気づき (ヨハネ18章_六巡目) | イエス様の命の言を育てて食す

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食べることは喜びです
肉体に食あるように、霊にも食あるのです
イエス様の命の言を繰り返し反芻して存分に味わうブログです

 

 

病むことは神から白紙の手紙を頂いた
のぢゃと知らしてあろう

して読めよ

ありがたき神からの手紙ぞ

おろそかならん





ご訪問頂きありがとうございます
どうぞよろしくお願いします




門番の女がペテロに言った

あなたも、あの人の弟子のひとりでは
ありませんか

ペテロは、いや、そうではない、と答えた


シモン・ペテロは、立って火にあたっていた

すると人々が彼に言った

あなたも、あの人の弟子のひとりではないか

彼はそれをうち消して、

いや、そうではない、と言った


大祭司の僕のひとりで、ペテロに耳を
切りおとされた人の親族の者が言った

あなたが園であの人と一緒にいるのを
わたしは見たではないか

ペテロはまたそれを打ち消した

するとすぐに、鶏が鳴いた










イエス様の前では、ウソや偽り
貫くことはできません


自分を大きく見せることはできません


自分を高くする者は低くされ、
低くする者は高くされるからです


勇ましく誓いを立てても、それを達成する
ことはできないのです


ペテロは、イエス様を愛しています


何も起こらない時には、イエス様のために
イエス様とともに死ぬ覚悟がある
と誓いました


ですが、現実は、理想どおりには
いきません


弟子のひとりではないかと問われて
そうではない、と否定したのは
ペテロ自身の意志です


誰かに命じられたわけではないのです


この出来事によって、ペテロは
激しく後悔します


ですが、それは気づきでもあります


自分がわかったからです


イエス様のところに近づかなければ
それはわからないままだったのです


イエス様に近づいて、次々にが起こる
ことは、悪いことではないと思います


気づきが、与えられるからです


その後の行いによっては、自分を省みて
反省して、頭を下げるようになるからです


慢心という憑きものが落ちるからです


だから、喜ばしいのです



イエス様 日ごとの御言をお与えください


本日は以上となります
ありがとうございました