AFTER THE GOLD RUSH

とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな音楽よ――


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3・11以降の残酷に切断された日常を詩情溢れるポップスに昇華させた傑作アルバム「リトルメロディ」以来4年のブランクを経て発表された七尾旅人の新作は、昨年11月に渋谷で行われた特殊ワンマン「兵士A」のライブ映像作品。「近い将来、数十年ぶりに1人目の戦死者となる自衛官、または日本国防軍兵士」である兵士Aに扮し、3時間、MCも拍手も歓声もない張りつめた舞台空間で、ガットギターとサンプラーと梅津和時のサックスのみというミニマムな楽器編成にて戦後(過去)~戦前(現在)~戦中(未来)を生きる市井の人々のおよそ一世紀に渡る物語を綴る。それは、1945年の敗戦から現代まで日本が辿ってきた道程を父親世代の視点で回想することから始まり、兵士Aの平和な少年時代を象徴する自転車のベルが電子音の耳障りなノイズで掻き消されると、ショッピングモールでの恋人達の語らいは「もうすぐ戦争が始まる 買い物を済ませよう」と不穏な様相を帯び始め、どこかの国に派兵された兵士Aは少年兵を殺戮し、自らも戦死、やがて日本の国土全体が戦火に覆われていく――。旅人は、この絶望的に暗鬱なストーリーを、イマジネーションに富んだ豊潤な言葉と、美しく静謐なメロディーでさながら水彩画の如き透明な感触をもって描き出す。決して告発しないし、抗議もしない。だから、これは、フォークソングでもプロテストソングでもない。正気と狂気の狭間をたゆたう幾千、幾万もの“兵士A”とこの国の行方を詠った壮大な叙事詩なのである。「うた」は、兵士A以前と以降で大きく変わってしまうのかもしれない。

 

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~或いは「闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう(後編)」~

 

公の場で政治的な見解を表明するのは、しごく勇気のいることだ。右だの左だのとレッテル貼りされ、疎んじられ、これまで築き上げた人間関係を壊してしまうのではないか。反対者から猛烈な批判や中傷を浴びるのではないか。そして何より、己の生半可な知識で政治に口を出す資格があるのだろうかという畏れ、たじろぎ、怯み・・・、これらの感情が入り混じり、それは神の御手のように重くのしかかり、開きかけた口を固く噤ませてしまう。

 

どうしてかくも気が滅入るような逡巡を経てまで、政治のことを語らねばならないのだろう。自分一人が熱くなったところで世の中が良くなるわけでもなし。むしろ周囲の雰囲気が悪くなるばかりではないか。ならば、余計な事は口にせず、昨日観た映画やサッカー、もしくはレアな中古レコードやラーメンの話でもしていた方が楽しいし、畢竟それが賢い生き方というものだ。黙っていよう。目を背けていよう――。その時、人は深刻な思考停止状態に陥る。何故、映画やサッカーや中古レコードと同じ地平で政治の話をしてはいけないのか。濃厚な豚骨ラーメンをたらふく食べた後の得も言われぬ至福の満腹感と若干の罪悪感の延長線上に現政権への嫌悪感が存在していてはいけないのか。そんなことすら自問自答できぬ程、ぼくたちの脳は手懐けられ、束縛され、絶望的に破壊されてしまったのか。

 

1970年代前半のジョン・レノンは、かくの如き事なかれ主義とは全く無縁であった。今、世の中で起こっていることを素早く歌にし、大きなものにノーを突きつけることに一切躊躇しなかった。歌が陳腐化するとか、暗喩に乏しく芸術性に欠けるとか、保守的なビートルズファンが離れるとか、そんなケチなことはおよそ考えなかった。恐らくこの時期のジョンにとって、歌は、ストリートで投擲される石礫や火炎瓶と同義の、戦争や差別や弾圧と闘うための強力な武器であった。そして、彼はそれを徹頭徹尾、非暴力的にやり遂げるために、歌という手段を選んだ。

 

