AFTER THE GOLD RUSH

とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな音楽よ――


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今朝のニュースで、ロンドンでまたテロが起こったことを知った。ロンドン橋上での暴走車による凶行。6人が命を奪われたという。先月末には、アフガニスタンの首都カブールの官庁街で自動車爆弾が爆発し、死者は90人に達した。その前週には、マンチェスターのコンサート会場での自爆テロ。8歳の少女を含む22人が犠牲となった。

マンチェスターの犠牲者は、程なくして全員の顔と名前とその人柄が世界中に報じられた。10代の少女、カップル、子供を迎えに来た保護者。彼ら、彼女たちは、まるでぼくの昔からの友人や子供達のように思えた。マンチェスター!遡ること30年以上前に特別な思い入れを持って聴いていたジョイ・ディビジョン、ニュー・オーダー、スミスらを輩出した都市。犠牲となった親たちは、ぼくと同世代の者が多く、彼らもどこかで、その音楽を耳にしていたのではないだろうか。

先日の朝、出勤前に偶々見たテレビのニュースが忘れられない。マンチェスター市内の広場で行われたテロ犠牲者を追悼する集会。黙祷を捧げる人々の間から、オアシスの「Don’t Look Back in Anger」の合唱が自然と始まった。怒りをもって振り返ってはいけない。その歌声はさざ波のように広がり、ぼくの心を強く揺さぶった。思えば、ストーン・ローゼズ以降のマンチェスターの音楽シーンには然程シンパシーを感じたことはなかった。何よりオアシスに熱狂するにはもう歳を取りすぎていた。そんなぼくが唐突に心揺さぶられたのは、彼らの歌が20年の時を経て、人々の生活と切り離せない「民衆の歌」となったことに今更ながら気付かされたからであろう。願わくば、カブールで命を落とした90人の犠牲者にも顔と名前と追悼の歌を。

 

(6/5追記 ロンドン橋テロの死者は、その後7人となった。)

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山城博治(ヒロジ)は怒っていた。有明防災公園で開催された5.3憲法集会。会場を埋め尽くした5万5千人の参加者の前で、腕を振り上げ、声を嗄らしながら、「辺野古で護岸工事と称する埋め立ての一部が始まろうとしている。しかし、埋め立てはできない。新基地はできない。沖縄県民は、政府と真っ向から抗していく。我々は負けないのだッ!」と力強く叫ぶ姿は、まるで燃えたぎる憤怒の炎に包まれたシーサーのようであった。彼の怒りの刃の切っ先は、憲法を改悪し戦争の道へと突き進まんとする安倍政権に、すべての抵抗運動を圧殺する危険性を孕んだ共謀罪に、さらに、厄介な問題は何もかも沖縄に押し付け、晴天泰平の夢をむさぼっている厚顔無恥なヤマトンチュに向けられていた。

沖縄平和運動センターの議長。昨年10月、辺野古の新基地建設と東村高江地区のヘリパッド建設への抗議活動に関連して逮捕・起訴され、5ケ月間にわたって長期拘留された。この不当な弾圧に対して、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは「デモや座り込みを含む抗議行動を表現の自由として保障する義務を日本政府は負っており、山城さんの逮捕・拘禁は運動への委縮効果を生む恐れがある」との懸念を表明し、検察当局に「国際人権基準に則って速やかに釈放するよう」強く求めていた。このような支援を受け、3月にようやく保釈。しかし、厳しい接見条件が付いているため、いまだに辺野古の現場には戻れない。ならばと、全国を回って、沖縄の現状を伝えることにした。

とにかく滅法明るい人である。4日に渋谷のロフト9で開催されたトークイベント「山城博治さんと語ろう」でも、満員の会場は何度も爆笑の渦に包まれた。「状況が厳しいので、心折れないように、自分の心を支え、周囲の人の心も気遣いながら、このように語り合う時間が今一番大切なのです」と静かに話し出す。それは、前日の憲法集会で激烈なアジテーションを飛ばした人と同一人物は思えない程穏やかで柔らかな口調。そして、自らの深刻な事象や問題を明るくユーモラスに描写する語り口は、楽天的で大らかなウチナーンチュの気質から来るものであろうか。聴衆を惹きつけ、一時も飽きさせることがない。誰もが目を輝かせながら、ヒロジさんの話に聴き入っている。

