AFTER THE GOLD RUSH

とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな音楽よ――


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自分はロイ・アップス派であることをあらためて認識させられた。と書いても、何のことやら、であろう。英国フォークきっての田園派ヘロン(HERON)は、ロイ・アップスとジェラルド・T・ムーアという2人の優れたシンガー・ソングライターを擁する。11月14日、雨のそぼ降る高円寺で行われた初来日ライブにおいて、容姿、ヴォーカル、演奏共に現役感を持ってグループを牽引していたのはブルージーなムーアの方だったかもしれない。しかし、ヘロンであることの存在証明たる、牧歌的で、穏やかで、甘い風の香りがする郷愁感に満ちた音楽を届けてくれたのは、アップスのヴォーカルとギターであった。そりゃもう圧倒的に。

 

このゆるい演奏とコーラスが放つ心地良い振動を他人に伝えるのは難しい。もしかしたらそれは、ヘロン愛好家だけが特権的に感じ取ることのできるグッド・バイブレーション、すなわちパストラル・フォークの魔法なのかもしれない。

 

熊のように丸々と太り、隠居したカウボーイのようないでたちで、温厚な笑みを浮かべ、「マイ・メディスン」とおどけながら缶ビールを飲むアップス。確かに老いた。しかし、目を瞑れば、眼前に浮かぶのは、英国の緑眩しい田園風景に屹立する長髪の4人の若者の姿だ。彼らは今もそこで、鳥のさえずりや草木が風にそよぐ音に合わせ、ギターを爪弾き、鍵盤を奏で、パーカッションを叩く。三層に重なった歌声は、木漏れ日の中で琥珀色をした密造酒になる。すっかり酔ったぼくは、彼らと一緒にディランの「ジョーカーマン」を歌う。あぁこれは、ムーアのヴォーカルだった。それもまた良かろう。つまるところ、ぼくは、絶対的なヘロン派なのだ。

 

◆Heron -Jokerman

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戦争屋と結託し、ロシアやイランとの交戦も辞さない超タカ派のヒラリーと、レイシストでミソジニストで反知性主義の不動産王トランプのどちらがリーダーに相応しいか、これはもう究極の選択と言わざるをえない。だからドナルド・トランプが大統領選で勝利したことに驚きも悲観もしない。ただ警戒するのみである。そして、我が国では既に、彼らに負けず劣らず好戦的で反知性的な極右政権が圧倒的な支持率を得ているという点こそ、驚き、悲観すべき現実であろう。

 

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ボブ・ディランのノーベル文学章受賞のニュースを聞いて以来、ぼくの心はそわそわと落ち着かず、まるで場違いな場所に迷い込んだかのような、着心地の悪い服を着ているかのような、そんなしっくりこない気分の日々が続いている。まもなく一月が経とうとしているというのに、この違和感からいまだに脱却することができない。

 

無論、嬉しくないわけがない。当然の受賞であり、半世紀前に「ジョアンナのビジョン」で成し遂げた偉業に鑑みれば、もっと早く取って然るべきであったとさえ思う。ウンザリしてしまうのは、「辞退した方がカッコ良かった」「反戦歌手がダイナマイト王の章を受けるとは失望した」などと見当違いの批判をする輩が少なからず存在し、そういう戯言を抜かす連中に限って、ディランの作品といえば「風に吹かれて」と「戦争の親玉」、それとせいぜい「ライク・ア・ローリングストーン」位しか認識していないように見受けられることだ。昨日の“にわかディラン評論家”は、今日は“にわかアメリカ大統領選評論家”となり、明日は“にわかTPP評論家”の顔をして、ワイドショーで稼ぎまくることだろう。いやはや、お忙しいこった。

 

もっと性質の悪いのが、30年以上も前に発表された古の楽曲を得意気に掘り出してきて、「ディランはイスラエルの戦争犯罪を擁護していた」などと周回遅れも甚だしい告発を始める自称人道主義者の一群であり、この手の腐敗した政治臭がプンプンする連中は、歌詞の重層性や多義性を読み解く能力も無く、そもそもディランが問題の歌「Neighborhood Bully」のほかにイスラエル擁護の発言をしたことがあるのかさえ調べようともしない。ただ高みに立って糾弾するのみ。何たる知的退廃!