ジョンとヨーコが1972年6月に発表したアルバム「サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ」がいまだにぼくの心を震わせるのは、聴く度に彼のそのような“覚悟”を感じるからだ。いみじくもジョン自身「歌で伝える、という点が異なるだけで、ぼくたちはジャーナリストのようなものだ(*1)」と述べていたとおり、収録曲は、さながらタブロイド紙の如く、特定の事件や人名――英国の北アイルランド政策、投獄されたブラックパンサーの女性指導者、アッティカ刑務所の囚人暴動など――で溢れ、それらに対する彼の意志が敢然と表明される。これは、アーティストにとって極めてリスクの大きい表現方法だ。現に批評家連中からは手厳しい評価を受けた。なるほど、特定の出来事の記述や政治的主張は、歌を加速度的に時代遅れにしてしまう側面があることは否定しない。そして、天性の詩人であるジョンであれば、かような直接的な表現は避け、暗喩で暈すことなどいとも簡単にできたであろう。しかし、彼は敢えてそうしなかった。何故なら、歌を武器にして闘いの場に身を置くことを決意したからであり、そうであるが故に、暗喩で誤魔化すことなく、誰にでも分かる言葉で己の立ち位置を明確にしておく必要があったのだ。

 

そもそも、歌にメタファーや言葉の多義性が必要だなどと誰が決めたのだ。日本でもやたらとそういう「分かったようなこと」を持ち出して、高田渡氏の「自衛隊に入ろう」や中川五郎氏の「大きな壁が崩れる」などのプロテストソングを執拗に攻撃し貶める音楽ライターがいるが、ぼくに言わせれば、そういう輩は「うた」の本質というものを全く理解していない。卑しくも音楽業界のおこぼれで飯を食っているのなら、少しはフォークソングの歴史を勉強しろと言いたくなるが、まぁ、この手の連中は不勉強な上に独りよがりな思い込みが激しいので何を言っても無駄であろう。殺人事件や権力者への揶揄といった(三面記事的な)最新ニュースを題材としたブロードサイド・バラッド、或いは、ボブ・ディランの「ハッティ・キャロルの寂しい死」や「ハリケーン」の例を挙げるまでもなく、「うた」本来が持つジャーナリスティックな機能を軽視すべきではないし、政治を一切排除した「うた」こそ、実は極めて政治的であるというパラドックスに気付くべきであろう。

 

ジョンの政治的な季節は決して長いものではなく、1972年11月7日、米大統領選挙でリチャード・ニクソンが圧倒的な得票で再選を果たした夜、ひとまず訣別の時を迎えた。挫折感や無力感もあっただろうが、それ以上にジェリー・ルービンをはじめとする反体制活動家の仲間内でいがみ合い中傷し合う陰湿な左翼体質への失望感が彼を政治運動から遠ざけたように思う。しかし、そのことをもって、彼の闘志が潰えたわけではない。ニクソン再選の1年前、ジョン・シンクレア支援コンサートで行ったスピーチにこそ、ジョンが生涯抱き続けたであろうファイトの真髄があるのではないか。

無関心でいる場合じゃないんだ。ぼくたちには何かやれることがある。フラワー・パワーはダメだった、って言うやつもいる。そう言われて、で、何だってんだ? もう一度はじめればいいんだよ(*2)」。
ぼくたちも、もう一度はじめればいいのだ。

*1、*2「革命のジョン・レノン: サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ」(ジェイムズ・A・ミッチェル著、石崎一樹訳)より引用

 

 

 

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米国シアトルを拠点に活動するインディ系フォーク・ロック・バンド、ザ・ヘッド・アンド・ザ・ハート(The Head and the Heart)が、この秋3年ぶりのニューアルバムを発表するという報せに一瞬胸躍らせつつも、まるで重力が半減したかのごとく軽く薄味な仕上がりであった2ndアルバムにいたく失望した身としては、期待半分、不安半分といったところでアップされたばかりの新曲を試聴してみると、これが、さらに重力が衰えて、今やフワフワと空中浮遊してしまいそうなくらいスーパーライトな出来栄えなのである。冬の雨に打たれ、重く垂れこめた黒雲を、ドン・キホーテよろしく両手で押し上げようと奮闘していたジョナサン・ラッセルはもうここにはいない。彼は今やリゾートの達人のようになってしまった。

 

5年前の彼らは、フレッド・ニール、トム・ラッシュ、デイヴ・ヴァン・ロンクといった米国民謡の先人達の血脈を受け継ぎ、それらを混合し、オリジナルな言葉とメロディーで勝負していた点において、正しくフォーク・バンドであった。1stアルバム収録の「Lost In My Mind」は、ルーツミュージックへの敬意と、2010年代を生きる若者達の暗澹たる心象風景をミクスチャーした佳曲。この地点に彼らが戻ることはないのだろうか。

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「6・5全国総がかり大行動」終了後の国会前(右手前が菱山南帆子さん)

 