「沖縄には、日本国憲法で保障されているはずの平和も人権もない。まさに憲法番外地。一刻も早く本来の日本国憲法を取り戻したい。」
「日本政府にこれだけ無理を強いられると、沖縄の人の心は本土から離反し、独立も考え出すだろう。しかし、沖縄の独自の文化は、日本の中でも輝き、日本を非常に豊かなものにしている。だから私たちは手を携え、共に進んでいかなければならない。」
「一千万の人が観光に来る島に軍事基地を置いた方が経済的効果があるなんて議論は倒錯していて話にならん。平和でなくては、観光も成立しないのです。」
熱い言葉がポンポンと飛び出す。

安倍首相が前日に発表した、憲法第9条の1項と2項を残しつつ自衛隊の存在を明記した条文を追加するという提案については、「安倍さん位の頭じゃないと理解できない」と笑い飛ばしつつも、憲法改悪が現実のものとなった今、来るべき衆議院選挙では改憲勢力に3分の2をとらせてはいけない、政党も市民も小異を捨てて、「憲法を変えさせない 日本を軍事国家にしない」の一点で共闘すべきと訴える。

会の後半は、マガジン9編集長の鈴木耕さんの司会で、映画監督の三上智恵さん、社民党前党首の福島瑞穂さん、元自衛官の井筒高雄さん、SEALDs琉球の元山仁士郎さんも加わったトークとなり、日米地位協定の問題、先島諸島の軍事化の問題、そして、共謀罪の問題などが真剣に、そして一方で、何度も笑いに包まれながらの明るく勇気に満ちたムードで語られた。

ヒロジさんは、2年前、悪性リンパ腫で5ケ月間の壮絶な闘病生活を経験している。そして、昨年は5ケ月間の拘置生活、しかし、いずれも乗り越えた。その姿を、三上智恵監督は、不死鳥に例える。三上監督の作品「戦場ぬ止み」に印象深いシーンがある。2015年1月10日深夜の辺野古シュワブゲート前。騙し討ちのように入ってきた工事用のミキサー車20台に、ヒロジさんを先頭に住民有志が立ちはだかる。抗議の末、10台は阻止した。逮捕者も出さなかった。しかし、別の場所で一人の住民が逮捕されたことを知る。ヒロジさんは、仲間に話す。
「夜が明けたら取り返しに行こう。名護署を包囲しよう。誰か捕まりそうになったら、それを最優先で取り返す。仲間を救うことができなければ大衆運動はできないんです。大衆運動は、一人の人間を全員で助け出すという決意があるからできるんです。捕まった奴は自己責任と言ったら、恐ろしくて誰もやれない。ね、いいですね。いつも言ってる。大衆運動は、誰か捕まりそうになったら、皆で助ける。」
この決意を、2012年6月以降の東京の運動は忘れてしまったのではないだろうか。そして、その運動の変質こそが、現在の大衆行動の無力化の一因のような気がしてならない。
(主催の大木晴子さんとロフトの加藤梅造さんに心より感謝いたします。)

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七尾旅人ワンマンツアー 雨男なのだろうか。近頃は、雨の日とライブ観戦が重なることが多い。あらためて書くまでもないが、雨の日のライブは辛い。それが寒い冬の夜となると尚更だ。冷たい雨に打たれながら開場を待つ時間のやるせなさ。この歳になると、もうそれだけで挫けそうな気分になる。先週(1月8日)の七尾旅人のライブは、まさにそういうシチュエーションでの開催となった。会場は、鶯谷駅近くの東京キネマ倶楽部。グランドキャバレーを改修して劇場にリニューアルしたこのハコのことは、かねてより存在は知っていたが、足を運ぶのは今回が初めてだ。そして、この淫靡でレトロ趣味なハコが、新年早々、ライブとハコのあるべき姿を考えさせるきっかけとなった。