 

Neighborhood Bully――直訳すると、近所の「弱いものイジメをする奴」であり、ディランは、イスラエルを「イジメっ子」もしくは「ゴロツキ」に準え、しかしゴロツキもまた悲しいし辛いのだと歌っているようにも聴こえる。確かにパレスチナ人の塗炭の苦しみは一切描かれていないし、爆弾工場の下りは、前年(1982年)に発生したパレスチナ難民大量虐殺事件(サブラー・シャティーラ事件)に対する無知を曝け出しているようにも思える。しかし、気を付けなければならないのは、それはあくまでも「聴こえる」もしくは「思える」という聴き手側の印象であり、ディラン自身は何一つ特定も断定もしていないのである。ぼくの解釈としては、Bullyという比喩を使っている時点で、この歌を独善的なイスラエル讃歌と判断するのは短絡的に過ぎると思うし、むしろ悪漢の立場から世界を視るという点に、ディラン一流のシニカルで複眼的な詩心を感じてしまうのだが、どうだろう?

 

そして何より特筆すべきは、「Neighborhood Bully」の楽曲としての完成度の高さである。スピード感溢れるメロディ、力強くシャウトするヴォーカル、マーク・ノップラーとミック・テイラーのソリッドなリード・ギター、これらが混然一体となり、まるで70年代のローリング・ストーンズを彷彿とさせる豪放なロックンロールナンバーに仕上がっている。この曲が収録された「インフィデル」は、ぼくがリアルタイムで初めて聴いたディランの新作アルバムであり、掛け値なしに良い曲、良いヴォーカル、良い演奏で満たされた傑作と信じてやまない。特に冒頭を飾る「ジョーカーマン」は、内向的なキリスト教信仰時代を経て、ディランのリリックが再び“世界”との接点を持ったことを宣言する記念碑的ナンバー。この歌を今年、かの英国フォークの雄ヘロンが得意の田園スタイルでカバーしたことにも驚いたが、それ以上に彼らが今月来日するという報せには絶句するのみであった。ライブ観戦報告も含め、その話はまた次回。

 

◆Bob Dylan - Jokerman

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松本隆氏が、数年前に東京を離れ、神戸、そして、現在は京都で暮らしていることを、今月号の「月刊京都~音楽の街、京都」に掲載された氏の巻頭インタビューで知り、とにかく驚いた。松本隆氏ほどぼくが思い抱く東京のイメージに合致する人はいないからだ。青山生まれの生粋の東京人であり、東京をテーマに数多くの名作を創り、時代の最先端を、華やかな芸能界を、あのバブルの狂乱の時をスマートに疾走しながら、一方で幻の風街、すなわち、1964年以前の東京の原風景に拘り続けた唯一無二の都市の詩人。ぼくは、松本隆氏不在の東京という現実を容易に受け入れることができない。同時に忸怩たる思いにも駆られる。少なからず東京に関わる仕事に携わっていながら、松本氏の深い絶望を知ることなく、みすみす彼を地方に移住させてしまったことに。松本氏同様、絶望のうちに東京を離れていった友人、知人に対しても自らの無力さを恥じ入る。

 

彼らが離れていった理由は様々であろう。都市の記憶を根こそぎ破壊する無秩序かつ暴力的な再開発(それは愚かな永久運動のようだ)、極端な競争主義と個人主義の帰結たる殺伐とした人間関係、非人間的な通勤・居住環境、近い将来勃発するであろう首都直下型大地震、そして、見えない恐怖として存在し続ける放射能に対する不安感。それらは、ぼく自身の深層心理にも確実に存在し、日々ストレスとなってじわじわと心身を蝕んでいる。だから、東京を離れた彼らの気持ちは良く分かる。分かるのだが、どこかしっくりこない点があるのもまた事実だ。つまり、東京で生まれ育ち、東京ならではのメリットを存分に享受し、事あるごとに東京人であることを自負してきた彼らだからこそ、あえて“踏みとどまる”という選択肢もあったのではないか?

