このところ更新がままならない状態が続いておりました。

 

といいますのも・・・実は・・・

 

今月で現勤務先を退職することになりまして、なんやかんや慌ただしい日々を送っておりました笑い泣き

 

昨年末から、なんとなく介護系の求人サイトをだらだらと眺めていることがあったのですが、漠然と退職というものが頭をよぎったのは所内で心ないネガキャンに遭ったというのも理由の一つではありますが、それは比重としてはさほど大きいものではなく、むしろ体力面の不安とか、自分の適性などを客観的に判断したうえでのことでした。

 

体力的にはまだまだ十分動けますので、現に今も若い職員と競って業務をこなしているくらいなのですが、なにせ再来年には還暦を迎える身・・・3階建ての建物の中を一日中駆けずり回り、仕事が終わり緊張が解けるとそれなりに疲労感をおぼえるようになり、4日連勤など入ると1日休んだくらいでは身体が回復しきらないような感覚もあったりします。そんなこんなで、今後この業界でできるだけ長く働いていくにはどうしたらいいかを考えたのが理由のひとつ。

 

もうひとつは、施設での仕事にちょっと飽きちゃったというか・・・2年前からコミュニケーションスキルアップを目指すウェブ研修を定期的に受講しているのですが、そこで学び会得したことを現場で実践して手ごたえを感じていても、施設ではどうしても周辺業務に追われてなかなか利用者様と綿密なコミュニケーションが取れないし、そこに時間をかけるとまるで遊んでいるように見られることもあったりして、個人的に忸怩たる思いを拭えないところがあったのです。

 

4月末、以前より転職先候補としてブックマークしていたデイサービスが新たに求人募集をしていることを知りました。早速コンタクトを取り中を見学。利用定員10名の小さなデイサービスで、その空間は利用者様とより密接な関係を構築しながら仕事をしたいという自分の希望にピッタリマッチし、こちらの勤務希望も先方の求めるところだというありがたいお言葉をいただいて、先月より始めたボランティア活動を今後拡充するためにも、土日が定休日という点も大きな魅力でした。先月初めに正式な面接を受けて採用となり、現勤務先も円満退職できる運びとなって現在に至ります。

 

新天地での勤務は7月1日からになります。入ったら入ったで、見学や面接では気付かなかった問題点など見えてくると思いますが、まずは自分の信じた道を進むのみです。本ブログも間もなく開設して1年になります。【幸福苑】退職のきっかけともなったパワハラ施設長との闘い、介護福祉士試験受験から合格の顛末、思い出の利用者様の話など、ストックも盛りだくさんですので、徐々に回顧録も再開していきます。引き続き本稿をよろしくお願いいたします。

昨日、歌のボランティアデビュー戦を無事に終えました♪

 

3ヶ月ほど前に前職での気の合う元同僚5~6人での”同窓会”があったんですが、出席者の中に2年ほど前まで夜勤のアルバイトで来ていて現在は所沢市内の施設で主任クラスで働いてる子がいて、レクリエーションボランティア探してるんですがパパさんやりませんか?と声かけていただき実現したものです。

 

演目は、軽く指体操ののちトークを交えながら歌を何曲か歌うというもので、今回は【石原裕次郎】にまつわる曲の数々を、映画のポスターや写真などいろんな映像を交えながら歌ってきました。年代的にもドンピシャの題材で利用者さんの反応も良く、一緒に口ずさんでくださる方もたくさんいらっしゃいましたが、一番驚いたのはその中の車椅子に座っておられた男性1名が『嵐を呼ぶ男』の映画のワンシーンを流したところ、映像の中の裕次郎に合わせてドラムを叩くような仕草をされていたことでした。聞くとその方、若い頃から裕次郎の大ファンだったそうで、最後まで楽しそうに過ごされていました。