まず、現状報告をしよう。ぼくが会場に到着したのは、開場20分前の午後4時40分。既にこの時点で、ビルの軒下は雨宿りをするファンで溢れ、そこに入れない多くの人たち――少なく見積もっても百人以上――は、路上で傘を差しながら、開場を待っていた。やがて5時になり、スタッフの指示に従い整理番号順に入場することとなったが、ここからが大変な時間を要した。というのも、5百名を超える観客を、定員10名弱の狭隘なエレベーター2基で6階の会場までピストン輸送していくため、整理番号が後ろの者は延々と待たされることになるのだ。結局、ぼくがエレベーターに乗ることができたのは、開演20分前の午後5時40分、つまり、ここまでで約1時間、冷雨の中立ち続けていたことになる。それでもさほど疲労を感じなかったのは、肉体的な苦痛より、最高の音楽を聴くことができるという高揚感の方が勝っていたからだろう。そして、もう一つ、会場に入れば、座席に腰を下ろせるという安堵感もあった。しかし、その楽観的観測は、フロアに足を踏み入れた瞬間、打ち砕かれることとなった。ステージ前方に設けられた自由席は既に満席であり、半数以上の観客は、その後方に何層にも連なって「立ち見」をしている状態であったのだ。これはまずいことになった、と思った。何故なら、この日、ぼくは妻を連れてきていたからである。一人であれば、何時間の「立ち見」でも耐えられる覚悟はできている。しかし、同伴者にそれを強い ることはできない。迷いと後悔が交錯する中、旅人の演奏は始まった。七尾旅人 それは期待に違わぬ素晴らしいパフォーマンスであった。ガットギターの爪弾きに乗せて呟くように歌われるシンプルなリリックは、ノイジーな電子音とアフリカの精霊に導かれるかのように、情熱的でソウルフルな咆哮へとメタモルフォーゼしていった。文字通り引き込まれるように旅人の演奏に聴きいった。2時間近く経った頃だろうか。突然、異変は起こった。隣にいた女性がドタッという音を立てて、床に倒れ込んだのだ。正確に言うと床に座り込んだのだが、その唐突さは、まるで倒れ込んだかのように見えた。「大丈夫ですか」「えぇ(大丈夫)、少し立ちくらみが――」。会場が暗くて、顔の表情は分からないが、床にべったりと座りこんだその様子は、明らかに具合が悪そうだ。係員を呼ぼうと、上階につながる螺旋階段の方に行くと、驚いたことに、階段の上から下まで、若い女性や年配の男性が憔悴しきった表情で座り込んでいるのだ。螺旋状の階段のため、上方では、ステージの様子はおろか音も満足に聴こえないにも関わらず。ぼくは、係員に体調を崩した女性がいることを説明し、その後、程なくして、妻と会場を後にした。ライブは、この後も2時間以上続いたらしいが、ぼくにはもう残って聴き続けるという選択肢はなかった。


繰り返し書くが、旅人は最高のパフォーマンスで迎えてくれた。では、何が問題だったのか。今後の改善を期して大きく次の2点を指摘しておきたい。
まず、チケット購入時の案内の不親切さだ。今回、入場者の約半数、ざっと見たところ2百人以上が席に座れず、立ち見での観戦となった。主催者側は、当然、そのことを知りながらチケットを売り捌いている。ならば、事前に、整理番号○番台以降は立見になること、もしくは、もっとシンプルに、座席+立見の公演であることを周知しておくべきではなかったのか。公演場所が劇場であること、さらに、「全自由」という紛らわしい表記に惑わされ、てっきり人数分の「自由席」があるものと思い込んだオッチョコチョイは、ぼくひとりではないはずだ。


2点目、これが最も重要な点なのだが、音楽はその内容に合った環境で演奏されなければ、聴衆は決して満足しないということだ。パンクやヘヴィメタルなら、スタンディングのモッシュ状態で汗まみれになって盛り上がるのも良かろう。しかし、旅人のそれは、静謐で、室内楽的な趣を備え、一方で、凡百のパンクスの比ではない暴力性と狂気を孕んでいることは理解しつつも、決して、踊ったり、騒いだり、ダイブしながら聴く類の音楽ではない。4時間のライブを敢行したサービス精神は大いに称賛されるべきだが、満員電車さながらのすし詰めの立見状態では、有難味も半減ではないか。先日のヘロンの高円寺公演でも感じたのだが、フォーク・ミュージックをオールスタンディングのハコで鑑賞させる興行主のセンスには、首を傾げるばかりである。そこには、詰め込めるだけ詰め込んでとにかく稼ぎまっせという守銭奴の腐臭が漂うのみで、音楽への愛なぞ微塵も感じられない。