 

かくいうぼくも、時折、自分が巨大な廃墟の中にいるかのような錯覚にとらわれることがある。生まれ育った団地も、公園も、学校もすべて再開発で取り壊され、幼少期の記憶の原風景はもはやどこにも存在しない。かつて愛した新宿も絶え間なく変貌し続け、ここ数年ですっかり見知らぬ街になってしまった。しかし、この廃墟のような都市のどこかに、ぼくの故郷は依然として存在するし、この街を失ったら、デラシネ、もしくは、ジプシーのように、寄る辺なく彷徨い続けるであろうことを知っている。だから、ぼくは、松本氏や友人達が見切りを付けた東京に居残り、解体前の雑居ビルに、黒く湿った木造長屋に、その他無数のうらびれた風景に、幻の風街を探すのである。

 

東京の地下に“やみくろ”という奇怪な生物が棲みつき、都市の残りものを食べ、汚水を飲んで生きているという。独自の知性や宗教を持ち、地下に紛れ込んできた工事の作業員などを捕まえて、肉を食べることもあるそうな。これは、村上春樹氏が小説「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」で描いた都市のイメージであり、このもののけを建築家の磯崎新氏は、1985年の新都庁舎コンペに提出した「東京都新都庁舎のためのプロポーザル」に引用した。すなわち「新宿の地下深く“やみくろ”に住みついてもらわねばならない」と。松本隆氏もまた、はつぴぃえんど時代に、麻布は暗闇坂にガマの妖怪ならぬ、むささびの妖怪“ももんがー”が棲みついているとし、都市の中に潜む“闇”を魅惑的な歌にした。しかし、同じ闇に生息する妖怪とはいえ、やみくろとももんがでは随分と印象が違う。前者には、都市伝説的な邪悪な情念を感じるのに対し、後者の印象は、フォークロア的な神秘性とある種のユーモアであり、どす黒い邪気とは無縁である。

 

今の東京は、神秘的な闇の世界の化身であった“ももんが”が地上から駆逐され、欲望や邪気の結晶たる“やみくろ”のみが暗い地下の底で蠢く、そんなグロテスクな都市に成り下がってしまったのではないか。松本隆氏や友人達が東京を離れた一番の要因は、そこにあるのかもしれない。

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3・11以降の残酷に切断された日常を詩情溢れるポップスに昇華させた傑作アルバム「リトルメロディ」以来4年のブランクを経て発表された七尾旅人の新作は、昨年11月に渋谷で行われた特殊ワンマン「兵士A」のライブ映像作品。「近い将来、数十年ぶりに1人目の戦死者となる自衛官、または日本国防軍兵士」である兵士Aに扮し、3時間、MCも拍手も歓声もない張りつめた舞台空間で、ガットギターとサンプラーと梅津和時のサックスのみというミニマムな楽器編成にて戦後(過去)~戦前(現在)~戦中(未来)を生きる市井の人々のおよそ一世紀に渡る物語を綴る。それは、1945年の敗戦から現代まで日本が辿ってきた道程を父親世代の視点で回想することから始まり、兵士Aの平和な少年時代を象徴する自転車のベルが電子音の耳障りなノイズで掻き消されると、ショッピングモールでの恋人達の語らいは「もうすぐ戦争が始まる 買い物を済ませよう」と不穏な様相を帯び始め、どこかの国に派兵された兵士Aは少年兵を殺戮し、自らも戦死、やがて日本の国土全体が戦火に覆われていく――。旅人は、この絶望的に暗鬱なストーリーを、イマジネーションに富んだ豊潤な言葉と、美しく静謐なメロディーでさながら水彩画の如き透明な感触をもって描き出す。決して告発しないし、抗議もしない。だから、これは、フォークソングでもプロテストソングでもない。正気と狂気の狭間をたゆたう幾千、幾万もの“兵士A”とこの国の行方を詠った壮大な叙事詩なのである。「うた」は、兵士A以前と以降で大きく変わってしまうのかもしれない。

 

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~或いは「闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう(後編)」~

 

公の場で政治的な見解を表明するのは、しごく勇気のいることだ。右だの左だのとレッテル貼りされ、疎んじられ、これまで築き上げた人間関係を壊してしまうのではないか。反対者から猛烈な批判や中傷を浴びるのではないか。そして何より、己の生半可な知識で政治に口を出す資格があるのだろうかという畏れ、たじろぎ、怯み・・・、これらの感情が入り混じり、それは神の御手のように重くのしかかり、開きかけた口を固く噤ませてしまう。

 

