『みんなで、はりうっど!!』

何年か前に涼風の団員みなで撮った写真。
いつもそばにおいとる、長谷川暁羅の最高傑作やった写真や。
ふと見上げた時に落ちてきた、写真の中に幼さが目立つ文字でここぞとばかりに書いてあったんや。
楽しかったな…こらえとったんに…切なくなってしもうた。今ももちろん楽しい…せやけど、昔ってのはなんでこんなに心を揺さぶるんやろうな。

あん時、まだ小学生だった七海と中学生になりたての咲也を前に

「今年の目標は、ハリウッドやで!みなで、協力して世界を見返してやるんや!頑張っていこうやないか!」

今でもしっかりと覚えとるんや。

大きな目をくりくりさせながら、まだまだあどけなさが残る七海が楽しくて仕方がない!といった感じで見ていて…咲也は、逆に嫌に大人びたような冷めた目で俺をみとったんや。

「兄さん、兄さん、ハリウッドって、ディカプリオさんがいるとこですか?」

ぴょんぴょん、元気に飛びながら咲也の袖を引っ張った七海を…困ったように咲也が見とった。また余計なことをいってと…俺に呆れながら。
二人の絆の強さは、俺からしてもイレギュラーなことやった。いつしか、二人で一緒やないと生きとれんようになっとった。
それは危険なことでもあったさかい、忠告をしてくる団員も多かった。

『バランスが崩れたら、大変なことになってしまう。』

せやけど、俺はべつにかまわへんと思っとった。
きっと、バランスが崩れたとしても止められると信じとった。
なによりな。気がついてないかもしれへんけどな…二人を見とると、みんながほんまに自然に笑うからや。

まわりの団員たちも、二人が仲良さそうにやりとりをする姿を微笑ましそうに見つめとったんや。

「そうだな…いろんな俳優さんがいる場所だな。」

「すごぃ!すごぃ!ななたちもそこで有名になるの?」

それは無理だな。
と言いたそうだった咲也が言葉を詰まらせとった。
確かに、ハリウッドになんかいけるはずなんかないんやけどな…俺は、大人の事情に振り回されて生きてきとったこいつらに、夢を見ることを諦めてほしくなかったんや。

限界を、自分で決めるんやない。
そんなもんは、ぶち破れ!どんなに大袈裟でバカだと言われてもそれだけを伝えたかったんや。

「団長命令や!今年は、涼風もハリウッドデビューやで!」

そうやな。
俺の言葉に、みんなが顔を見合わせたあと…頷きあって『了解!』って言った…あの日を、俺はこれから先になにがあったとしても、一生忘れたりなんかしないと…誓ったんや。


「ふ~…こんなものやろか…」

フリーのカメラマンとしての仕事に集中するためにしばらくパソコンとだけ見つめあっていて、こった肩をほぐしながらコーヒーでも飲もうかと、立ち上がると不意に携帯が鳴り出した。
画面を確認すると、今、涼風の団長を任せとる黒崎の名前があった。
…それと同時に気がつかなかったがなにかメールやお知らせがたくさん着ている。

「なんや~黒崎」
「暁羅さん!!良かった…繋がって良かった…良かった…」
「ど、どないしたんや?黒崎…」

明らかに様子がおかしかった。今にも泣き出してしまいそうやないか…嫌な予感が体を走る。
まさか…団員たちに何かあったんか?

いや…現実は…もっと…もっと過酷なものやった。

「落ち着くんや、黒崎…何があった?あいつらに…団員になんかあった…」

「それどころじゃないんです!!暁羅さん…テレビかなにか見ていないんですか!?とにかくテレビつけてください!!地震があったんです…すごく…すごく大きい!」

机の上を焦って探しとるのに…片付けとらんかった書類やらが散乱しとってなかなかリモコンが見つからない。
やっと見つけた…電源をつけた瞬間…俺は…俺は…目の前の光景を疑わずに入られなかった。

