あなたに平安がありますように。
あなたが救われますように。
イエス様のみこころのとおりになりますように。
イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄ってきた。
そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。
あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。
心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。
喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。
あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
あなたがたは、地の塩である。
もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。
もはや、なんの役にもたたず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。
あなたがたは、世の光である。
山の上にある町は隠れることができない。
また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。
むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
心の貧しい人とは、何もわからないと思う人です。
わかっている、知っているという人は慢心しています。
この世のことを知っていても、イエス様の御国は無限で永遠に続くのですから、どこまでもわからないのです。
暗闇の中で何でもわかっていると思うことは、見えないのに見えると言い張ることです。
悲しんでいる人とは、この世は悲しみだと知っている人です。
楽しんで喜んでいる人は、この世の苦しみや悲しみを無視している人です。
柔和な人とは、人に厳しくない人です。
誰もが間違えるのに、人を責め、間違いを指摘し、とことんまで追い詰めるような人は、殺す人です。
殺す思いを持つ所に平和は永遠にありません。
義に飢え渇いている人とは、義を求める人です。
間違いだとわかっていても、自分に都合が良いから良しとする人は自己中心です。
あわれみ深い人とは、人を助ける人です。
人を見捨てて無視するような人は、自分だけ良ければ良いという人です。
心の清い人とは、この世に流されない人です。
この世のしていることだからといって、それに倣って同じことをすれば、必ず暗闇となります。
この世は暗闇であり、自分も盲目であると、完全に認めることです。
だから、光であるイエス様に習うのです。
平和をつくり出す人とは、イエス様の言う通りに行う人です。
イエス様以外の所に平和はありません。
義のために迫害されてきた人とは、イエス様を信仰する人です。
イエス様を信仰しなければ迫害されないからです。
この世の人に憎まれる時は幸いです。
イエス様を信じているために、憎まれるからです。
味がないとは、意味がないということですが、イエス様によれば、全てに意味はあるのです。
義とあわれみとを行って平和を生み出すことによって、イエス様の栄光をこの世に現すことです。