イベントはまずまず好評だったようで、来月以降も継続して開催していくことになりました。わざわざ宣伝ポスターも作っていただき、社内報にも掲載されて系列の施設にもこのイベントについて伝えられるようです😅約40人くらいの利用者さんに参加していただきましたが、仲間内のカラオケでもこんな大人数を前にして歌うなんてことは今までなかったので、さすがに少しキンチョーしました💦レパートリーは広いので歌う曲数については問題ないのですが、簡単なレクリエーションなど考えていくのがタイヘンそうです。いいネタがあったら是非ご提供お願いします😁

【幸福苑】で仕事をしていた頃は、施設勤務をしていた時も訪問事業所に移ってからも、職員で苦手な人は一人も・・・いや、一人だけいたかな?(笑)まあその人もダブルワークで夜勤に何回かしか来ない人だったから、ほぼ毎日職場に行くのが苦にならない楽しい日々を送れていました。

 

本稿にたびたび登場しているちか子さんとは特に親しくしていましたが、彼女と並んで親しかったのが同い年の江本直美さんでした。親しみを込めて、以後ここでの彼女の呼び名を【ナオミ】とします。

 

ナオミの見た目は一見すると北斗晶系のコワモテなんですが、納得いかないことは相手が主任でも食って掛かる気の強さを見せた反面、いろいろ世話焼きな一面もあって仕事ではずいぶんフォローしてもらいました。休憩で一緒になると必ず昭和のアイドルやテレビ番組の話題で盛り上がり、ちか子さんら気の合う仲間とよく夜勤明けや休日にファミレスでランチしたりカラオケに行ったりしていました。カラオケでは、ナオミが大ファンだった【田原俊彦】の曲をワタシがモノマネで歌って「やめろ~!」とナオミが悶絶するのが毎回のお約束だったりしたものです。のちにワタシと同じ訪問事業所に異動となったナオミと、一緒の夜勤を終えたあと二人でカラオケに行って、10時からなんと夕方5時過ぎまで歌いまくったなんてこともありました。

 

こんなことを言っていると、なんかナオミと特別な関係だったの?と疑われるかもしれませんが、向こうからすればワタシのようなハゲチャビンのガッチリチビはトシちゃんのイメージからは程遠く、ワタシも好みのタイプは熱烈なファンだったのが【倉田まり子】で双方とも外見上は恋愛感情を抱く対象にはなり得なかったしwワタシに愛する妻💦とこども(猫ですが・・・)がいたように、ナオミにもイケメンと噂のご主人に自慢の一人息子がおりましたので、本当に仲のいい同性の友人感覚でさっぱりとした関係でした。職員同士の雑談の中では笑い話としてたびたびナオミの天然エピソードが話題にのぼり、若干コミュニケーション力が劣る息子ほど年の離れた後輩男子職員に懐かれるなど、【幸福苑】でも【しらゆり入間】でもナオミは”愛されキャラ”でした。

 

2015年5月のある日、夜勤を終えて帰ろうとしていたワタシは、日勤で出勤していたナオミとすれ違いました。その日、夜勤明けにもかかわらず新車購入の相談に行く予定だったワタシがナオミにそのことを伝えると、

「へえ~、じゃあ最初の助手席には私をのっけてね♪」

と茶目っ気たっぷりに返してきました。

 

 

 

 

 

 

 

よもや、それがナオミとの最後の会話になるとは、その時は夢にも思いませんでした。

 

その翌日、夜勤に出るべく自宅で準備していたナオミが浴室で突然倒れ、そのまま息を引き取ったことをちか子さんが号泣しながら電話してきました。次の日早番出勤すると、ナオミの代わりに夜勤で緊急出勤していたマミちゃんが、ワタシの顔を見るなり緊張の糸が切れたのか、ワタシの胸に顔をうずめて泣き出してしまいました。誰からも愛されたナオミの突然の死は、施設に大きな衝撃を与えました。

 

ナオミの通夜では、みんな涙にくれていました。御主人も、息子さんも、彼女の友人たちも、職場の人たちも。あの、ナオミによく懐いていたコミュニケーション能力に欠ける若手男子でさえハンカチで目頭を拭っていました。でも、なぜか不思議とワタシの目からは涙がこぼれませんでした。あまりに突然すぎてピンとこないこともありましたが、泣くと彼女に笑われそうな気もしていたから。ご厚意で遺体にも対面させてもらえました。まるで今にも起き上がってきそうな、安らかな眠り顔でした。
「起きるなら今のうちだぞ」
思わずワタシは、ナオミにそう声をかけていました。