俺らの…思い出の町が…場所が…まるで映画のように…壊れて…いる…

「…黒崎…今、どこにいるんや…」

「仙台駅前です…会社全員で避難所にむかってます…」

「怪我はないんやな?」

「はい…ですが、他の団員たちと連絡がとれなくて…俺は仮にも団長なのに!!なんにもできなくて……うわっ!!」

時おり、周りから悲鳴のような声が上がっているのが聞こえてきとった…今も、強い余震があったらしく、黒崎の声にも明確な恐怖が読み取れとった。

恐らくこの映像のなかにいるんや…。

まずい…。
俺は、被災地から離れた位置でホテルにこもって仕事をしていた。
それに対して、黒崎は自分自身が被災地…それも震源地にいる。
今、黒崎に団長として冷静に団員の安否確認をしろというほど酷なことができるはずがないやないか。

「俺、俺…どうしたらいいですか!!電話もやっと暁羅さんに繋がっただけで…団員は…多くが…宮城か福島に…」

あの混乱したタイミングに電話が繋がったということは被災地から離れていたからやろうか…どちらにしてもそれは不幸中の幸いというやつやろう。

「…黒崎、落ち着くんや。おまえはまず自分の安全を確保しろ。他の団員たちの安否は俺が確認するさかい…大丈夫や、みんな悪運の強いやつらやから…」

「でも、俺だって…団長として…」

どこまでも…正義感の強い真面目なやつや。

「わかった…なら、黒崎おまえは駅前で情報を把握しろ。俺もすぐに、そっちにむかうさかい!!合流して対策を考える…いいか?」

「…わかり…ました。」

「絶対に…無茶な行動はするなよ。」

「…了解しました…。」

不安に押し潰されそうなんが伝わってきた…正直、俺も不安で不安で…情けないくらいに声も手も震えていた。
でもな…俺は元団長として…あの個性豊かすぎる大切な子どもたちの父親として守らなあかん。
俺がしっかりせんかったらみな、どうしたらええかわからんやろ。

電話を切ると、片っ端から荷物をまとめ、団員たちにあらゆる手段を使って連絡を試みながらタクシーをひろった。

「なんだか…大変なことになっているみたいですね。」

かけられた話題は、当たり前のようにまだ情報が掴みきれない大地震についてやった。
ラジオから聞こえる尋常じゃない状況。…おかげで震源地や震度など少し情報が整理できてきた。

「宮城県…気仙沼市では…津波が…」

そこで…俺は…気が狂いそうになった。
気仙沼…には、俺の妹とその子どもが…引っ越したばかりやった。
携帯は繋がらない…さらに手が震える。冷や汗が止まらなくなってくる。

「あの…お客さん、大丈夫ですか?」

あまりに顔色が悪かったのだろうか…運転手が声をかけてきたが、ひきつった顔で頷くしかできへんかった。

妹…暁那の子どもには発達障害があり…少し落ち着いた土地で二人でゆっくりと向き合って過ごしてみたいと…あいつが…母親の顔をして語った時の頼もしさと、なにか寂しさが混じった気持ちがぐちゃぐちゃと頭の中をしめていくのを止められへんかった。

『兄さん…玲那はね、海が好きなの。波の音とかね。私も…少し人混みから離れて、この子と歩幅、あわせてみたいって思うの。』

涼風の頼りない父親が俺やった。
頼りない父親がふらふらしとる変わりにいつも副団長として暁那が厳しいけど優しい母親をしとってくれた。それがいざ自分が本当の母親となったときに迷い…悩んどったときに、涼風の子どもたちが背中を支えてくれとった。
咲也と七海は玲にとって忙しいお母さんのかわりにパパとママとしてよく世話をやいてくれとった。

『しかしなぁ…気仙沼はなにかと不便やないか?』

『いいのよ、それが。その方が…玲と二人で考えていける。それに頼りになる子どもたちもいるしね。』

だから、暁那は涼風の団員たちから大きく離れる土地は選ばんかった。俺もそれを頼もしくおもっとった。
ピルピルピ!!