かほどに無力感と絶望感に打ちひしがれる集会はいまだかつて経験したことがなかった。いや、誤解の無いように書いておかなければなるまい。集会の運営や登壇者のすべてが悪かったわけではない。ビートルズ来日の話から始まった御年80歳になる音楽評論家湯川れい子さんのスピーチは、竹を割ったように明快で大変勇気付けられるものであったし、SEALDs奥田君のスピーチは、相変わらずの晴々としたバカっぽさ全開(失礼!)で、これで院生大丈夫か?と余計な心配こそしたものの、「安倍さん、まだ弾は残っとるがよー!」と「仁義なき戦い」における故菅原文太氏の名セリフを引用した締めは、憎いほどキマっていた。そして、何より、菱山南帆子さんの若々しく元気一杯のコールは、集まった4万の人々のやるせない気持ちを一体化し、国会周辺に響き渡る巨大なシュプレヒコールへと昇華させた。

 

ぼくが、敗北と絶望を見たのは、登壇した国会議員の面々にだ。民進党の枝野幹事長などは、またぞろ「私達こそが本当の保守だ」などとほざき、参加者の失笑をかっていた。西欧におけるリベラル左派の凋落を見るがよい。彼らは一様に保守にすり寄り、自らの素性を隠蔽したが故に従来の支持者から見放されたのではないか。一方で、社会民主主義者を自認するバーニー・サンダースの躍進はどうだ。一本筋の通った左派―すなわち、自らの思想信条に誇りを持って行動できる真の社会民主主義者であれば、必ず支持する層がいる。政治家たるもの、断じて鵺(ぬえ)であってはならないのだ。

 

さらに言えば、現在の政党の在り様を固定化したままの野党共闘など、売れ残って硬くなった団子ほどの価値しかない。立憲主義の確立は勿論大切なことだが、一方で、正式な手続きを経て9条を改悪しようという勢力も一緒くたの“野合”では、全くお話にならないではないか。民進党の右派の連中など、選挙の間は大人しくしているものの、当選した暁には、改憲派としての素顔をさらけ出し、憲法改正の国会発議に必要な3分の2議席を補完することに甘美な喜びを見出すに違いない。

 

つまるところ、気骨のある学者や文化人や市民が結集し、既存政党を真っ二つにかち割って受け皿となる“新しい政党”を創り出せなかったことが、無力感と敗北感を増幅させる要因なのだ。残念ながら、小林節もぼくには鵺に見える。彼のかねてからの自論を知っている者としては、変節と転向の度合が激しすぎて、戸惑いしか覚えない。どこまで信用してよいものか、真意を図りかねているというのが正直なところだ。

 

悲観的な話になった。では、お前はどうするのだ?という厳しい問いかけが匕首のように首筋に突きつけられていることを実感する。震えながら答えよう。まずは、当たり前の話ではあるが、候補者一人一人の主義主張を十分に吟味した上で、よりマシな方に投票する。その際、安保法制及び憲法改正に反対か否かが大きな判断のポイントになることは言うまでもない。そしてもう一つは、無力感に苛まれつつも、挫けずに、路上で意思表示し続けることも重要だ。確かに、プラカードを掲げ叫んだところで、世の中何も変わらないし、ガス抜きにすぎないのではとの懸念もあるが、それでも数は力である。これは紛うことなき真実だ。もし今日の集会に、4万ではなく、40万の人々が集まっていたら、世論の風向きは変わったかもしれない。(この点において、かつて頭数批判をした自分を厳しく自己批判する。)

 

散会後、ステージで帰路のアナウンスをする菱山さんは、心なしか疲れて見えた。もしかすると、彼女の頑張りはこのまま報われることなく暗い時代の中で遭難してしまうかもしれない。この次の集会もまた、無力感と絶望感に打ちひしがれる結果に終わるかもしれない。それでも、彼女は、彼らは、路上に立ち続けることだろう。何故なら、それこそが、私たちの生きている証だから。

 

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プリンスの訃報は、22日の朝、通勤電車の中で知った。驚きはしたものの、さほどの感慨はなく、むしろ一向に収束しない熊本地震のことが気になり、スマホの画面は被災地情報へとスクロールされていった。思えば、1987年に発表された「Sign 'O' the Times」を最後にプリンスの新作は聴いていない。そんなぼくが、彼の死に際して、人生の恩人を喪ったかのごとく大袈裟に嘆いてみたり、半可通な音楽論をぶつことなどおこがましすぎてできるわけがないのだ。それでも、ぼくにとって、ある時期、プリンスが唯一無二の存在であったこともまた事実であり、それは、あのカラフルなジャケットが印象的な「Around the World in a Day」の発表をピークとする前後2年間程で、特に、1985年夏、当時居候していた飯田橋のマンションで、同じように共同生活をしていたバンドのメンバーと、飽きもせず毎日このアルバムを聴いていたことを思い出す。中でもとびきりポップでファンキーな「Pop Life」は、座右の銘にしたい位、好きな言葉、好きなメロディー満載の曲で、「誰もがトップになれるわけじゃない/でもポップに生きなきゃ人生まったくイカさないぜ」と歌われるサビのフレーズは、30年以上経った今も、時折ふっと頭の中でリフレインされることがある。残念ながら、今以てまったくポップに生きてはいないのだが。