今から10年前、2014年の今頃はといえば、介護の仕事も3年目ということですっかり板につき、安定軌道に乗って順風満帆って感じだったんですが、同時にこんなことをよく言われるようになりました。

 

「介護福祉士試験、受けないの?」

 

現在は受験資格が大きく変わっていますが、当時は実務経験が3年あれば誰でも受験できて、実務者研修を修了しなくても筆記試験後に実技試験を経て合格できるシステムになっていました。現在の受験者は8~9万人くらいですが、誰でも受けられるとあって受験者数15万人以上という時代です。

 

介護福祉士国家試験の受験者・合格者の推移

 

正直、ワタシは資格取得には消極的でした。現状にある程度満足していたこともありますが、周辺からワタシに資格を取らせて要職に祭り上げようという空気がムンムンと発せられていたのも、ひとつの大きな理由でした。

 

2015年にもなるとその空気はさらに熱を増して、半ば強制的に受験申込させられてしまいました。まあ本当にどうしてもいらないというのであれば、試験場に行かないとかわざと解答を間違えるとか方法はいくらでもあるのですが、そこは生来の生真面目さもあって”敗退行為”はまかりならんと思い直し、やるだけやってみよう、間違って(?)合格しちゃったらそれはその時考えようと割り切りました。

 

一応参考書とか買ってみたのですが、読んでるうちに眠くなっちゃうのでwリクルートが出していた『ケアトレ』という模擬試験アプリでひたすら実戦練習していました。ここではたと気づいたのは、知識を蓄えるのももちろん重要ですが、5つある選択肢をよく読むと必ず明らかに正解でないものが2つ3つ見えてくる、それを絞り込めば自ずと確率が上がってくる、ということでした。現に試験当日も、この方法で絞って難問を切り抜けたのがいくつもあったのを思い出します。

 

 

 

試験にまつわるお話は、また日を改めて・・・

今日は回顧録をお休みして近況報告です。

 

来月12日、所沢市内の某介護施設にて【歌ボラ(歌うボランティア)】としてデビューすることが決まりました!

 

2ヶ月ほど前に、旧職場のOB・OGで集まる機会があったんですが、当時夜勤のアルバイトをしていた女性が退職後別の施設でリーダー格として働いておりまして、もっとレクリエーションの機会を増やしたいというところで、ワタシが引率していたウクレレ演奏チームを紹介してもらえないかと依頼を受けたんですが、ちょっと個人的にいざこざがあったりリーダーさんもご高齢で新規依頼は引き受けにくいということもあったりで交渉が難航する中、

「どうせだったらパパさん、ひとつやってみませんか?」

とそそのかされ(?)まして、えいやーとお引き受けした次第です。

 

実は、勤務する施設でも不定期でカラオケレクを無償でやってたんですが、ある”事件”をきっかけに撤退した経緯がありまして・・・

 

 

 

※ここから長文になりますので、耐性ない方はササっと下までスクロールして「いいね」だけお願いします(*´Д`)

 

 

 

現在働いている施設は、経営者の意向でちょっと”高級志向”が強いところがあり、一般的なデイサービスでやってるカラオケのような俗なイベントはやらないという方針があるらしいのですが、クリアで歌好きな方も多く、月2回の音楽療法以外に歌のイベントがほしいと考えられていたところで、ワタシが入職してから個人的に機材を揃え、スマホアプリを使ってそういうこともできると話していたら、それなら是非!ということになり、昨年7月でしたか第一回を開催する運びとなったんです。しかし、前述した施設の方針もあってホーム長の了承が得られないからと、リビング兼食堂や玄関ホールといった広いスペースは使わせてもらえず、小さい小会議室で4~5名の利用者様相手に細々と始めて、実績をある程度積み上げたところで改めてホーム長に稟議をあげるという説明を受けました。そんなこんなで開催された第一回では、カラオケスナックをイメージして目の前でノンアルコールカクテルを作って振舞ったりしながら、約1時間程度のイベントとなりました。カクテルも好評だったし、利用者様の中でも当初は「聴いてるだけ」とおっしゃっていた方がマイクを握るなどなかなかの盛り上がりで、一定の評価はいただけたようで「また是非!」ということになり、それから1ヶ月おきに3回くらいは開催したでしょうか。