どうしてかくも気が滅入るような逡巡を経てまで、政治のことを語らねばならないのだろう。自分一人が熱くなったところで世の中が良くなるわけでもなし。むしろ周囲の雰囲気が悪くなるばかりではないか。ならば、余計な事は口にせず、昨日観た映画やサッカー、もしくはレアな中古レコードやラーメンの話でもしていた方が楽しいし、畢竟それが賢い生き方というものだ。黙っていよう。目を背けていよう――。その時、人は深刻な思考停止状態に陥る。何故、映画やサッカーや中古レコードと同じ地平で政治の話をしてはいけないのか。濃厚な豚骨ラーメンをたらふく食べた後の得も言われぬ至福の満腹感と若干の罪悪感の延長線上に現政権への嫌悪感が存在していてはいけないのか。そんなことすら自問自答できぬ程、ぼくたちの脳は手懐けられ、束縛され、絶望的に破壊されてしまったのか。

 

1970年代前半のジョン・レノンは、かくの如き事なかれ主義とは全く無縁であった。今、世の中で起こっていることを素早く歌にし、大きなものにノーを突きつけることに一切躊躇しなかった。歌が陳腐化するとか、暗喩に乏しく芸術性に欠けるとか、保守的なビートルズファンが離れるとか、そんなケチなことはおよそ考えなかった。恐らくこの時期のジョンにとって、歌は、ストリートで投擲される石礫や火炎瓶と同義の、戦争や差別や弾圧と闘うための強力な武器であった。そして、彼はそれを徹頭徹尾、非暴力的にやり遂げるために、歌という手段を選んだ。

 

ジョンとヨーコが1972年6月に発表したアルバム「サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ」がいまだにぼくの心を震わせるのは、聴く度に彼のそのような“覚悟”を感じるからだ。いみじくもジョン自身「歌で伝える、という点が異なるだけで、ぼくたちはジャーナリストのようなものだ(*1)」と述べていたとおり、収録曲は、さながらタブロイド紙の如く、特定の事件や人名――英国の北アイルランド政策、投獄されたブラックパンサーの女性指導者、アッティカ刑務所の囚人暴動など――で溢れ、それらに対する彼の意志が敢然と表明される。これは、アーティストにとって極めてリスクの大きい表現方法だ。現に批評家連中からは手厳しい評価を受けた。なるほど、特定の出来事の記述や政治的主張は、歌を加速度的に時代遅れにしてしまう側面があることは否定しない。そして、天性の詩人であるジョンであれば、かような直接的な表現は避け、暗喩で暈すことなどいとも簡単にできたであろう。しかし、彼は敢えてそうしなかった。何故なら、歌を武器にして闘いの場に身を置くことを決意したからであり、そうであるが故に、暗喩で誤魔化すことなく、誰にでも分かる言葉で己の立ち位置を明確にしておく必要があったのだ。

 

そもそも、歌にメタファーや言葉の多義性が必要だなどと誰が決めたのだ。日本でもやたらとそういう「分かったようなこと」を持ち出して、高田渡氏の「自衛隊に入ろう」や中川五郎氏の「大きな壁が崩れる」などのプロテストソングを執拗に攻撃し貶める音楽ライターがいるが、ぼくに言わせれば、そういう輩は「うた」の本質というものを全く理解していない。卑しくも音楽業界のおこぼれで飯を食っているのなら、少しはフォークソングの歴史を勉強しろと言いたくなるが、まぁ、この手の連中は不勉強な上に独りよがりな思い込みが激しいので何を言っても無駄であろう。殺人事件や権力者への揶揄といった(三面記事的な)最新ニュースを題材としたブロードサイド・バラッド、或いは、ボブ・ディランの「ハッティ・キャロルの寂しい死」や「ハリケーン」の例を挙げるまでもなく、「うた」本来が持つジャーナリスティックな機能を軽視すべきではないし、政治を一切排除した「うた」こそ、実は極めて政治的であるというパラドックスに気付くべきであろう。

 

ジョンの政治的な季節は決して長いものではなく、1972年11月7日、米大統領選挙でリチャード・ニクソンが圧倒的な得票で再選を果たした夜、ひとまず訣別の時を迎えた。挫折感や無力感もあっただろうが、それ以上にジェリー・ルービンをはじめとする反体制活動家の仲間内でいがみ合い中傷し合う陰湿な左翼体質への失望感が彼を政治運動から遠ざけたように思う。しかし、そのことをもって、彼の闘志が潰えたわけではない。ニクソン再選の1年前、ジョン・シンクレア支援コンサートで行ったスピーチにこそ、ジョンが生涯抱き続けたであろうファイトの真髄があるのではないか。