 

実は、かなり以前にその当時のことを書いた記憶があり、過去記事を検索してみると、丁度10年前に書いた「極私的音楽ヨタ話77-06の旅」と題する全12回の連載記事がヒットした。大抵が削除したい欲求に駆られるため、基本的に過去記事は読み返さないようにしているのだが、今回は少しばかり懐かしく、ほぅこんなこと書いていたのかとぼんやり読み返していた時、意外なことに気が付いた。それは、1985年編の1話目(連載では「その8」)のFacebook シェアボタンのカウンターが何と1万越えしているのだ。

これは一体どういうことなのだろう? 何かの間違いではないのか? 謙遜するわけではなく、大した記事ではないのだ。しかも10年前に書いた文章である。Facebookを利用されている方で真相をご存じの方がいたら、是非教えてください。

 

今月発売された「『ビートルズと日本』熱狂の記録~新聞、テレビ、週刊誌、ラジオが伝えた『ビートルズ現象』のすべて」(大村亨著)は、資料収集のため毎週国会図書館に通いつめたという点に同志的なシンパシーを感じるし、大変な労作であることも認めるが、一方で存命している当事者への取材が皆無であり、独自の分析にも乏しく、結果として、ビートルズに関する新聞・雑誌等の過去記事のスクラップブック以上の価値を見出せないという点においていささか期待外れな代物であった。
それでも、幻の和製モッズバンド・ベスパーズ(※)が1966年6月、有楽町交通会館の屋上のビアガーデンで開催された「ビートルズ歓迎大会」で演奏していたこと(つまり、本当に存在していたのだ!)、また、1969年5月に訪英した小中陽太郎氏に、ジョン・レノンが新宿駅西口地下広場でのフォーク・ゲリラとの共闘を約束していたことなどは、歴史の廃棄物処理場に打ち捨てられたスポーツ新聞、週刊誌等を発掘したが故の新発見として大いに評価されるべきであろう。


「4月に雪が降ることもある ひどく落ち込むこともある」と、かつてプリンスは歌っていた。偽りの勝利なら、希望のある敗北の方がどれだけましなことか。残された時間は僅かしかないし、もう間に合わないかもしれないが、それでも最後のあがきをしなければ、悔やんでも悔やみきれない。今、自分に何が出来るのかを考えている。

 

※ 1990年刊行の「日本ロック大系1957-1979」において、故山口富士夫氏がザ・ダイナマイツの前身であるモンスターズ(1965年~66年)を振り返る中で次のように証言している。
――お客さん達っていうのはどういう人達なの?
山口  やっぱりいわゆるモッズ…モッズのはしりの連中とかね。まだでもカッコイイバンド他にもたくさんいましたよ。ベスパーズとかいうのもありましたしね。

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ジェファーソン・エアプレインには特別な感情を抱かざるをえない。特にマーティ・バリンと共にバンドの創始者であり、機長(リーダー)でもあったポール・カントナーには。出会いは、ウッドストックのLPに収録されていた「Volunteers」だった。ヨーマ・カウコネンの痙攣するようなギターソロに痺れた高1のぼくは、これを完コピし、友人達に「どうだ、カッコいいだろ」と得意顔で聴かせたが、時は1981年、ヘヴィ・メタル全盛の時代にこのような前近代的なフレーズを有難がる者などいるはずもなく、「何だそれは、寺内タケシか?」と冷たい視線を浴びるばかりであった。しかし、それでもメゲず、ならばリズム・ギターも、と更なる完全コピーに挑むと、これがまたシャキシャキとした歯切れのよいカッティングで、弾いてみると実に気持ちが良いのである。この爽快なリズム・ギターを刻んでいたのがポール・カントナーであり、この時点で、彼は、ジョン・レノンに次いで、極私的ロック・リズムギタリスト殿堂入りを果たしたのである。