この夜のライブは、子連れの若いファミリーが多く、あちこちから幼子の泣き声が聞こえた。それは、旅人のハートウォームな歌声と共鳴し、ぼくにはとても素敵な音楽に聴こえた。「6歳未満お断りとか言っている奴はミュージシャン辞めればいいのに。むしろ大人は来なくていい」と冗談まじりに発した旅人のMCに強く共感しつつも、ならば、高齢層やハンディキャップを抱えた客のことも考えなければ、片手落ちであろうと思う。世代や障害を超えて、誰もがユニバーサルに楽しむことのできるライブ環境を整備しなければ、日本のライブ文化は早晩廃れるであろう。いや、むしろ、そのようなものは、不味いドリンクを強制的に飲まされるライブハウスと共に絶滅してしまってよいとさえ思ってしまうのだ。

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「ヒットソング」の作りかた

2005年10月から翌1月にかけて、音楽プロデューサーの牧村憲一氏がnov46名義で執筆されていたはてなダイアリー「1968年夢の海岸物語または音楽史」は、日本のフォーク・ロック・ポップス史に関心のある者なら垂涎ものの情報満載の驚くべきブログであった。それは、2005年2月に岐阜県中津川市坂下町で発生した一家殺人事件の報せを聞いた氏が、35年前に同市で開催され、自らも実行委員として関わった全日本フォーク・ジャンボリーを回想する下りから始まる。そして、話はさながらジェットコースターの如く、70年代(大瀧詠一、山下達郎、大貫妙子、竹内まりや)、80年代(加藤和彦、YMO、忌野清志郎、細野晴臣&ノン・スタンダード)、90年代初頭(フリッパーズギター、L⇔R)まで、日本のポップス黎明期を同伴したミュージシャンとの知られざるエピソードを織り交ぜながら、四半世紀の時を一気に駆け抜けていく。毎日更新される改行無しの2千字の文章は、牧村氏の魂の叫びのようで、読む度に背筋が伸びる思いがしたことを記憶している。もう一つ個人的に忘れられないのは、このブログが果たした“広場”としての機能だ。コメント欄を通じて、オランダの薔薇氏、SIDEWAYS氏、江戸門弾鉄(現・金多萬亀)氏、kumoQ氏、さらに、SCRAPS氏、subterranean(現Takimoto)氏などの素晴らしい音楽仲間との交流が始まった。もっとも、ぼく自身の不徳の致すところで、彼らとのつながりは今やほぼすべて失われてしまったが――。牧村氏に関していえば、ポリスター本社のスタジオに、オランダの薔薇氏、SIDEWAYS氏と共に招待され、爆音でティン・パン・アレイの秘蔵ライブ音源を聴かせていただき、その後恵比須駅近くのレストランに場所を移し、ブログには書けなかった秘話を沢山聴かせてもらったことは、一生忘れないであろう。もう時効であろうから書くが、当時氏が構想されていた日本版RHINOプロジェクトに関する打ち明け話は、今思い出しても震えが出るほど興奮してしまう。今月刊行された『「ヒットソング」の作り方〜大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち』は、牧村氏が、そのはてなダイアリーをベースに書き下ろした私的音楽史であり、同時に、ポップス不毛地帯であった我が国でいかにして“都市の音楽”が創られ、広まっていったかを生々しく証言する極めて重要な一次資料である。氏の誠実なお人柄が伝わる暖かく端正な文章で綴られた本書は、すべての音楽ファンにとって、心に響く贈り物となるであろう。そして、刊行直前に48歳の若さでこの世を去った黒沢健一氏に捧ぐかのように、本書は、敢えてL⇔RとWITSレーベルの時代に触れることなく、その直前で幕を閉じる。元四人囃子のドラマー岡井大二氏との再会、そして「ラギーズ」と名乗る兄弟バンドとの出会いから始まる続編に大いに期待したい。(nov46氏へのオマージュとして、一切改行無しの記事とした。読みにくいゾ。)

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自分はロイ・アップス派であることをあらためて認識させられた。と書いても、何のことやら、であろう。英国フォークきっての田園派ヘロン(HERON)は、ロイ・アップスとジェラルド・T・ムーアという2人の優れたシンガー・ソングライターを擁する。11月14日、雨のそぼ降る高円寺で行われた初来日ライブにおいて、容姿、ヴォーカル、演奏共に現役感を持ってグループを牽引していたのはブルージーなムーアの方だったかもしれない。しかし、ヘロンであることの存在証明たる、牧歌的で、穏やかで、甘い風の香りがする郷愁感に満ちた音楽を届けてくれたのは、アップスのヴォーカルとギターであった。そりゃもう圧倒的に。

