A Love Supreme
Theme: Days
◆以下の文章は、3年前の11月に、はてなダイアリーに書いたものです。コメントの一部を含めて再掲します。Thanks to subterranean
さん。
1989年の11月はとても寒々とした日が続いて、それは多分当時のぼくの心象風景に木枯らしが吹きまくっていたからだと思うんだけど、6月の天安門事件から始まった大きな時代のうねりが東欧諸国に津波のように押し寄せ、ベルリンの壁に民衆のツルハシが突き立てられた時、ぼくは完全に一つの時代、そして一つの思想が葬り去られたことを知った。忌まわしきスターリニズムの息の根が止められ、平等という名の奴隷生活を強いられていた不幸な民衆が解放されたことは素直に喜ばしいことだったのだけど、それをもって、あの馬鹿馬鹿しい冷戦が資本主義体制の圧倒的な勝利で終わったと断ずるのはあまりにも無邪気すぎる見解だと思ったし、社会主義という厄介者を駆逐した後の資本主義が、マルクスのすべてを否定し、さらには社会民主主義的な政策をも古いコートのように脱ぎ捨てたら、時代は19世紀のイギリスに逆戻りするだけで、ぼくらの未来を明るく照らすはずの蜀台は資本家の私欲に塗れた「労働者の死刑台」に転化されるだろうという漠然とした不安を感じていたんだ。
そんな寒々とした気分の11月、ぼくはジャズ喫茶でコルトレーンをよく聴いた。当時、ジャズのレコードは数えるくらいしか持っていなかったので、コーヒー一杯で何回でもリクエストができるジャズ喫茶はありがたかった。中でも「至上の愛」は毎回リクエストしていたアルバム。コルトレーンのスピリチュアルなサウンドが紫煙で充満した薄暗い店内に響くと、それは、まるでぼくの進むべき未来を指し示す啓示のように聴こえた。あの時の啓示は、そして進むべき未来は、確かに今ぼくが立っているところにつながっている。だから、耳を澄ませば、今でも1989年の晩秋に鳴り響いた「至上の愛」が聞こえてくるんだ。(2006/11/27 「ひっぴぃのつくりかた」)
subterranean 2006/11/27 23:01
90年代になってからマルクスを読んだ者としては、彼のヴィジョンは随分曲げられてしまっていたのだと感じたものです。あと、どんなに理想主義的な動機で作った国家も、やはり権力装置として定着してしてしまうものなのだな・・・とも。
コルトレーンは、私にとってジャズを聴くきっかけになったミュージシャンでした。最初に手にしたのは『至上の愛』全曲と『セルフレスネス』に収録された「マイ・フェイヴァリット・シングズ」が入った、怪しげな廉価盤だったのですが(笑)。しかし、今考えても素晴らしいカップリングでした。それまでジャズというジャンルがピンと来なかった私ですが、これには一発でヤラれました。それ以来しばらくインパルス・レーベル期のコルトレーン漬けの日々が続きました。当時はジャズの世界にも、ジミヘンみたいなサウンドを出す人がいるんだ・・・なんて不思議な感想を持ってたものです。
nyarome007 2006/11/27 23:44
subterraneanさん、書いた本人でさえ読むのがイヤになるこんな悪文にコメントいただき、ありがとうございます。半ば脳死状態の当ブログでありますが、subterraneanさんからの瑞々しく知性に満ちたコメントを頂くたびに、新鮮な空気を吸ったか如く瞬間的に息を吹き返すから不思議です。
社会主義崩壊の折、「善意で敷き詰められた道は地獄に通じる」とよく言われました。かつてローザ・ルクセンブルグがレーニンに異を唱え、またレーニン自身も認めていたように、ソビエト型社会主義は、100人の馬鹿より1人の天才を重んじる国家で、いかに崇高な理想を奉っていても、それが独裁と強制を伴うものなら、自由と人間としての尊厳を奪われた国民にとっては、地獄以外の何物でもないし、私もそんな体制は真っ平御免なのです。そして、我が国の一番の不幸は、未だ一度もまともな社会民主主義政党を持ちえなかったということでしょうか。(それに引きかえ、1950年代にバート・ゴーデスベルグ綱領を採択したドイツ社民党のすごさよ!)
音楽に関係の無い話で長くなってしまいましたが、コルトレーンは本当に素晴らしい。特に「至上の愛」は、あちらの世界に飛び込んでいくドキュメントのような孤高の美しさがあり、聴く度に新たな感動を覚えるのです。
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