、そういう人は、いま、どんどん減っています。

日本の将来は、かなりまずい感じです。