ハッとして、携帯を見ると何通かメールが届いとった。電話はダメでもメールは多少なんとかなっているみたいや。

亜水弥、藍音…信也、太陽…七海……ほっとする反面…たったこれだけしか連絡がついていないことに寒気がした。
そして、みな…涼風の家族の安否を気にかけていて、このままでは自分のことすらないがしろにしてしまいそうやった。

目頭が熱くなる。
涙を抑えるために、ギュッと強く眉間に力をこめた。
なにもしてやれない。
不安で、恐怖で、そのなかでも互いを心配しながら…携帯を握りしめているであろう団員たちに…なにもしてやれない。

無事でいてくれ。
どうか…今は、自分の命を………
俺は、携帯のメーリングリストを開いた。これで、涼風の団員みんなにメールが届くはずや…

『情報収集をしとる黒崎にかわって暁羅から団長命令。
団員全員の無事は確認できとる。
各自、自分の命を最優先にすること。』

団長命令は絶対や。

なんていう嘘つきや。
でも…今、俺にできることなんてイタズラに不安を煽ることなんかやない。
一人でも多くの団員を安心させ、もう一度みんなでたわいもないことで笑いあうために…

「堪忍してや…嘘つきなお父さんを…」

祈るように、携帯を握りしめながら…俺は迷いながらも震災後はじめての
『団長命令』
を送った…。


車内の沈黙が…ひどく痛く感じた。

「…お客さん、どこまで行かれるんですか?」

「とりあえず…仙台まで…じゃなくて、すいません!駅までお願いします。」

つい最終目的地を口にしてしまった。果たして…東京までは行けたとしてもその後の交通はどうなっているんやろうか。
ふと、タクシーの運転手がメーターを切るのがわかった。
呆れて…降ろされるんやろうか?

「…ガソリンを買ってきます。お客さんも食料とか毛布準備して30分後に合流しましょう。」

「なんや…て?」

「被災地に…大切なかたがいるんでしょ?私もね…阪神淡路、体験したんですよ…あの時、迎えに来てくれた暖かい人たちがどんなに嬉しかったか…今でも忘れられませんし、きっと一生…忘れません。」

ミラー越しに笑いかけてくる運転手の姿に堪えていたはずの涙が、こぼれていくんを感じた。

「だから、恩返し…いや、あの時無力だった私が何かできるかもしれないなら、それはきっと今なんですよ。お願いします…行けるところまで…お客さんをおくらせてください。」

時間はかかるし、道がどうなっているかわからないですけどね、と付け加えて運転手が振り替えって俺を見つめた。
本当に真摯な瞳に…胸を掴まれたような気分だった。

「おおきに…おおきに…ありがとうございます!!」

「ほら、いいから早く必要なものをお互い揃えてきましょう。被災地では雪が降ってきてるって言ってましたし…暖かくできるようにしてあげてください。荷物だけはつめますからね。」

運転手が車を駐車場に停め、時間を約束し走っていく後ろ姿を見ながら…俺は…幸せ者やと思った。
こんな未曾有の状況のなかで、不安に押し潰されそうになっていた俺を…ただ乗り合わせただけの運転手が支えてくれとる。

「だから…出会いに…無駄なものなんかないんや…大切にせなあかん…」

よく、口癖のように団員に言っていた言葉を自分に言うときがくるなんてな。

繋がっているはずの空が…どこか暗く感じた。見上げた空の先に、何が待っているのか…想像すらつかなかったけれど、水…食べ物…毛布…俺が離れていた地にいるからこそ準備できるものを。

「待っててな…必ず父さんが行くさかいな。」

そうしたらまた、あの怒る気すらなくなるくらいに底抜けに明るい笑顔を見せてくれよ。

……一人もかけることなく。

願いを込めて、見上げた空を降りきるように…俺も走り出した。
一分、一秒でも早く。

これから、知ることになる運命を振り払うかのように…ただ、今だけを見つめた。
何が起こっているのか…理解できなかった。ただただ、必死にハンドルにしがみついていた。

車ごと、何かに捕まれて振り回されているような気分だった。
揺れがおさまっているのか?まだ揺れているのか…自分が震えているのかすらわからなくなった。

頭がうまく働かない。

どれくらい…そこで呆然としていたのか…すごく長いようで、実はすごく短い時間が過ぎていた。

しばらくは、脱力感に襲われ…立ち上がれずハンドルにもたれかかった。
深く、深く呼吸をする度に現実なのか、夢なのかと、自分に確めるように問いかけた。

だが…俺の脳は考えることを拒否した。結論は、決まっていた。

『現実であってほしくない』

シンプルすぎる答えだが…それだけだった。

ふっと視界の端に、キリンのぬいぐるみが手帳と一緒に転がっているのがはいった。

『兄さん!!怖いよ、兄さん!!』

…七海。
あいつは…どうしている?考えられるのは…『来る』と言われていた宮城県沖の地震…。
急に、自分の体温が下がっていくかのような…そんな感覚に襲われた。
震源地に…いるんじゃないのか?
キリンは、こてっと横になって…虚ろな瞳でこっちを見ていた。
泣いている…そうだ、七海の所へ行かなくてはならない。