日本特有のドメスティックでガラパゴス化したロック観を後生大事に奉る内田裕也一派や近田春夫のようなアホ共には、恐らくは死ぬまで分からないことであろうが、ポール・カントナー、そしてエアプレインこそ、フォークとロックが地続きの存在であることを体現し、実践した偉大なミュージシャンなのである。日本でそれに該当する存在といえば、加藤和彦、細野晴臣、遠藤賢司であろうか。

本人は生前否定していたが、エアプレイン後期の作品に込められた過激とも言えるポリティカルなメッセージは、時代と同伴したロック・ミュージシャンとして、自らの立ち位置を明確に表明しなければ、いかなる言葉も欺瞞に満ちたものになってしまうという、彼自身の潔癖さと誠実さの表れではなかったのか。だからこそ、彼の「団結しよう(We Can Be Together)」という叫びは、約半世紀経った今も、人々の心に響き、血をたぎらせるのだ。

そのポール・カントナーが、28日、多臓器不全と心臓発作によりサンフランシスコの病院で死んだ。74歳。彼の魂が安らかならんことを祈るとともに、追悼の意味も込め、9年前の記事「You don't need a weather man」を再掲載する。
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diana
 僕は支配人を呼んで言った
 「ワインを頼む」
  彼は言った
 「手前どもでは、1969年以来、スピリットは切らしております」
 (イーグルス/ホテル・カルフォルニア)


しかし、ロックのスピリット(精神)をいち早く切らしたのは、ドン・ヘンリー自身ではなかったのか? ぼくは、思わせぶりかつ難解な歌詞でカムフラージュしつつも、実のところは「ウッドストック、ラブ&ピース、あぁ、あの頃ぼくは若かった」と人生に疲れた老人が場末のバーでぼやいているようなこの歌を昔も今も好きになれないし、多分これから先も嫌悪し続けるだろう。

「闘わなかった者、敵前逃亡した者には、懐古する資格さえない。いわんや批判などもってのほかだ。」

ぼくがこれから何を書こうとしているのか、そしてその内容についてはどう解釈してくれても構わない。ただぼくが言いたいのはこの一点だけ。最も闘った者だけが、「そのこと」について語り、批判する資格があるのだ。

1970年3月6日正午少し前、NYグリニッジ・ヴィレッジの古い赤煉瓦造りの家が突然爆発した。爆発はその家を倒壊させ、通りの向い側の建物の1階から6階までの窓を破壊し、また隣家の壁を貫通して居間まで続く大穴をあけた。焼け跡からは、3人の若者の死体が見つかった。ダイアナ・オートン、テッド・ゴールド、テリー・ロビンズ。彼らはコロンビア大学紛争(後に「いちご白書」として映画化された)の闘士(*1)であり、また、極左学生組織「ウェザーマン」のメンバーであった。つまり、この家は、彼ら「ウェザーマン」派の爆弾工場だったのだ。

ジェファーソン・エアプレインのポール・カントナーは、この不幸な誤爆事件後、サンフランシスコのフィルモアで「言葉と歌が自然と溢れ出てきて」、ビル・グレアムのオフィスに駆け込み、それらを書き留め、そしてそれは次のような歌になった。

  どんな気がする
  兄弟が撃ち殺され
  セメントと鋼鉄の檻に葬られたら

  去りゆく子供たちのために歌おう
  ダイアナのために歌おう
  月の狩猟の女神 地球の女
   ウェザーウーマン ダイアナ


爆死したダイアナ・オートンに捧げられたこの歌「Diana」は、カントナーとグレース・スリックのデュオアルバム「Sunfighter」(1971年)に収録された。ジャケットは、彼らの愛娘チャイナ。それは、まるで、志半ばにして斃れたダイアナの生まれ変わりのようにも見える。

テロリストを非難することはたやすい。そして時代遅れな“コミュニズム”の思想を断罪することも。しかし、カントナーがこの時期、ウェザーマン派にシンパシーを抱いていたであろうことを誰が批判できるだろう(*2)。エアプレインが69年に発表した傑作アルバム「Volunteers」で、「団結しよう/アメリカ帝国主義からみれば ぼくら全員無法者/生き残るために 盗み 騙し 嘘をつき 偽造し 畜生! ヤミの取引をする」(We Can Be Together)と歌ったカントナーは、自ら志願して“心やさしき無法者”になろうとした。そう、彼は最もよく闘い、一時最も遠くまで行ったロック・ミュージシャンだった。ぼくはここで最初の命題に戻る。「闘わなかったもの、敵前逃亡したものには、懐古する資格さえない。いわんや批判など・・・」― ぼくは黙るしかない。

