「音楽の力」異論 | AFTER THE GOLD RUSH

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とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな音楽よ――

「音楽を使ってとか、音楽にメッセージを込めてとか、音楽の社会利用、政治利用が僕は本当に嫌いです。(中略)音楽には暗黒の力がある。ダークフォースを使ってはいけないと子どもの頃から戒めていた。」(2020年2月2日朝日新聞「『音楽の力』は恥ずべき言葉」より)


敬愛する坂本龍一氏のこの発言は竹を割ったように明快であり異論を挟む余地がないように感じる向きも多いであろうが、一方で、例えば、ブロードサイド・バラッドや明治大正演歌、プロテスト・ソング、パンク・ロックなど、権力を皮肉り、おちょくり、時に激しく攻撃し、市井の人々のウサを晴らすような「うた」は、人としてごく自然な感情の発露であると当時に、やはり十分に「社会的」かつ「政治的」であるわけで、かような音楽まで十把一絡げにして否定するというのであればいささか賛同しかねるし、巨匠の明快すぎるステートメントは、タブーと自粛に縛られたこの国の音楽界の内向きで不自由で保守的な体質に(意図せずして)お墨付きを与えるのではないかと危惧もする。

 

音楽の社会利用、政治利用は論外であるが、メッセージ性や政治性をすべて否定するのはあまりに極論に過ぎ、むしろ角を矯めて牛を殺すようなことになりはしないか。最も警戒すべきは、一見非政治的で笑顔に満ちた音楽こそ実は最も政治的であるというパラドックスではなかろうか。約半世紀前に日本のフォーク・ソングが辿った経験から、そのことを学び直したい。