 

このゆるい演奏とコーラスが放つ心地良い振動を他人に伝えるのは難しい。もしかしたらそれは、ヘロン愛好家だけが特権的に感じ取ることのできるグッド・バイブレーション、すなわちパストラル・フォークの魔法なのかもしれない。

 

熊のように丸々と太り、隠居したカウボーイのようないでたちで、温厚な笑みを浮かべ、「マイ・メディスン」とおどけながら缶ビールを飲むアップス。確かに老いた。しかし、目を瞑れば、眼前に浮かぶのは、英国の緑眩しい田園風景に屹立する長髪の4人の若者の姿だ。彼らは今もそこで、鳥のさえずりや草木が風にそよぐ音に合わせ、ギターを爪弾き、鍵盤を奏で、パーカッションを叩く。三層に重なった歌声は、木漏れ日の中で琥珀色をした密造酒になる。すっかり酔ったぼくは、彼らと一緒にディランの「ジョーカーマン」を歌う。あぁこれは、ムーアのヴォーカルだった。それもまた良かろう。つまるところ、ぼくは、絶対的なヘロン派なのだ。

 

◆Heron -Jokerman

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戦争屋と結託し、ロシアやイランとの交戦も辞さない超タカ派のヒラリーと、レイシストでミソジニストで反知性主義の不動産王トランプのどちらがリーダーに相応しいか、これはもう究極の選択と言わざるをえない。だからドナルド・トランプが大統領選で勝利したことに驚きも悲観もしない。ただ警戒するのみである。そして、我が国では既に、彼らに負けず劣らず好戦的で反知性的な極右政権が圧倒的な支持率を得ているという点こそ、驚き、悲観すべき現実であろう。

 

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ボブ・ディランのノーベル文学章受賞のニュースを聞いて以来、ぼくの心はそわそわと落ち着かず、まるで場違いな場所に迷い込んだかのような、着心地の悪い服を着ているかのような、そんなしっくりこない気分の日々が続いている。まもなく一月が経とうとしているというのに、この違和感からいまだに脱却することができない。

 

無論、嬉しくないわけがない。当然の受賞であり、半世紀前に「ジョアンナのビジョン」で成し遂げた偉業に鑑みれば、もっと早く取って然るべきであったとさえ思う。ウンザリしてしまうのは、「辞退した方がカッコ良かった」「反戦歌手がダイナマイト王の章を受けるとは失望した」などと見当違いの批判をする輩が少なからず存在し、そういう戯言を抜かす連中に限って、ディランの作品といえば「風に吹かれて」と「戦争の親玉」、それとせいぜい「ライク・ア・ローリングストーン」位しか認識していないように見受けられることだ。昨日の“にわかディラン評論家”は、今日は“にわかアメリカ大統領選評論家”となり、明日は“にわかTPP評論家”の顔をして、ワイドショーで稼ぎまくることだろう。いやはや、お忙しいこった。

 

もっと性質の悪いのが、30年以上も前に発表された古の楽曲を得意気に掘り出してきて、「ディランはイスラエルの戦争犯罪を擁護していた」などと周回遅れも甚だしい告発を始める自称人道主義者の一群であり、この手の腐敗した政治臭がプンプンする連中は、歌詞の重層性や多義性を読み解く能力も無く、そもそもディランが問題の歌「Neighborhood Bully」のほかにイスラエル擁護の発言をしたことがあるのかさえ調べようともしない。ただ高みに立って糾弾するのみ。何たる知的退廃!

 

Neighborhood Bully――直訳すると、近所の「弱いものイジメをする奴」であり、ディランは、イスラエルを「イジメっ子」もしくは「ゴロツキ」に準え、しかしゴロツキもまた悲しいし辛いのだと歌っているようにも聴こえる。確かにパレスチナ人の塗炭の苦しみは一切描かれていないし、爆弾工場の下りは、前年(1982年)に発生したパレスチナ難民大量虐殺事件(サブラー・シャティーラ事件)に対する無知を曝け出しているようにも思える。しかし、気を付けなければならないのは、それはあくまでも「聴こえる」もしくは「思える」という聴き手側の印象であり、ディラン自身は何一つ特定も断定もしていないのである。ぼくの解釈としては、Bullyという比喩を使っている時点で、この歌を独善的なイスラエル讃歌と判断するのは短絡的に過ぎると思うし、むしろ悪漢の立場から世界を視るという点に、ディラン一流のシニカルで複眼的な詩心を感じてしまうのだが、どうだろう?