無関心でいる場合じゃないんだ。ぼくたちには何かやれることがある。フラワー・パワーはダメだった、って言うやつもいる。そう言われて、で、何だってんだ? もう一度はじめればいいんだよ(*2)」。
ぼくたちも、もう一度はじめればいいのだ。

*1、*2「革命のジョン・レノン: サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ」(ジェイムズ・A・ミッチェル著、石崎一樹訳)より引用

 

 

 

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米国シアトルを拠点に活動するインディ系フォーク・ロック・バンド、ザ・ヘッド・アンド・ザ・ハート(The Head and the Heart)が、この秋3年ぶりのニューアルバムを発表するという報せに一瞬胸躍らせつつも、まるで重力が半減したかのごとく軽く薄味な仕上がりであった2ndアルバムにいたく失望した身としては、期待半分、不安半分といったところでアップされたばかりの新曲を試聴してみると、これが、さらに重力が衰えて、今やフワフワと空中浮遊してしまいそうなくらいスーパーライトな出来栄えなのである。冬の雨に打たれ、重く垂れこめた黒雲を、ドン・キホーテよろしく両手で押し上げようと奮闘していたジョナサン・ラッセルはもうここにはいない。彼は今やリゾートの達人のようになってしまった。

 

5年前の彼らは、フレッド・ニール、トム・ラッシュ、デイヴ・ヴァン・ロンクといった米国民謡の先人達の血脈を受け継ぎ、それらを混合し、オリジナルな言葉とメロディーで勝負していた点において、正しくフォーク・バンドであった。1stアルバム収録の「Lost In My Mind」は、ルーツミュージックへの敬意と、2010年代を生きる若者達の暗澹たる心象風景をミクスチャーした佳曲。この地点に彼らが戻ることはないのだろうか。

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「6・5全国総がかり大行動」終了後の国会前(右手前が菱山南帆子さん)

 

かほどに無力感と絶望感に打ちひしがれる集会はいまだかつて経験したことがなかった。いや、誤解の無いように書いておかなければなるまい。集会の運営や登壇者のすべてが悪かったわけではない。ビートルズ来日の話から始まった御年80歳になる音楽評論家湯川れい子さんのスピーチは、竹を割ったように明快で大変勇気付けられるものであったし、SEALDs奥田君のスピーチは、相変わらずの晴々としたバカっぽさ全開(失礼!)で、これで院生大丈夫か?と余計な心配こそしたものの、「安倍さん、まだ弾は残っとるがよー!」と「仁義なき戦い」における故菅原文太氏の名セリフを引用した締めは、憎いほどキマっていた。そして、何より、菱山南帆子さんの若々しく元気一杯のコールは、集まった4万の人々のやるせない気持ちを一体化し、国会周辺に響き渡る巨大なシュプレヒコールへと昇華させた。

 

ぼくが、敗北と絶望を見たのは、登壇した国会議員の面々にだ。民進党の枝野幹事長などは、またぞろ「私達こそが本当の保守だ」などとほざき、参加者の失笑をかっていた。西欧におけるリベラル左派の凋落を見るがよい。彼らは一様に保守にすり寄り、自らの素性を隠蔽したが故に従来の支持者から見放されたのではないか。一方で、社会民主主義者を自認するバーニー・サンダースの躍進はどうだ。一本筋の通った左派―すなわち、自らの思想信条に誇りを持って行動できる真の社会民主主義者であれば、必ず支持する層がいる。政治家たるもの、断じて鵺(ぬえ)であってはならないのだ。

 

さらに言えば、現在の政党の在り様を固定化したままの野党共闘など、売れ残って硬くなった団子ほどの価値しかない。立憲主義の確立は勿論大切なことだが、一方で、正式な手続きを経て9条を改悪しようという勢力も一緒くたの“野合”では、全くお話にならないではないか。民進党の右派の連中など、選挙の間は大人しくしているものの、当選した暁には、改憲派としての素顔をさらけ出し、憲法改正の国会発議に必要な3分の2議席を補完することに甘美な喜びを見出すに違いない。

