Roll Over Corona(3)川べりの家 | AFTER THE GOLD RUSH

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とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな音楽よ――

働けども働けども金も無く、時間も無く、睡眠もろくにとれずという三密ならぬ三欠生活が続いている身としては、無条件で10万円がもらえるなど、夢のような話のはずなのですが、今回ばかりはそうも言ってはいられないのです。何故なら、ぼくの仕事は緊急事態宣言以降、猫の手も借りたい程忙しく、結果として給料はプラマイゼロという逆説的に恵まれた境遇にあるからでしょうか、心の中のジキルとハイドが相反する意見をぶつけ合って、引き裂かれそうな気分なのです。以下、恥をしのんで、我が心中の葛藤を披歴しましょう。


<ジキル>
今回の自粛要請でその日の暮らしにも困っている人を差し置いて、どうして将来の世代に大きなツケを残すであろう毒饅頭の如き10万円をホクホク顔で受け取れるものでしょうか。ぼくは経済的に平均以下のプアーな暮らしは、自らの甲斐性無しゆえ甘受しますが、精神的に平均以下のさもしく卑しい人間であることは断固拒否します。
巷では10万円で寄附をという話もききますが、経済的に余裕のある方はこういう時だからこそ自分の財布から分相応のお金を出すべきと思うのです。ぼくたちの血税から10万円をちゃっかり受け取っておいて何か良きことのために使うからなぞと悦に入っている小金持ちには、いやいやそもそも、一人が皆を、皆が一人を支えるために税金はあるんじゃないのと言いたくなるのです。
困っていない人は10万円の受け取りをキッパリと拒否することが「困っている人により厚く、より重点的に補償すべき」という正論を貫く決然たる意思表示となり、同時に子供や孫の世代に膨大なツケを残さないという点においても最も賢明な選択と考えるのですが、いかがでしょうか? さらに言えば、このアベ政権の行き当たりばったりの愚策に対し、少々やせ我慢をしてでも反対しなければ、これまでの批判は一体何だったのかということになりはしませんか? さらに加えて言えば、最近、影響力のあるセレブな方々がこぞって言い出している「自分も10万円を受け取る」宣言や、「受け取り拒否は悪」論は、発言の意図がどうであれ、個人の選択の自由を奪う同調圧力以外の何ものでもないということを申し添えておきます。

<ハイド>
先日、テレビでライブハウスの老舗ロフトプロジェクトの苦境が報道されていました。個性的なオーナーに対しては思うところが多々あるハコですが、それでも、半世紀にわたって日本のライブ文化を創ってきた功績や、社長の加藤梅造氏に対する大なり小なりの恩義などから、何か自分に出来ることはないだろうかと考えました。そうなると、クラウド・ファンディングで寄附をするか、無観客ライブの有料配信を視聴するくらいしか思いつかない。要はお金を何らかの形で届けることが一番の救済策であるということにあらためて気づかされたわけです。
その意味において、今回の10万円はチャンスだと思うのです。政府や財務省に任せておいても、どうせぼくたちの税金はろくな使われ方をしないでしょう。ならば、ぼくたち自身が、それぞれの信念に基づいて、よりマシな使い方をすればいいわけです。困っている方は、自分のために使い、困っていない方は、コロナとの戦いの最前線にいる医療従事者に寄付するもよし、苦境に陥っているお気に入りの店やアーティストを支援するのもよいでしょう。
次の世代に負債を残さないためにも、おのおのが10万円を有効に使うべきです。辞退など絶対にすべきではありません。とにかく受け取ること、そして、願わくば、お上が絶対に手を差し伸べないような場所にお金を確実に届けること、これが困っていないぼくたちに課せられた使命のような気さえするのです。

☆☆☆
NHK「ドキュメント72時間」のテーマ曲でもある松崎ナオの「川べりの家」は、彼女の20年以上のキャリアの中でも突出して優れた楽曲であり、畢生の名曲と呼ぶにふさわしい作品といえるでしょう。どこか中期ビートルズを想起させる浮遊感のあるメロディのセンスもさることながら、言葉の選び方が何より素晴らしいのです。「川のせせらぎが聞こえる家を借りて耳をすまし その静けさや激しさを覚えてゆく」あるいは「水溜まりに映っている ボクの家は青く透け 指でいくらかき混ぜても もどってくる」というフレーズ、そして非常時の今は「幸せを守るのではなく 分けてあげる」という言葉に励まされるのです。ぼくは、心の中のハイド氏を支持します。