「ウェザーマン」は、ボブ・ディランの「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」の一節(You don't need a weather man/To know which way the wind blows)をとって命名された。ロックは時代の共犯者だった。だから、落とし前もつけずに勝手にスピリットを切らしてもらっては困るのだ。(2007-11-11)

<9年後の注釈>
※1 ダイアナ・オートンはSDS(学生民主同盟)の活動家であったが、「いちご白書」の舞台となったコロンビア大学紛争には関与していない。
※2 これは、いささか筆が走りすぎた。カントナーは、ウェザーマン派及び過激な爆弾闘争にシンパシーを抱いていたわけではなく、ダイアナ・オートンという名家に生まれた子供好きの心優しい女性が、世の不正と抗う中で、爆弾テロすら容認するゴリゴリの過激派となった事実に衝撃を受けたのであろう。ダイアナ・オートンの数奇な生涯は、UPI通信の敏腕記者トマス・パワーズにより「ダイアナ ある女性テロリストの死」(Diana: The Making of a Terrorist)として出版され、ベストセラーとなり、1971年度のピュリッツア賞を受賞した。

◆Jefferson Airplane - We Can Be Together (1969)
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さようなら、ぼくのロックンロール・スター。あなたの音楽は、ティーンエイジャーだったぼくに、変わっていくこと、進化することの素晴らしさを教えてくれた。出発点は、売れないモッド・バンドのヴォーカルだった。そう、確か、モンキーズのデイビーと同じ名前だったね。程なくして芸名をボウイに改め、ディランから多くを学んだフォークソング、リンゼイ・ケンプに師事したパントマイム、そして、あの煌びやかで淫靡なグラム・ロッカーへと変態していった。その後も、フィリーソウルからニューウエーブ、それから、大ヒットした堂々たる商業ロックの「Let's Dance」へ。あれが迷走の始まりだったか――。とはいえ、あなたは、常に同じ地点に留まることなく、絶えずメタモルフォーゼし続けた。それは、ミュージシャンとして極めて稀有で、尊いことだと思う。心底思う。

そして、何よりあなたを凄いと思うのは、グラム・ロック期の最高傑作とも言うべき「All The Young Dudes(すべての若き野郎ども)」を、あっさりと他人に譲ってしまう、その剛毅な男気だ。だから、ぼくにとってのデヴィッド・ボウイは、イアン・ハンターの歌声とともに、いつまでも輝き続けることだろう。ロンドンのスターマンよ、永遠に。
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フォーク・ソングの正しい有り様は、創作のみにてあらず、フォークロアの森に分け入り、絶滅寸前の歌を採集し、それを自分たち流に作り変え、現代の歌として蘇らせる作業も極めて重要であることは言うまでもない。いや、むしろ、後者こそがフォーク・ソングの真髄と言っても過言ではなかろう。その点において、現代のフォーク・ソングは、半世紀以上前に打ち捨てられた商業音楽の伝承及び蘇生に腰を据えて取り組んでもよいのではないか。まさか、アラン・ローマックスも、採集の対象がポップスであることを叱責はしまい。何より、ベス・オートン(Beth Orton)が20年前に成し遂げた偉業を見るがよい。彼女は、フィル・スペクターがロネッツ、すなわちヴェロニカ・ベネットへの偏執的な愛の発露として、緻密に構築し、過剰に音を重ね、美しいながらも狂気に充ち、結果、御蔵となった究極のウォール・オブ・サウンドを、プリミティブなアコースティックサウンドとして再生させ、次の世代にバトンを渡した。これこそが、現代のフォーク・ソングの正しい有り様であろう。

◆The Ronettes - I Wish I Never Saw The Sunshine

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ヘイトスピーチに憎悪の言葉で対抗しても、結局のところは憎しみが増幅されるだけで何の解決にもなりはしない。そんなことは、路地裏の安アパートで痩せこけた青年達が震えながら決起した革命戦争、すなわち、あの陰惨な党派間の殺し合いの末路を知っている50代以上の人間なら、分かりすぎる程分かっていた話ではないのか。

一方で、カウンター側のヘイトスピーチの向こう側には、レイシスト達の幾百、幾千という凄まじい悪意と殺意に満ちた言葉が氾濫している現実も忘れてはならない。少なくとも、新潟日報の元報道部長は、それに無関心でいることなく、また、第三者として傍観するでもなく、新宿の路上で、ネット空間で、年甲斐も無く、あの痩せこけた青年のように震えながら闘ったのだ。闘い方は最悪であったが――。しかし、何もしなかったぼくには、彼を批判する資格は一切ない。