 

つまるところ、気骨のある学者や文化人や市民が結集し、既存政党を真っ二つにかち割って受け皿となる“新しい政党”を創り出せなかったことが、無力感と敗北感を増幅させる要因なのだ。残念ながら、小林節もぼくには鵺に見える。彼のかねてからの自論を知っている者としては、変節と転向の度合が激しすぎて、戸惑いしか覚えない。どこまで信用してよいものか、真意を図りかねているというのが正直なところだ。

 

悲観的な話になった。では、お前はどうするのだ?という厳しい問いかけが匕首のように首筋に突きつけられていることを実感する。震えながら答えよう。まずは、当たり前の話ではあるが、候補者一人一人の主義主張を十分に吟味した上で、よりマシな方に投票する。その際、安保法制及び憲法改正に反対か否かが大きな判断のポイントになることは言うまでもない。そしてもう一つは、無力感に苛まれつつも、挫けずに、路上で意思表示し続けることも重要だ。確かに、プラカードを掲げ叫んだところで、世の中何も変わらないし、ガス抜きにすぎないのではとの懸念もあるが、それでも数は力である。これは紛うことなき真実だ。もし今日の集会に、4万ではなく、40万の人々が集まっていたら、世論の風向きは変わったかもしれない。(この点において、かつて頭数批判をした自分を厳しく自己批判する。)

 

散会後、ステージで帰路のアナウンスをする菱山さんは、心なしか疲れて見えた。もしかすると、彼女の頑張りはこのまま報われることなく暗い時代の中で遭難してしまうかもしれない。この次の集会もまた、無力感と絶望感に打ちひしがれる結果に終わるかもしれない。それでも、彼女は、彼らは、路上に立ち続けることだろう。何故なら、それこそが、私たちの生きている証だから。

 

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プリンスの訃報は、22日の朝、通勤電車の中で知った。驚きはしたものの、さほどの感慨はなく、むしろ一向に収束しない熊本地震のことが気になり、スマホの画面は被災地情報へとスクロールされていった。思えば、1987年に発表された「Sign 'O' the Times」を最後にプリンスの新作は聴いていない。そんなぼくが、彼の死に際して、人生の恩人を喪ったかのごとく大袈裟に嘆いてみたり、半可通な音楽論をぶつことなどおこがましすぎてできるわけがないのだ。それでも、ぼくにとって、ある時期、プリンスが唯一無二の存在であったこともまた事実であり、それは、あのカラフルなジャケットが印象的な「Around the World in a Day」の発表をピークとする前後2年間程で、特に、1985年夏、当時居候していた飯田橋のマンションで、同じように共同生活をしていたバンドのメンバーと、飽きもせず毎日このアルバムを聴いていたことを思い出す。中でもとびきりポップでファンキーな「Pop Life」は、座右の銘にしたい位、好きな言葉、好きなメロディー満載の曲で、「誰もがトップになれるわけじゃない/でもポップに生きなきゃ人生まったくイカさないぜ」と歌われるサビのフレーズは、30年以上経った今も、時折ふっと頭の中でリフレインされることがある。残念ながら、今以てまったくポップに生きてはいないのだが。

 

実は、かなり以前にその当時のことを書いた記憶があり、過去記事を検索してみると、丁度10年前に書いた「極私的音楽ヨタ話77-06の旅」と題する全12回の連載記事がヒットした。大抵が削除したい欲求に駆られるため、基本的に過去記事は読み返さないようにしているのだが、今回は少しばかり懐かしく、ほぅこんなこと書いていたのかとぼんやり読み返していた時、意外なことに気が付いた。それは、1985年編の1話目(連載では「その8」)のFacebook シェアボタンのカウンターが何と1万越えしているのだ。

これは一体どういうことなのだろう? 何かの間違いではないのか? 謙遜するわけではなく、大した記事ではないのだ。しかも10年前に書いた文章である。Facebookを利用されている方で真相をご存じの方がいたら、是非教えてください。

 

