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授けもの 父子のまことの 愛を受け取り

父と御子 離してならぬ 殺してならぬ

父子一体 父の御子なり 敬い畏れ

愛を込め まこととめぐみ 与えられる主

秘めた愛 この世愛して 解き放たれた

受け取って 秘められた愛 世にあらわして

 

 

ヨハネによる福音書 第7

 

その後イエスはガリラヤを巡回しておられた、ユダヤ人達が自分を殺そうとしていたので、ユダヤを巡回しようとはされなかった、ちょうどユダヤ人の仮庵の祭りが近づいていた、そこでイエスの兄弟達がイエスに言った「あなたがしておられる奇跡を弟子達にも見せるためにここを去りユダヤに行ってはいかがですか、自分を公けに現わそうと思っている人で隠れて仕事をするものはありません、あなたがこれらのことをするからには、自分をはっきりと世に現わしなさい」こう言ったのは、兄弟達もイエスを信じていなかったからである、そこでイエスは兄弟達に言われた「わたしの時はまだ来ていない、しかし、あなた方の時はいつも備わっている、世はあなた方を憎み得ないがわたしを憎んでいる、わたしが世の行いの悪いことを証言しているからである、あなた方こそ祭りに行きなさい、わたしは仮庵の祭りには行かない、わたしの時はまだ満ちていないから」彼らにこう言ってイエスはガリラヤに滞在しておられた、しかし、兄弟達が祭りに行った後でイエスも人目につかないようにひそかに行かれた
ユダヤ人らは祭りの時に「あの人はどこにいるのか」と言ってイエスを捜していた、群衆の中に、イエスについていろいろと噂が立った、ある人々は「イエスはよい人だ」と言い、他の人々は「イエスは群衆を惑わしている」と言った、しかしユダヤ人の指導者らを恐れて、イエスのことを公然と口にする者はいなかった
仮庵の祭りも半ばになってからイエスは宮に上って教え始められた、すると、ユダヤ人達は驚いて言った「この人は学問をしたこともないのに、どうして律法の知識をもっているのだろう」そこでイエスは彼らに答えて言われた「わたしの教えはわたし自身の教えではなく、わたしを派遣された方の教えである、神のみ心を行おうと思う者であれば、誰でもわたしの語っているこの教えが神からのものか、それともわたし自身から出たものか理解出来るであろう、自分から出たことを語る者は、自分の栄光を求めるが、自分を派遣された方の栄光を求める者は真実であって、その人の内には偽りがない、モーゼはあなた方に律法を与えたではないか、それなのに、あなた方の中には、その律法を行う者が一人もいない、あなた方はなぜわたしを殺そうと思っているのか」群衆は答えた「あなたは悪霊に取りつかれている、誰があなたを殺そうと思っているものか」イエスは彼らに答えて言われた「わたしが一つの奇跡をしたところ、あなた方は皆それを見て驚いている、モーゼはあなた方に割礼を命じたので(割礼は実は、モーセから始まったのではなく、先祖達から始まったものである)あなた方は安息日にも人に割礼を施している、もし、モーゼの律法が破られないように安息日であっても割礼を受けるのなら安息日に人の全身を丈夫にしてやったからといって、どうしてそんなに怒るのか、うわべで人を裁かないで正しい裁きをするがよい
エルサレムのある人達が言った「この人は人々が殺そうと思っている者ではないか、見よ、彼は公然と語っているのに、人々はこれに対して何も言わない、役人達は、この人がキリストであることを本当に知っているのではなかろうか、わたし達はこの人がどこから来たのか知っている、しかし、キリストが現われる時には、どこから来るのか知っている者は一人もいない」イエスは宮の内で教えながら、叫んで言われた「あなた方は、わたしを知っており、また、わたしがどこから来たかも知っている、しかし、わたしは自分から来たのではない、わたしを派遣された方は真実であるが、あなた方はその方を知らない、わたしはその方を知っている、わたしはその方の元から来た者で、その方がわたしを派遣されたのである」そこで人々はイエスを捕えようと計ったが誰一人手をかける者はなかった、イエスの時がまだ来ていなかったからである、しかし、群衆の中の多くの者が、イエスを信じて言った「キリストが来ても、この人が行ったよりも多くの奇跡を行うだろうか」群衆がイエスについてこのような噂をしているのを、パリサイ人達は耳にした、そこで、祭司長達やパリサイ人達は、イエスを捕えようとして下役どもを派遣した、イエスは言われた「今しばらくの間はわたしはあなた方と一緒にいて、それから、わたしを派遣された方のみ元に行く、あなた方はわたしを捜すであろうが、見つけることは出来ない、そしてわたしのいる所に、あなた方は来ることが出来ない」そこでユダヤ人たちは互に言った「わたし達が見つけることが出来ないというのは、どこへ行こうとしているのだろう、ギリシヤ人の中に離散している人達の所にでも行って、ギリシヤ人を教えようというのだろうか、また『わたしを捜すが、見つけることは出来ない、そしてわたしのいる所には来ることが出来ないだろう』と言ったその言葉は、どういう意味だろう
祭りの終りの大事な日に、イエスは立って叫んで言われた「誰でも渇く者は、わたしの所に来て飲むがよい、わたしを信じる者は、聖書に書いてある通り、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊のことを言われたのである、すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので御霊がまだ下っていなかったのである、群衆のある者がこれらの言葉を聞いて「この方は本当にあの預言者である」と言い、他の人達は「この方はキリストである」と言い、またある人々は「キリストはまさかガリラヤからは出てこないだろう、キリストは、ダビデの子孫から、またダビデのいたベツレヘムの村から出ると聖書に書いてあるではないか」と言った、こうして、群衆の間にイエスのことで分争が生じた、彼らの中のある人々は、イエスを捕えようと思ったが誰一人手をかける者はなかった、さて、下役どもが祭司長達やパリサイ人達の所に帰って来たので、彼らはその下役どもに言った「なぜ、あの人を連れて来なかったのか」下役どもは答えた「この人の語るように語った者は、これまでにありませんでしたから」パリサイ人達が彼らに答えた「あなた方までがイエスにだまされているのではないか、役人達やパリサイ人達の中で一人でも彼を信じた者があっただろうか、律法をわきまえないこの群衆は呪われている
彼らの中の一人で、以前にイエスに会いに来たことのあるニコデモが、彼らに言った「わたし達の律法によれば、まずその人の言い分を聞き、その人のしたことを知った上でなければ裁くことをしないのではないか」彼らは答えて言った「あなたもガリラヤ出なのか、よく調べてみなさい、ガリラヤからは預言者が出るものではないことがわかるだろう」そして、人々はおのおの家に帰って行った