先週末、新宿三丁目のロックバー「Upset The Apple-Cart」で、そんなことを考えながらウオッカを飲んでいた。ジャニス・ジョプリンの「One Night Stand」は、マスターに教えてもらった。「これ、凄く良い曲ですね。ホントにジャニス?」「そう、死後発表されたヤツ。バックは、ポール・バターフィールドね。」 ぼくは、まるで初めてビートルズを聴いた少年のように、ジャニスの歌声に脳天を
ガツンと一撃され、すっかり心奪われてしまった。それが、この最低最悪な日々に咲いた一輪の花、もしくは、掃き溜めの鶴。生涯聴き続ける価値のある歌に今更ながら出会えたことが嬉しい。

◆Janis Joplin - One Night Stand
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一つのウイルスが護憲派の間に拡散しつつある。“新9条”という名のウイルスが――。
これに触れた者の少なからぬ部分が、諸手を挙げて(もしくは若干の懸念を表しつつも)賛同し、昨日まで後生大事に奉っていた日本国憲法第9条を古臭く時代遅れな遺物のごとくいとも簡単にうち捨て、一方で魅惑的な新しい恋人でも見つけたかのように、いそいそと改憲派へと宗旨変えしてしまうのだ。

ウイルスの発生源の一つである映画監督の想田和弘氏はこう主張する。「(戦争)法案が通った暁には、9条に関する限り、もはや『護る』ものなど何もないのである。護るべきものは、すでに死んでいるのだから。私たちは、9条の亡骸とともに心中するわけにはいかない。私たちは、9条の亡骸を手厚く葬るとともに、心機一転、『新しい9条』を創って、自衛隊の行動に歯止めをかけ、制御する手立てを講じなければならない。『9条護憲派』は『9条創憲派』に生まれ変わらねばならないのだ。」(マガジン9・映画作家・想田和弘の観察する日々第32回「憲法9条の死と再生」

安倍某を「馬」「鹿」と評したSEALDsの奥田愛基君に倣うなら、この言説にかける言葉はただ一つ。
バカか、お前は」。
想田氏は、これが平和を守る唯一の方策とでも言わんばかりに「新9条」を熱っぽくプレゼンし、道行く護憲派に「お前も創憲派に生まれ変われ」と善意の押し売りをしているが、何のことはない、その中身は保守の陣営が半世紀以上前から唱えていた改憲論、もしくは「普通の国」論と何ら変わりはないのである。問い質したい。あなたにとっての9条とは、そんなに軽いものだったのか。先輩達が戦後70年、人生の重みをかけて必死で守ってきた旗を、憲法違反の甚だ馬鹿げた法律が成立したことをもって、やすやすと下ろしてしまっていいのか。

もちろん、想田氏をはじめとする新9条派にも言い分はあるだろう。9条2項があまりにも現実ばなれしているから、安倍の“壊憲”を許してしまったのだ。ならば、「専守防衛の自衛隊」を憲法上明確に位置付けて、時の政権による恣意的な武力行使に歯止めをかけるべきではないか。なるほど、彼らが言わんとしていることは、戦争を遂行するための壊憲ではなく、積極的に平和を守るための創憲であり、その趣旨と平和に対する(彼らなりの)真摯な思いは十分に理解できる。しかしこの主張にも、ぼくは次の2つの理由から、きっぱりと反対を表明する。

1点目は、9条はいまだ死んでおらず、安保法が成立した今こそ、護憲派は、戦前回帰勢力へのカウンターとして、9条の崇高な平和主義の旗を高く掲げるべきと考えるからだ。憲法前文と9条の関連性から鑑みるに、9条を現実に合わせるのではなく、現実を9条に近づけていくこと、すなわち、武力によらない国際平和の実現のための不断の努力が日本国民には求められており、だからこそ、9条は憲法前文と合わせて人類史的に意義のある条項なのである。
そもそも、狭い国土に原子力発電所を44基も抱える日本において、戦争を前提とした国防軍の配備などちゃんちゃらおかしいのだ。原発1基をミサイル攻撃されただけで壊滅状態になるような脆弱な国における軍備とは一体どういうものなのか、どのような意味を持つのか、ぼくにはさっぱり意味が分からない。今、護憲派がなすべきことは、安保法を速やかに廃止し、現実を9条の理念に近づけるための考え抜かれたアクションであろう。

