◆「SMiLE」は、あらかじめ失われていた
1966年初夏、ブライアン・ウィルソンがヴァン・ダイク・パークスと開始した共同作業は、天から降りてきたかのような美しい旋律の断片を膨大に残し、そしてそれは、1年後、アンフェタミンとLSDとパラノイアの渦の中で混迷し、頓挫し、ついには、ブライアン自身の手でスクラップされ、アルバムは完成することなく永遠に封印された。幻の名盤にすらなれなかった。産み落とされることなく堕胎され、肉体を持たぬ哀れな幽霊となったそれは、ポップ・ミュージックの霊界を、その後40年以上彷徨うことになる。
◆「SMiLE」は、絶望だった
ゴールド・スター・スタジオに埋葬された水子の霊は、ブライアンの精神を深く蝕み、レノン=マッカートニーと並ぶ“天才”と称された男は、程なくして、孤独な“狂人”へと変貌していった。同時に、彼率いるビーチボーイズの進路にも暗い影を落とした。キャンディストライプのシャツを着た少年たちは、急速に進化し続けるロック・シーンと全く歩調が合わなくなった。ジミ・ヘンドリックスは、モンタレー・ポップ・フェスティバルのステージで、ギターに火を付けながら「サーフ・ミュージックは終わった」と彼らを揶揄した。レコードの売れ行きは大きく落ち込み、ツアーは行く先々不入りで、膨大な赤字を積み上げた。(それでも、大英帝国だけは、この哀れな少年達を見捨てなかったが。)
◆「SMiLE」は、超難解なクロスワードパズルだった
時は移り、1980年代。墓は荒らされ、「SMiLE」の残骸が“市場”に出回り始めた。夥しい量のブートレグに、ファンは群がった。死肉を啄ばむ鴉のように。そして、ぼくもまた、醜い一羽の鴉であった。靄がかかったような劣悪な音の向こう側に、ティーンエイジ・シンフォニーの幻を一瞬見た。ぼくらは、音の断片を思い思いに組み合わせ、「SMiLE」を復元しようとした。しかし、それは無理な作業だった。完成形は、ブライアンの頭の中にしか存在しない、いや、そこにも存在しないかもしれない、超難解なクロスワードパズルだったから。
◆「SMiLE」は、希望に変わった
さらに時は移り、2004年2月。ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールで、ブライアンは、ジェフリー・フォスケット、ダリアン・サハナジャといった腕利きのミュージシャンを従えて、遂に「SMiLE」の“全貌”を披露するという偉業を成し遂げた。それは、ブライアンにとっての「SMiLE」が、絶望から希望に変わった瞬間であった。客席には、共作者であるヴァン・ダイク・パークスの姿もあった。彼らは、40年近く背負い続けたスティグマから、この日、ようやく解放されたのかもしれない。
しかし、彼らの希望がファンの願望をすべて叶えたかというと、残念ながらそうではなかった。2004年版「SMiLE」は、主にダリアン・サハナジャのコンピューターで組み立てられた“順列組み合わせの産物”であり、さらに、レッキング・クルーの演奏とビーチボーイズのコーラスの“劣化コピー”であり、1967年版「SMiLE」の断片から濃厚に感じ取ることのできたナイーブな狂気とリリシズムは壊滅状態であった。魔法は消えてしまったのだ。
◆「SMiLE」は、黙示録となった
そして、さらに7年が経った。今、世界中のロックファンが、発売されたばかりのビーチボーイズの“新譜”「Smile Sessions」を聴いていることだろう。オリジナル・マスターテープを使用した1967年版「SMiLE」公式リリース。44年前に中絶された胎児は、紆余曲折を経て、ようやく現世で肉体を持つことができた。
若干の不満は残る。何より、2004年版に倣った構成が気に食わない。歴史の捏造という気さえする。だが、ここは寛大になろう。2004年版が、作者であるブライアンが公認した唯一の「SMiLE」である以上、それを「原典」とせざるをえない事情もよく分かるし、そもそも、ダウンロード配信が主流の現代において、曲順を云々すること自体、前世紀の遺物的な発想なのかもしれぬ。構成などクリック一つで如何様にでも変更できるのだ。
詰まらぬ愚痴はやめよう。この驚くべき音源を前にすれば、すべては大事の前の小事に過ぎない。鮮やかに蘇ったサウンドに身を任せ、目を瞑るとぼくには見える。マッシュルームカットの若々しいブライアンの姿が、少年のような風貌のヴァン・ダイクが、そして5人のボーイズが――。「Surf's Up」が、息を呑むほど美しい。特にブライアンのソロ・バージョン。天使の歌声が、ヴェトナム戦争の泥沼に突入していくアメリカを静かに告発しているようだ。「街を入念に調べなさい 背景を描きなさい あなたは眠っているのですか? ブラザー・ジョン(・F・ケネディ)」。覆いは外され、今、「SMiLE」は、黙示録となった。そして、ぼくらは真理に辿りつく。「SMiLE」は、アルファであり、オメガである。