 

そして何より特筆すべきは、「Neighborhood Bully」の楽曲としての完成度の高さである。スピード感溢れるメロディ、力強くシャウトするヴォーカル、マーク・ノップラーとミック・テイラーのソリッドなリード・ギター、これらが混然一体となり、まるで70年代のローリング・ストーンズを彷彿とさせる豪放なロックンロールナンバーに仕上がっている。この曲が収録された「インフィデル」は、ぼくがリアルタイムで初めて聴いたディランの新作アルバムであり、掛け値なしに良い曲、良いヴォーカル、良い演奏で満たされた傑作と信じてやまない。特に冒頭を飾る「ジョーカーマン」は、内向的なキリスト教信仰時代を経て、ディランのリリックが再び“世界”との接点を持ったことを宣言する記念碑的ナンバー。この歌を今年、かの英国フォークの雄ヘロンが得意の田園スタイルでカバーしたことにも驚いたが、それ以上に彼らが今月来日するという報せには絶句するのみであった。ライブ観戦報告も含め、その話はまた次回。

 

◆Bob Dylan - Jokerman

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松本隆氏が、数年前に東京を離れ、神戸、そして、現在は京都で暮らしていることを、今月号の「月刊京都~音楽の街、京都」に掲載された氏の巻頭インタビューで知り、とにかく驚いた。松本隆氏ほどぼくが思い抱く東京のイメージに合致する人はいないからだ。青山生まれの生粋の東京人であり、東京をテーマに数多くの名作を創り、時代の最先端を、華やかな芸能界を、あのバブルの狂乱の時をスマートに疾走しながら、一方で幻の風街、すなわち、1964年以前の東京の原風景に拘り続けた唯一無二の都市の詩人。ぼくは、松本隆氏不在の東京という現実を容易に受け入れることができない。同時に忸怩たる思いにも駆られる。少なからず東京に関わる仕事に携わっていながら、松本氏の深い絶望を知ることなく、みすみす彼を地方に移住させてしまったことに。松本氏同様、絶望のうちに東京を離れていった友人、知人に対しても自らの無力さを恥じ入る。

 

彼らが離れていった理由は様々であろう。都市の記憶を根こそぎ破壊する無秩序かつ暴力的な再開発(それは愚かな永久運動のようだ)、極端な競争主義と個人主義の帰結たる殺伐とした人間関係、非人間的な通勤・居住環境、近い将来勃発するであろう首都直下型大地震、そして、見えない恐怖として存在し続ける放射能に対する不安感。それらは、ぼく自身の深層心理にも確実に存在し、日々ストレスとなってじわじわと心身を蝕んでいる。だから、東京を離れた彼らの気持ちは良く分かる。分かるのだが、どこかしっくりこない点があるのもまた事実だ。つまり、東京で生まれ育ち、東京ならではのメリットを存分に享受し、事あるごとに東京人であることを自負してきた彼らだからこそ、あえて“踏みとどまる”という選択肢もあったのではないか?

 

かくいうぼくも、時折、自分が巨大な廃墟の中にいるかのような錯覚にとらわれることがある。生まれ育った団地も、公園も、学校もすべて再開発で取り壊され、幼少期の記憶の原風景はもはやどこにも存在しない。かつて愛した新宿も絶え間なく変貌し続け、ここ数年ですっかり見知らぬ街になってしまった。しかし、この廃墟のような都市のどこかに、ぼくの故郷は依然として存在するし、この街を失ったら、デラシネ、もしくは、ジプシーのように、寄る辺なく彷徨い続けるであろうことを知っている。だから、ぼくは、松本氏や友人達が見切りを付けた東京に居残り、解体前の雑居ビルに、黒く湿った木造長屋に、その他無数のうらびれた風景に、幻の風街を探すのである。

 