憲法第9条の政治的な位置付けについては、故丸山真男教授が実に的確に指摘されており、これに付け加える言葉は無いように思う。やや長くなるが、以下、教授の論文から引用する。文中の「自衛隊」を「安保法」に置き換えると、まるで今の時代に向けた、過去(半世紀前)からの警鐘のようではないか。

 現在一種の投げやり的絶望論があります。第9条などすでに空文化しているではないか、誰が見ても戦力としか思えない武装をした自衛隊がすでに出来てしまった以上、もう第9条などといっても意味ないではないか、という絶望論です。これは既成事実に弱く、すぐ敗北感にとらわれて諦めてしまう心理からして、原則的には再軍備に反対な人々のなかにもひろがり易い考え方です。(中略)

 (引用者注:第9条の)政治的宣言というものを、どういうふうに現実の政策決定と関係づけるかという論理がやはり大事ではないかと思うのであります。たとえばアメリカ憲法の修正箇条第14条は合衆国の一切の市民にたいする平等な保護をうたい、さらに第15条は、人種、体色に基づく投票権の拒絶や制限を禁止しております。ところが、それからほとんど百年近くにもなるのに、依然としてこの人種平等に反する現実が行われているわけであります。しかし、アメリカの歴史のなかで、そういう現実があるのだから、この条項は無意味だ、ひとつこの条項を改正して人種不平等をはっきり規定しようではないかというような提案が政府や議会にあったということは聞いておりません。そうして最近の公民権法案まで、現実の歴史は非常に長い歩みではありますけれども、ともかくその歴史は、この合衆国憲法に明記された規定が政府の政策決定を方向づけて来たこと、を物語っております。

 要するにここで私が申し上げたい点は、第9条はマニフェストだというだけでは、きわめて多義的であり、それを現実の政策決定への不断の方向づけと考えてはじめて、本当の意味でオペラティヴ(現実の中にあって現実を動かす一つの契機となっている理念―引用者注)になるということです。つまり、自衛隊がすでにあるという点に問題があるのではなくて、どうするかという方向づけに問題がある。したがって憲法遵守の義務をもつ政府としては、防衛力を漸増する方向ではなく、それを漸減する方向に今後も不断に義務づけられているわけです。根本としてはただ自衛隊の人員を減らすというようなことよりも、むしろ外交政策として国際緊張を激化させる方向へのコミットを一歩でも避け、逆にそれを緩和する方向に、個々の政策なり措置なりを積重ねてゆき、すすんでは国際的な全面軍縮への積極的な努力を不断に行うことを政府は義務づけられていることになる。したがって主権者たる国民としても、一つ一つの政府の措置が果たしてそういう方向性をもっているか、を吟味し監視するかしないか、それによって第9条はますます空文にもなれば、また生きたものにもなるのだと思います。(「憲法第9条をめぐる若干の考察」1965年)


2点目は、タイミングの問題である。国会内における護憲勢力もしくはリベラル左派の衰退甚だしい現状において、新9条の提案が結果として誰を利するものとなるのか、この動きをほくそ笑んで見ているのは誰なのか、あえて書くまでもないだろう。既に自民党は、来年夏の参院選で憲法改正を公約に掲げることを明言している。あの危険極まりない自民党憲法草案の実現が今まさに現実的な政治カレンダーに乗ってきたのである。この最悪のタイミングの中、まるで新しい発明でもしたかのように嬉々として新9条を提唱し、自ら改憲のムード作りを買って出るとは何たる愚の骨頂、平和主義者の戦略としては、時が時なら利敵行為として最高刑罰に匹敵する失策と言わざるをえない。

蛇足を承知で、最後にあえて書いておきたいことがある。それは、今回の「新9条論」に対し、護憲派からの意見表明が極めて乏しいことである。これは本当に残念なことだ。憲法9条と平和を守る闘いを非妥協的に続ける彼らや彼女たちが、何故、「仲間」ともいえる想田氏や東京新聞が提唱する「新9条論」にはだんまりを続けているのか? 護憲勢力の分裂を恐れているのか、もしくは、リベラルの「有名ブランド」を敵に回したくないのか、いずれにせよ、情けない。仲間同士での忌憚のない批判や議論を放棄した運動は、無力な仲良しゴッコに過ぎない。そもそも、忌憚ない批判や議論をして関係が決裂してしまうような相手なら、端から仲間でも友人でも無いのである。馴れ合いの平和主義者は、この点を肝に銘ずべきだろう。
――69年目の日本国憲法公布記念日に。

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