何もしないよりは、何かさせた方がいい、とはかぎらない。 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

子どもが中学校に上がると、部活がはじまります。

いま、国の方針で、部活を減らす方向に向いていますが、

地方ほど、どこ吹く風で、土日も部活をやっています。

労働基準監督署は、もっと真剣に学校の先生の労働環境を改善した方がいいのではないかと思います。

(労働基準監督官は、逮捕権持ってるんですよ。)

僕は、部活の弊害を知っているので、以前から部活の時間を減らした方がいいと発信し続けています。

でも、保護者の中には、

「でもね、部活がないと、家でごろごろしてるか、ゲームしてるだけで、何もしない。何もしないよりは、部活をしていた方がいい。」と言う人も少なくないです。

 

ところがです。

実は、強制されてルーチンをこなすだけばかりをやると、

ますます、主体的に何かをすることができなくなります。

 

重要なのは、「何もしない」から「何かをさせる」ではなく、

なるべく早期に、「自分ですべきことを探してする」経験を積ませることです。

しかし、そういうことは、たいてい、学校の勉強に関係ないという理由で否定されます。
だから、子ども達は、部活と勉強しかしなくなります。
そして、子ども達は、部活と勉強で忙しすぎます。

これから、ロボットがどんどん普及するのが明確な現代社会において、「主体的な行動や思考の力」を著しくそぎ落とすような教育を、保護者が歓迎しているようでは、子ども達の苦しみは増え続けると思います。

僕は、中学生のときも、高校生の時も、休日は、自分の時間を使うのが楽しみでした。
遠くまで自転車でサイクリングしたり、山をさまよったり、何かを作ったり・・・
それらをするために、目的を考え、方法を考え、準備して実行して、反省して、改善して・・・が必要でした。
もっと知りたい。もっと遠くに行きたい。もっとはやくしたい。
「主体的な、よりよくの追求」が僕を突き動かしました。
だから、誰かに指示されるのではなく、自分で考えました。
その経験が、現在の僕を作っていると思います。

最近の若い人達は、本当に見ていて不安になります。
自分の意見がなく、他人の意見を鵜呑みにします。
だから、ルールが絶対です。自分がどう思うか、自分がどうしたいか、がありません。
あいまいが理解できず、正しいか間違ってるかの二極化して判断するから、すぐに矛盾にぶち当たり、その矛盾を消化できません。
これって、性能の低いコンピューターにとてもよく似ています。
そして、そういう人達は、コンピューターに駆逐されます。

 

思考力を失った人間は、ロボット以下です。
愛する我が子の将来を真剣に案じるなら、

部活と勉強以外に、子ども達の「主体的なよりよくの追求」を支える努力が必要です。
 

「追記」
ちなみに、部活や勉強も、主体的なよりよくの追求ができれば、ロボットに負けない人になります。
ただ、ヨーロッパでは、部活(クラブ活動)は運動系と文化系を複数、というケースが多いですし、アメリカでは、定期的に種目を変えるしくみになっていることもあるそうです。可能性を増やすためだそうです。
日本では「一生懸命」の「1」にとらわれている人が多いです。
複数やると「中途半端」と言われることが少なくないですが、
そろそろ、一生懸命の間違った呪縛から抜け出したほうがいいかも。

僕は会社で「日常に埋没しないで」といつも言っていますが、
同じ事の繰り返しのルーチンワークをこなしているだけだと、
主体性や思考力がどんどん失われていくことを経験的に知っているからです。

素直とまじめと勤勉は、ロボットに負ける時代です。