東京の地下に“やみくろ”という奇怪な生物が棲みつき、都市の残りものを食べ、汚水を飲んで生きているという。独自の知性や宗教を持ち、地下に紛れ込んできた工事の作業員などを捕まえて、肉を食べることもあるそうな。これは、村上春樹氏が小説「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」で描いた都市のイメージであり、このもののけを建築家の磯崎新氏は、1985年の新都庁舎コンペに提出した「東京都新都庁舎のためのプロポーザル」に引用した。すなわち「新宿の地下深く“やみくろ”に住みついてもらわねばならない」と。松本隆氏もまた、はつぴぃえんど時代に、麻布は暗闇坂にガマの妖怪ならぬ、むささびの妖怪“ももんがー”が棲みついているとし、都市の中に潜む“闇”を魅惑的な歌にした。しかし、同じ闇に生息する妖怪とはいえ、やみくろとももんがでは随分と印象が違う。前者には、都市伝説的な邪悪な情念を感じるのに対し、後者の印象は、フォークロア的な神秘性とある種のユーモアであり、どす黒い邪気とは無縁である。

 

今の東京は、神秘的な闇の世界の化身であった“ももんが”が地上から駆逐され、欲望や邪気の結晶たる“やみくろ”のみが暗い地下の底で蠢く、そんなグロテスクな都市に成り下がってしまったのではないか。松本隆氏や友人達が東京を離れた一番の要因は、そこにあるのかもしれない。

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3・11以降の残酷に切断された日常を詩情溢れるポップスに昇華させた傑作アルバム「リトルメロディ」以来4年のブランクを経て発表された七尾旅人の新作は、昨年11月に渋谷で行われた特殊ワンマン「兵士A」のライブ映像作品。「近い将来、数十年ぶりに1人目の戦死者となる自衛官、または日本国防軍兵士」である兵士Aに扮し、3時間、MCも拍手も歓声もない張りつめた舞台空間で、ガットギターとサンプラーと梅津和時のサックスのみというミニマムな楽器編成にて戦後(過去)~戦前(現在)~戦中(未来)を生きる市井の人々のおよそ一世紀に渡る物語を綴る。それは、1945年の敗戦から現代まで日本が辿ってきた道程を父親世代の視点で回想することから始まり、兵士Aの平和な少年時代を象徴する自転車のベルが電子音の耳障りなノイズで掻き消されると、ショッピングモールでの恋人達の語らいは「もうすぐ戦争が始まる 買い物を済ませよう」と不穏な様相を帯び始め、どこかの国に派兵された兵士Aは少年兵を殺戮し、自らも戦死、やがて日本の国土全体が戦火に覆われていく――。旅人は、この絶望的に暗鬱なストーリーを、イマジネーションに富んだ豊潤な言葉と、美しく静謐なメロディーでさながら水彩画の如き透明な感触をもって描き出す。決して告発しないし、抗議もしない。だから、これは、フォークソングでもプロテストソングでもない。正気と狂気の狭間をたゆたう幾千、幾万もの“兵士A”とこの国の行方を詠った壮大な叙事詩なのである。「うた」は、兵士A以前と以降で大きく変わってしまうのかもしれない。

 

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~或いは「闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう(後編)」~

 

公の場で政治的な見解を表明するのは、しごく勇気のいることだ。右だの左だのとレッテル貼りされ、疎んじられ、これまで築き上げた人間関係を壊してしまうのではないか。反対者から猛烈な批判や中傷を浴びるのではないか。そして何より、己の生半可な知識で政治に口を出す資格があるのだろうかという畏れ、たじろぎ、怯み・・・、これらの感情が入り混じり、それは神の御手のように重くのしかかり、開きかけた口を固く噤ませてしまう。

 

どうしてかくも気が滅入るような逡巡を経てまで、政治のことを語らねばならないのだろう。自分一人が熱くなったところで世の中が良くなるわけでもなし。むしろ周囲の雰囲気が悪くなるばかりではないか。ならば、余計な事は口にせず、昨日観た映画やサッカー、もしくはレアな中古レコードやラーメンの話でもしていた方が楽しいし、畢竟それが賢い生き方というものだ。黙っていよう。目を背けていよう――。その時、人は深刻な思考停止状態に陥る。何故、映画やサッカーや中古レコードと同じ地平で政治の話をしてはいけないのか。濃厚な豚骨ラーメンをたらふく食べた後の得も言われぬ至福の満腹感と若干の罪悪感の延長線上に現政権への嫌悪感が存在していてはいけないのか。そんなことすら自問自答できぬ程、ぼくたちの脳は手懐けられ、束縛され、絶望的に破壊されてしまったのか。