 

ヨハネによる福音書 第7章の反芻

 

あなたがたの時はいつも備わっている

 

わたしたちの時は、過去も未来も現在です。

現在が未来です。

だから、今、イエス様を信じること。

 

兄弟の言葉から、イエス様は隠れて奉仕されているようです。

誰にも知られないように隠れて奉仕するのが、神様の民です。

イエス様は、朝も昼も夜も父のため奉仕です、この世に来られたのも派遣されたので奉仕です。人々に仕えるために来られました。自分の命や自分から言ったり、自分優先でなく、天の父をいつも立てられ、父の御命令通りにはたらかれ、言われたことを語られています。

また、人々にご自分の命を与えるためにご自分の命を捨てて命がけで奉仕されています。

 

わたしたちは、自分優先を改めなければなりません。

今働かねばなりません。

これから誰も働けない時が来ます。

これから、この世の大峠が来てしまったら、イエス様の時が来てしまったら、最後の時が来たら、昼も夜もなく働きますから、と言っても、働けないのです。

 

正しい裁きをするがよい

 

イエス様は、誰が信じるか裏切るかご存じです。イエス様を殺そうとしている者もご存じです。

正しい裁きは、イエス様に任せることです。

イエス様、わたしのかわりにさばいてください。

さばきを任せる人は、イエス様を敬う人です。

イエス様を敬う事は、天の父のみ心です。

 

今、仕えている人が、イエス様のいるところにいます。

 

誰でも渇く者は、わたしの所に来て飲むがよい。私を信じる者は聖書に書いてある通り、その腹から生ける水が川となって流れ出るだろう

 

わたしたちは、イエス様が生きがいです。イエス様のためにはたらくように造られました。

イエス様が、栄養源です。イエス様が水源です。

生きがいを見失ったら、誰でも渇きます。

再び、まことの生きがいを見つけたら、もう渇くことはありません。

イエス様が永遠の生ける水を与えてくださいます。

イエス様がわたしたちに聖霊を与えて下さいます。

イエス様を見ようとしなければ聖霊はわかりません。

まことのかみかかりは、わたしたちにはわからないのです。イエス様は、いつもへりくだられるので、人に知られないように奉仕されています。

わたしたちは、イエス様よりもっとへりくだらなければなりません。

 

聖書を調べるのではなく、イエス様の元に来ること。

 

祝福か呪いかは、イエス様が決められること。

高慢で、人を裁かないこと。

 

イエス様を敬う事。