 

ところが、ここから施設のワタシに対する著しくモチベーションを下げる扱いが出てきます。

 

①前述のウクレレボランティアを紹介したんですが、曲目や内容、開催頻度などについて施設からのダメ出しに近い注文が続出して、一度開催しただけでリーダーさんがへそを曲げてしまった

 

②夜勤の看護士が足りないという状況で、前職からの知り合いで転職を検討している、勤務条件が若干合わないところがあるものの人柄申し分ない人材を紹介したところ、手当など条件提示したうえで履歴書まで送らせておいて、結局面接もしないまま不採用にしたばかりか、そのことをワタシはおろか本人にも伝えないまま1ヶ月以上放置していた

 

③7月末で試用期間が終わるワタシに対して、期限を過ぎても正式雇用の契約交渉を行わないまま放置、9月頭に施設長から一方的に契約書渡されてサインしろと言われて、条件に納得いかないとゴネてようやく正式雇用契約交渉が行われたのが10月に入ってから

 

(ちなみに3月で雇用契約見直しの予定でしたが、今日時点でそれもありません)

 

とまあここまでいろいろコケにされたと思われても仕方ない仕打ちを受けながらワタシが耐えているのは、仕事にも慣れたし職場環境は決して悪くなかったことと、可愛いセラピー犬の存在、せっかく働き口を見つけたのに1年経たないうちにまた職探しということにも気が引けたからでした。

 

他職員との勤務調整の影響で、昨年末は27日から31日まで5連休となっていたこともあり29日にカラオケレクの予定を入れていて、今回は小会議室を飛び出して初めて2階のエントランスを使っていいということになり、ワタシも張り切っていたのですが、運悪く体調を崩してしまい当日キャンセルとなってしまいました。年が明けてレク担当職員(♀)と年始挨拶を交わした際に、せっかくの機会をふいにしてしまったことを謝罪したのですが、彼女はこう答えたんです。

 

「いや、かえって中止になってよかったんですよ。当日急にホーム長が来ることになって、やべえ!パパさんに今日は中止って伝えようとしたら、逆にそっちから中止の連絡が入っていたって聞いて、よかった~って♪」

 

・・・・・・・・・・・・

 

なんかね、もうちょっと言い方あるんじゃないの?って思いましたよ。来なくてよかったって?何?こっちは休日削ってやってんのに、こそこそ人目を避けて隠れてやらなきゃいけないイベントなのか?って思ったら、なんか悲しくなって。

 

それ以降、カラオケレクはやってないし、カクテルセット含む機材も全部引き上げました。

 

 

 

今度歌ボラに行く施設は脱マスクにも積極的で、イベント中はどうぞみんなに顔を見せてあげてくださいと言ってくれています(ちなみに現勤務先では、音楽療法の先生もいまだにフェイスシールド着けさせられています)。軽く指体操などやって、みんなで歌えるような曲を2曲ほど歌ったのち、その日のテーマにちなんだ数曲を披露するといった流れで構成を考えています。テーマは例えば、昭和のスターにまつわるエピソードを交えながら歌ったり、開催時期にちなんで『○年○月の月間ベストテン振り返り』みたいな企画を考えています。本来なら、勤務1年を迎えるということもあって来月から常勤に戻ろうかとも考えていたんですが、契約する気があるのかどうかもようわからんし、当面は現在の週4パートを持続して、歌ボラの方に力入れてみようと考えております。契約交渉がこじれて退職なんて事態になっても、新しい勤め先探す手間が省けるかもしれんし。ねっ♪( ´艸`)