今月発売された「『ビートルズと日本』熱狂の記録~新聞、テレビ、週刊誌、ラジオが伝えた『ビートルズ現象』のすべて」(大村亨著)は、資料収集のため毎週国会図書館に通いつめたという点に同志的なシンパシーを感じるし、大変な労作であることも認めるが、一方で存命している当事者への取材が皆無であり、独自の分析にも乏しく、結果として、ビートルズに関する新聞・雑誌等の過去記事のスクラップブック以上の価値を見出せないという点においていささか期待外れな代物であった。
それでも、幻の和製モッズバンド・ベスパーズ(※)が1966年6月、有楽町交通会館の屋上のビアガーデンで開催された「ビートルズ歓迎大会」で演奏していたこと(つまり、本当に存在していたのだ!)、また、1969年5月に訪英した小中陽太郎氏に、ジョン・レノンが新宿駅西口地下広場でのフォーク・ゲリラとの共闘を約束していたことなどは、歴史の廃棄物処理場に打ち捨てられたスポーツ新聞、週刊誌等を発掘したが故の新発見として大いに評価されるべきであろう。


「4月に雪が降ることもある ひどく落ち込むこともある」と、かつてプリンスは歌っていた。偽りの勝利なら、希望のある敗北の方がどれだけましなことか。残された時間は僅かしかないし、もう間に合わないかもしれないが、それでも最後のあがきをしなければ、悔やんでも悔やみきれない。今、自分に何が出来るのかを考えている。

 

※ 1990年刊行の「日本ロック大系1957-1979」において、故山口富士夫氏がザ・ダイナマイツの前身であるモンスターズ(1965年~66年)を振り返る中で次のように証言している。
――お客さん達っていうのはどういう人達なの?
山口  やっぱりいわゆるモッズ…モッズのはしりの連中とかね。まだでもカッコイイバンド他にもたくさんいましたよ。ベスパーズとかいうのもありましたしね。

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ジェファーソン・エアプレインには特別な感情を抱かざるをえない。特にマーティ・バリンと共にバンドの創始者であり、機長(リーダー)でもあったポール・カントナーには。出会いは、ウッドストックのLPに収録されていた「Volunteers」だった。ヨーマ・カウコネンの痙攣するようなギターソロに痺れた高1のぼくは、これを完コピし、友人達に「どうだ、カッコいいだろ」と得意顔で聴かせたが、時は1981年、ヘヴィ・メタル全盛の時代にこのような前近代的なフレーズを有難がる者などいるはずもなく、「何だそれは、寺内タケシか?」と冷たい視線を浴びるばかりであった。しかし、それでもメゲず、ならばリズム・ギターも、と更なる完全コピーに挑むと、これがまたシャキシャキとした歯切れのよいカッティングで、弾いてみると実に気持ちが良いのである。この爽快なリズム・ギターを刻んでいたのがポール・カントナーであり、この時点で、彼は、ジョン・レノンに次いで、極私的ロック・リズムギタリスト殿堂入りを果たしたのである。

日本特有のドメスティックでガラパゴス化したロック観を後生大事に奉る内田裕也一派や近田春夫のようなアホ共には、恐らくは死ぬまで分からないことであろうが、ポール・カントナー、そしてエアプレインこそ、フォークとロックが地続きの存在であることを体現し、実践した偉大なミュージシャンなのである。日本でそれに該当する存在といえば、加藤和彦、細野晴臣、遠藤賢司であろうか。

本人は生前否定していたが、エアプレイン後期の作品に込められた過激とも言えるポリティカルなメッセージは、時代と同伴したロック・ミュージシャンとして、自らの立ち位置を明確に表明しなければ、いかなる言葉も欺瞞に満ちたものになってしまうという、彼自身の潔癖さと誠実さの表れではなかったのか。だからこそ、彼の「団結しよう(We Can Be Together)」という叫びは、約半世紀経った今も、人々の心に響き、血をたぎらせるのだ。

そのポール・カントナーが、28日、多臓器不全と心臓発作によりサンフランシスコの病院で死んだ。74歳。彼の魂が安らかならんことを祈るとともに、追悼の意味も込め、9年前の記事「You don't need a weather man」を再掲載する。
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diana
 僕は支配人を呼んで言った
 「ワインを頼む」
  彼は言った
 「手前どもでは、1969年以来、スピリットは切らしております」
 (イーグルス/ホテル・カルフォルニア)


