フォークゲリラを知ってるかい? その4 | AFTER THE GOLD RUSH

AFTER THE GOLD RUSH

とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな音楽よ――

●1969年5月17日(土)


毎日新聞(69年5月18日) 淀橋警察署が、新宿駅西口地下広場での「合唱、カンパ」等を禁止する通達を出してから、最初の土曜日がやってきた。そう、土曜日―、ギターで“武装”したフォーク・ゲリラ達が、地下広場に出動する日だ。この年の2月以来、夕方6時になると彼らは現れ、「We Shall Overcome」や「栄ちゃんのバラード」などの反戦フォークを歌い、足をとめた通行人たちと合唱し、時にベトナム戦争や平和についてディスカッションしていた。“ゲリラ”はここでは決して浮いた存在ではなかった。広場には、彼らのほかにも、闘争のカンパを呼び掛ける学生、ビラまき、それらを取り巻き議論する市民の群れ、詩集売りの少女、等々が雑多で猥雑なエネルギーを発散し、地下の空間は、眩しくも自由な空気で満たされていた。

 

しかし、この日の地下広場はいつもと違った。戒厳令を思わせる物々しい雰囲気が漂っていた。何人もの制服警官がトランシーバー片手に巡回し、誰かれ構わず職務質問する。まるで地下広場の通行人全員が犯罪者だといわんばかりに。
そんな“一触即発”の空気の中、彼らは現れた。


  「突然2台のギターが鳴り出した。
    ♪プレイボーイ プレイガール
    ♪勝手なまねするなーー
  とたんに、ワッと人が寄ってくる。びっくりするほどの人数だ。
  真正面にカメラの放列。それを囲む人垣。
  ものの1分も歌わないうちに、制服警官の一団が、人垣を強引にかきわけて入ってくる。
  ギターを弾く2人の両手をとって、有無を言わさず連れ出そうとする。
  たちまち人垣がくずれる。
  『何だ、何をするんだ』 『帰れよ、何しに来たんだよ』 『歌を歌って悪いのか』
  そして数百人が警官に向かって、『カエレ、カエレ』の大合唱。
  その中を、警官は2人をとり囲んで、地下道の方へ移動した。
  追いかける人の群れが、警官の壁で制止される。
  ギターの2人は、腕を押えられながらもなおも、『We Shall Overcome』を、『友よ』を弾き続ける。
  警官はやめさせようとしたが、私たちは歌い続けた。繰り返し繰り返し。
  この時ほど『We Shall』が、『友よ』が美しく聞こえたことはなかった。胸があつくなるのを感じる」(*1)

 

この時の状況を、朝日新聞は次のように報道している。

Folk Guerrilla
  「新宿駅西口地下広場、午後6時7分
  交番裏の柱のかげからギターをかかえた若者2人がするりと姿をみせる。
  ギターをかきならして、『友よ 夜明け前の闇の中でーー』と歌いだす。
  とたんにクツ音を響かせて制服警官30人ほどがワッとばかり2人をとりかこむ。
  『カエレ、カエレ』。まわりの人垣からいっせいに声がかかる。
  追い立てられながら若者たちが陽気に歌う。
  ♪セーギの味方 おまわりさーん
  ♪勝手なマネするなーー」(*2)

 

この日、彼らは少人数で分散して歌う作戦に出たようだ。一がドヂっても、ニが再び攻める。それは文字通り“ゲリラ”だった。フォークソングという銃弾で、敵を“撃つ”。

 

  「午後6時29分 若者たちがまた交番の裏に集まり出した。
  ♪友よ 夜明けは近いーー
  ギターをかきならすは別の2人組。通行人がどっととりかこむ。
  『おい、手をつなげ』『こわい、東口へ行こうよ』『ナンセンス、ここで歌おう』
  腕を組んだ小さな輪が2重、3重となる。
  『こちら淀橋署、道路に立っていると・・・』。マイクの声がききとれない。
  すかさず、『おまわりさん、立止まっていると道路交通法違反です』 」(*2)

 

時を同じくして新宿駅東口広場には、べ平連の宣伝カーが止められ、マイクからは抗議のことばとフォークソングの歌声が流れ出していた。西口を追われた“合唱隊”も東へと移動し、東口広場はやがて大きな人垣と歌声で埋まった。


  「しばらく東口で歌っているうち、西口でまた合唱が始まっているという知らせが届く。
  今度は3台のギターが西口へ。
  弾き始めてじきに排除され、前より増えた合唱隊は、通行中の市民も含めて警官に抗議を繰り返した。
  驚いたことに、乱闘服の機動隊があらわれて、集まった人々を蹴散らそうとする。
  広場で歌う素手の市民と、紺のヘルメットの機動隊員。これが『西口広場』の実態だったのだ」(*1)


歌を排除
 

  「乱闘服姿の機動隊150人出動。たちまち、人垣はくずれる。
  『立ち止まらないで歩けっ』『ぐずぐずしているとケガをするぞっ』などと荒々しい声が乱闘服からあがる。
  『民衆駅』といわれる新宿で、人びとは、待ち合わせをする自由も失ったかのようだ。
  『ケガ』は、機動隊がいなければ起こりえないことだろうに。
  それからは、機動隊と合唱の文字通りいたちごっこだった。
  若者たちは、メットもかぶらずゲバ棒も持たず、ひったてられるかたわらから現われて、
  美しくしかも執念深く歌った、民衆とともに」(*3)


  「また、輪ができた。少女が涙ぐみながら『勝利の日まで・・・』と歌う。
  受験生ブルースをもじった『機動隊ブルース』を歌う。
   ♪おいで皆さんきいとくれ
   ♪ボクは悲しい機動隊
   ♪砂をかむよな味気ない
   ♪ボクの話をきいとくれ」(*2)

 

  「3度目、勇敢なる“合唱隊”はギターを持たずに西口で歌った。

  小さな輪があちこちに生まれ、それは討論へと移っていった。

  その間も東口の集会は続けられ、歌声は9時過ぎまで絶えなかった。」(*1)

 

こうして、5月17日の騒動は終わった。朝日ジャーナルは、この日のレポートを次のような文章で締めくくっている。

「若者たちは、これからも歌い続けてゆくと宣言している。やがてかれらの仲間から負傷者や逮捕者が出てくるにちがいない。そしてこの夜の新宿の機動隊の態度からすれば、これは、決して暗すぎる予想ではないだろう。そうなってもなお、かれらが、メットをかぶらず、ゲバ棒をもたず、『友よ、夜明けは近い』と歌いながら捕えられてゆく柔軟な姿勢を持続するよう望みたい。それのみが、弱者の蘇生の道だろう。」(*3)

 

そして翌週、歌声は、巨大なエネルギーとなって、西口広場を“占拠”する。(つづく)

腰まで泥まみれ

 

参考文献
*1吉岡忍編著「フォーク・ゲリラとは何者か」自由国民社、1970年
*2 朝日新聞(1969年5月18日)
*3 朝日ジャーナル(1969年6月1日号)