 

1970年代前半のジョン・レノンは、かくの如き事なかれ主義とは全く無縁であった。今、世の中で起こっていることを素早く歌にし、大きなものにノーを突きつけることに一切躊躇しなかった。歌が陳腐化するとか、暗喩に乏しく芸術性に欠けるとか、保守的なビートルズファンが離れるとか、そんなケチなことはおよそ考えなかった。恐らくこの時期のジョンにとって、歌は、ストリートで投擲される石礫や火炎瓶と同義の、戦争や差別や弾圧と闘うための強力な武器であった。そして、彼はそれを徹頭徹尾、非暴力的にやり遂げるために、歌という手段を選んだ。

 

ジョンとヨーコが1972年6月に発表したアルバム「サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ」がいまだにぼくの心を震わせるのは、聴く度に彼のそのような“覚悟”を感じるからだ。いみじくもジョン自身「歌で伝える、という点が異なるだけで、ぼくたちはジャーナリストのようなものだ(*1)」と述べていたとおり、収録曲は、さながらタブロイド紙の如く、特定の事件や人名――英国の北アイルランド政策、投獄されたブラックパンサーの女性指導者、アッティカ刑務所の囚人暴動など――で溢れ、それらに対する彼の意志が敢然と表明される。これは、アーティストにとって極めてリスクの大きい表現方法だ。現に批評家連中からは手厳しい評価を受けた。なるほど、特定の出来事の記述や政治的主張は、歌を加速度的に時代遅れにしてしまう側面があることは否定しない。そして、天性の詩人であるジョンであれば、かような直接的な表現は避け、暗喩で暈すことなどいとも簡単にできたであろう。しかし、彼は敢えてそうしなかった。何故なら、歌を武器にして闘いの場に身を置くことを決意したからであり、そうであるが故に、暗喩で誤魔化すことなく、誰にでも分かる言葉で己の立ち位置を明確にしておく必要があったのだ。

 

そもそも、歌にメタファーや言葉の多義性が必要だなどと誰が決めたのだ。日本でもやたらとそういう「分かったようなこと」を持ち出して、高田渡氏の「自衛隊に入ろう」や中川五郎氏の「大きな壁が崩れる」などのプロテストソングを執拗に攻撃し貶める音楽ライターがいるが、ぼくに言わせれば、そういう輩は「うた」の本質というものを全く理解していない。卑しくも音楽業界のおこぼれで飯を食っているのなら、少しはフォークソングの歴史を勉強しろと言いたくなるが、まぁ、この手の連中は不勉強な上に独りよがりな思い込みが激しいので何を言っても無駄であろう。殺人事件や権力者への揶揄といった(三面記事的な)最新ニュースを題材としたブロードサイド・バラッド、或いは、ボブ・ディランの「ハッティ・キャロルの寂しい死」や「ハリケーン」の例を挙げるまでもなく、「うた」本来が持つジャーナリスティックな機能を軽視すべきではないし、政治を一切排除した「うた」こそ、実は極めて政治的であるというパラドックスに気付くべきであろう。

 

ジョンの政治的な季節は決して長いものではなく、1972年11月7日、米大統領選挙でリチャード・ニクソンが圧倒的な得票で再選を果たした夜、ひとまず訣別の時を迎えた。挫折感や無力感もあっただろうが、それ以上にジェリー・ルービンをはじめとする反体制活動家の仲間内でいがみ合い中傷し合う陰湿な左翼体質への失望感が彼を政治運動から遠ざけたように思う。しかし、そのことをもって、彼の闘志が潰えたわけではない。ニクソン再選の1年前、ジョン・シンクレア支援コンサートで行ったスピーチにこそ、ジョンが生涯抱き続けたであろうファイトの真髄があるのではないか。

無関心でいる場合じゃないんだ。ぼくたちには何かやれることがある。フラワー・パワーはダメだった、って言うやつもいる。そう言われて、で、何だってんだ? もう一度はじめればいいんだよ(*2)」。
ぼくたちも、もう一度はじめればいいのだ。

*1、*2「革命のジョン・レノン: サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ」(ジェイムズ・A・ミッチェル著、石崎一樹訳)より引用

 

 

 

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