しかし、ロックのスピリット(精神)をいち早く切らしたのは、ドン・ヘンリー自身ではなかったのか? ぼくは、思わせぶりかつ難解な歌詞でカムフラージュしつつも、実のところは「ウッドストック、ラブ&ピース、あぁ、あの頃ぼくは若かった」と人生に疲れた老人が場末のバーでぼやいているようなこの歌を昔も今も好きになれないし、多分これから先も嫌悪し続けるだろう。

「闘わなかった者、敵前逃亡した者には、懐古する資格さえない。いわんや批判などもってのほかだ。」

ぼくがこれから何を書こうとしているのか、そしてその内容についてはどう解釈してくれても構わない。ただぼくが言いたいのはこの一点だけ。最も闘った者だけが、「そのこと」について語り、批判する資格があるのだ。

1970年3月6日正午少し前、NYグリニッジ・ヴィレッジの古い赤煉瓦造りの家が突然爆発した。爆発はその家を倒壊させ、通りの向い側の建物の1階から6階までの窓を破壊し、また隣家の壁を貫通して居間まで続く大穴をあけた。焼け跡からは、3人の若者の死体が見つかった。ダイアナ・オートン、テッド・ゴールド、テリー・ロビンズ。彼らはコロンビア大学紛争(後に「いちご白書」として映画化された)の闘士(*1)であり、また、極左学生組織「ウェザーマン」のメンバーであった。つまり、この家は、彼ら「ウェザーマン」派の爆弾工場だったのだ。

ジェファーソン・エアプレインのポール・カントナーは、この不幸な誤爆事件後、サンフランシスコのフィルモアで「言葉と歌が自然と溢れ出てきて」、ビル・グレアムのオフィスに駆け込み、それらを書き留め、そしてそれは次のような歌になった。

  どんな気がする
  兄弟が撃ち殺され
  セメントと鋼鉄の檻に葬られたら

  去りゆく子供たちのために歌おう
  ダイアナのために歌おう
  月の狩猟の女神 地球の女
   ウェザーウーマン ダイアナ


爆死したダイアナ・オートンに捧げられたこの歌「Diana」は、カントナーとグレース・スリックのデュオアルバム「Sunfighter」(1971年)に収録された。ジャケットは、彼らの愛娘チャイナ。それは、まるで、志半ばにして斃れたダイアナの生まれ変わりのようにも見える。

テロリストを非難することはたやすい。そして時代遅れな“コミュニズム”の思想を断罪することも。しかし、カントナーがこの時期、ウェザーマン派にシンパシーを抱いていたであろうことを誰が批判できるだろう(*2)。エアプレインが69年に発表した傑作アルバム「Volunteers」で、「団結しよう/アメリカ帝国主義からみれば ぼくら全員無法者/生き残るために 盗み 騙し 嘘をつき 偽造し 畜生! ヤミの取引をする」(We Can Be Together)と歌ったカントナーは、自ら志願して“心やさしき無法者”になろうとした。そう、彼は最もよく闘い、一時最も遠くまで行ったロック・ミュージシャンだった。ぼくはここで最初の命題に戻る。「闘わなかったもの、敵前逃亡したものには、懐古する資格さえない。いわんや批判など・・・」― ぼくは黙るしかない。

「ウェザーマン」は、ボブ・ディランの「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」の一節(You don't need a weather man/To know which way the wind blows)をとって命名された。ロックは時代の共犯者だった。だから、落とし前もつけずに勝手にスピリットを切らしてもらっては困るのだ。(2007-11-11)

<9年後の注釈>
※1 ダイアナ・オートンはSDS(学生民主同盟)の活動家であったが、「いちご白書」の舞台となったコロンビア大学紛争には関与していない。
※2 これは、いささか筆が走りすぎた。カントナーは、ウェザーマン派及び過激な爆弾闘争にシンパシーを抱いていたわけではなく、ダイアナ・オートンという名家に生まれた子供好きの心優しい女性が、世の不正と抗う中で、爆弾テロすら容認するゴリゴリの過激派となった事実に衝撃を受けたのであろう。ダイアナ・オートンの数奇な生涯は、UPI通信の敏腕記者トマス・パワーズにより「ダイアナ ある女性テロリストの死」(Diana: The Making of a Terrorist)として出版され、ベストセラーとなり、1971年度のピュリッツア賞を受賞した。

◆Jefferson Airplane - We Can Be Together (1969)
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