長時間労働の規制よりも、「睡眠時間管理」と「普通や常識のすりあわせ」の方が重要だ。 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

僕は、朝6時くらいに会社に行きます。

そして、夜の7時か8時に家に帰ります。

1日に、13時間から14時間会社にいます。

 

出張の時は、早朝から移動し、日付が変わる頃にホテルに入ります。

 

10月から1月くらいまでは、土曜も日曜も仕事です。

 

だから、僕の「残業時間」は、毎月、150時間くらいです。

 

でも僕は、これを約20年続けていますが、元気です。

 

なぜなら、仕事していようが、休んでいようが、人は生きているからです。心臓は動いています。
だから、睡眠時間さえ適切にとれていれば、人は長時間労働では死なない、と、僕は確信しています。
(睡眠時間が十分に得られないような長時間労働は、事故に直結します。だから、残業時間規制ではなく、睡眠時間の管理をしたほうがいいと思います。)

でも、長時間残業がなくても、心を病んでしまう人はいます。
自ら死を選んでしまう人もいます。
それらの原因は、「不条理の強制」であることが多いです。
これは、両者の普通や常識がマッチしないとことが原因です。
それは、人間関係においてかならず生じるのですが、
上司と部下のように、片方が片方に対して支配的な位置にあるとき、「強制」となり、強いられた方がつらくなります。

そういう目にあっている人達は、「あれ?自分の常識が間違っているのかな?」という状況におかれます。
そして、その状況に耐えられないから、つらいです。
でも、そういう人達が、体調を崩そうが、心を病もうが、死を選ぼうが、長時間労働をしていなければ、たいてい「自己責任」で終わりです。

僕は、「睡眠時間管理」と「不条理の強制」の規制をしなければ、いくら長時間労働を制限しても、心を病んでしまう人は減らないだろうと思っています。

睡眠時間の管理は、難しくないですね。
これができれば、プライベートで徹夜して、翌日の仕事で事故を起こす、というのも制限できます。
(たとえば、睡眠時間が不十分な人は、仕事をさせない。とか。航空機の世界ではとっくにやってますね。)

不条理の強制の規制は、ちょっと難しいかもしれません。
つらい思いをしている人の「常識」の方が、常識的ではないこともあるからです。
でも、いずれにしても「これはおかしい。納得できない。」を、適切にくみ上げ、相互に対策をするしくみは、不可能ではないはず。
たとえば、弁護士の人達に助けてもらって、「企業内調停士」というしくみを作ってみてもおもしろいかも。
裁判になる前に、相互に調整するのを、弁護士さんが法に照らしてサポートするとか。
「常識」や「普通」は、当事者同士ではすりあわせるのが難しいからこそ、
専門的な第三者にあいだに入ってもらうのは、効果的だと思います。(あら、新しい資格制度と、新しい仕事がうまれそう?)

そういう意味では「過労死」という言葉も適切ではない気がします。
いままでに、長時間労働してないから、過労じゃないから・・・という理由で、自己責任で片付けられてしまったケースをいくつも見てきたからです。

もっと単純に「ストレス死」という表現とか。
だったら、学校や家庭内にも適用範囲が広がります。

いずれにせよ、日本の労働環境の改善は、
まだまだ旧態依然の「普通」や「常識」から抜け出せていない感じがします。
ああ、ストレスが・・・・