フォークゲリラを知ってるかい? その3 | AFTER THE GOLD RUSH

AFTER THE GOLD RUSH

とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな音楽よ――

駅構内での禁止事項 ぼくがブログを書くのは、大抵土曜か日曜の休日。近所のカフェで珈琲やビールなど飲みながら、吞気に書いているわけだが、昨日のフォークゲリラ(その2)は、珍しくどっと疲れが出てしまった。というのも、ぼくは、あの時代を実際に体験しているわけではないので、例えば、「ぼくたちが肩を組んで『友よ』を合唱している時、百人以上の機動隊がジェラルミンの盾を不気味に光らせながらジリッジリッと迫ってきました」というようなことは、絶対に書けないのである。つまり、「フォークゲリラを知ってるかい?」と問いかけている本人が、実のところは何も知らないのだ。

 

それでは、何故このような無謀な企画に挑んでいるかというと、ぼくの手元に当時の雑誌、新聞、本、映像などの資料があるからだ。これを時系列に沿って並び変え、順に辿っていくと、1969年の5月から7月にかけて、新宿駅西口地下広場で繰り広げられた「ひとつの喜劇(もしくは悲劇)」が浮かびあがってくるのだ。だから、ぼくは、ここで時間軸を1969年の5月に戻し、皆さんと一緒に、今一度地下広場へと戻ろうと思う。

 

●1969年5月14日(水)
この日、次のような記事が朝日新聞の朝刊に載った。これが騒動の発端だった。


<演説・カンパ活動一掃 -今夜実力行使して 新宿西口広場から>
 新宿駅西口地下広場が学生のカンパ活動や集会で“占拠”されているのは通行人に迷惑と、淀橋署は14日夕、機動隊の応援を得て一斉排除に乗り出す。
 同広場は駅構内と都道の接するところで、乗降客を含めて1日ざっと百万人が通る。ところが毎週土曜日のべ平連集会をはじめ、学生のカンパ活動、各種演説会などがあり、これが通行の妨げになるという。これまで何度か警告してきたが、効き目がないため、同署は機動隊百人と署員50人の大部隊で実力排除することとなった。
 この排除に抵抗すれば、道交法違反や鉄道営業法違反を適用する構え。
 これに対し、詩集売りまで排除されるとしたら、新宿の“味”がなくなるという声も周囲の人からあがっている。

 

翌15日の朝日新聞には、「消えそうな“新宿名物”」と題して、次のような記事が掲載されている。


1969年5月14日新宿駅西口広場  東京の新宿駅西口地下広場で見慣れたカンパ活動やフォークソングの集まり、詩集売りに対し、淀橋署は14日夕から「違法行為であるから禁止する」と、機動隊ら85人を繰り出して実力排除に乗り出した。生まれたばかりの“新宿名物”が消えてゆこうとしている。(中略)

 淀橋署のT署長によると、このカンパや集まりの“被害”は「通行の妨げになったり、騒音で近くの公衆電話で話ができない」ことで、多い日には十人も苦情を言ってくるそうだ。
 一方、べ平連の青年たちは「歌を通してコミュニケーションのできる場所がほかに、東京のどこにありますか。そんなに通行人の迷惑になっているだろうか」という。

 

 14日夕、掲示の前で足を止める人たちの声を拾ってみた。
 「人の輪の外側をちょっと回るだけのことでしょう。なにも機動隊まで出なくても」
 「迷惑には違いない」
 「やっぱり違法行為はいけませんよ」
 「にぎやかでいいよ」
 「ここを通ると社会勉強になる」
 「朝夕2回、駐車場の外側を大回りさせられているでしょ。それにくらべたらカンパや集会による迷惑なんて・・・・」
 「もともとこの駅は“民衆駅”のはず。民衆の活躍する場であってもいいじゃないスか」
 ものものしい排除に驚く声、自分たちの広場が消えてゆくことへの抗議の声が、とくに西口ビル街に勤めるサラリーマンや若者たちに多かった。

 

 憲法と行政法専門の和田英夫明大法学部長も、「都市生活者には気軽にフランクに語り合うための“集(つど)いの場”が必要だ。この広場に集まる人たちが暴徒化する恐れはいまのところないようだし、民主政治ののびやかな成長のためにも、そっと見守ってやっていいのではないか。道交法や鉄道営業法の運用に、その程度の弾力性を持たせても、法秩序が破壊されることにはなるまい」という意見だ。(1969年5月15日朝日新聞)

 

補足すると、淀橋署が禁止したのは、「演説、合唱、その他人寄せ行為、ビラの貼付および配布、署名および寄付行為、許可のない物品の販売」を西口地下広場で行うこと。道路交通法、鉄道営業法によるという。
当時、朝日ジャーナルは、「西口地下広場に『戒厳令』が布かれ、機動隊が横行するようになったのは、一説によると、多彩な反戦活動をますます積極果敢にくりひろげようとするべ平連と大衆の間の分断策だったとか。いや、そんな高級なおもんばかりでなしに出世コースの近道といわれる淀橋警察署長の位置からすれば、そのおひざもとに、毎週何百かの人間が集まって、時の首相『栄ちゃん』を皮肉った反戦歌を歌われるのは、ノイローゼの種だったという説もある」と分析している。

 

そして、この「戒厳令」施行後最初の土曜日-つまり、フォークゲリラの出動日-が3日後にやってくるのである。はたして彼らはあらわれるのか。(つづく)

フォークゲリラを知ってるかい? その4