呼ばれている。

行かなくてはならない。
…思えば、やはり俺は冷静ではなかった。本来ならば、ここで連絡をすれば良かったのだ。

たった一言「大丈夫だ。」それをメールなり、災害用の伝言板なりに…残せば良かったのだ。

それすら、思いつかないくらいに…ただ、ただ七海を失ってしまうことを恐れていた。俺自身も『被災者』であり『震源地』にいるなんて、頭の片隅にもなかった。
エンジンをかけなおし…とにかく、ハンドルを握りしめた。
幸いなことに、まわりにはさほど車がいなかったこともあり事故を起こすことはなかった。
車の流れも変わっていた。逆の方向へと無理矢理に回り込む車を横目に、俺はただひたすらにその『海沿い』の道を進んだ。
下手に戻れば渋滞に巻き込まれる…そして、おそらくガソリンの量からしてもアウトになる。

「戻れる…かよ!」

ギリギリ…ハンドルを掴む手に、異常なまでの力がはいる。ワンセグでは、混乱している駅前が映し出されていた。このあたりにいるはずの妹を必死に探した。
その中に、不安そうにしている七海がいるかもしれない。その思いが、俺を突き動かした。
その一心のみで…

津波の危険を知らせる声を…俺は聞き流していた。
人間は、同時に二つのものを処理することを苦手とし、気がつかないままに…もう片方の情報を処理する働きはセーブされるそうだ。

「…なんだ?」

警察らしき人たちが、避難を促していた。
断片的にではあるが…叫び声が耳に入ってきた。

「…みが!は…て…さい!早く、避難を…」

『津波』

あ…俺は、恐る恐る海へと視線をうつした。セーブしてきた情報をさすがに前に出すしかなかった。
明らかにおかしい。
あれだけ大きな地震があったとしたなら…確実に起こるであろう事態を…やっと認識した。

「津波が来ます!早く、高台に!」

はっきりと聞こえた。
ー津波ー
この道は、海に近い。しかし、今からもっと内側に入り込めば…恐らく津波は止まる。それ以上、内陸にまで入り込むことはまずない。それならば、できる限り市内へ少しでも近づきたかった。落ち着くまでは妙に、早かった。

知識におごっていたのだ。名前を言えば誰もが知っているような大学や大学院で工学部に通い、最先端の技術を見てきた。

生命さえもを…産み出しかねない技術の進歩に、酔いしれていた。


自分が一番に技術の進歩に過信する危険さを身をもって知っていたはずなのに…化学に浸りきっていた俺は、多くの学者が溺れていたように…自然すらを、コントロールできるような力を手にいれたような…『歴史』をかえりみないで軽視していたのだ。

本能は、危険を察知していたのかもしれない。内陸へ向かうしかなかったのだ。震えそうになる手だけが…俺の本心を表していた。
異常なまでに冷静に…シュミレーションをしている自分がいた。
どうやら、避難はあまり進んでいないように見えた。まるで、夢遊病のように人々は当てもなく、情報もつかめずただただ不安に押し潰されそうになりながら…高台を目指していた。

「どうする…どうしたら…。」

心臓が高まった。
危険を知らせる声が…反響して頭にはいりこむ。
地震からどのくらいの時間がたったんだろうか?
目の前で、ふらふらしていたお年寄りが転ぶのが見えた。
周囲が手を貸そうにも…誰もがまだ見ぬ恐怖からか、うまく動けなくなっていた。
自分の命を守ることが最優先されるこの状況で…俺は究極の…選択に迫られていた。


『兄さんて、すごいよね!私たちにできないことも…一人でこなしちゃう。うん、映画とかゲームとかの…ヒーローみたい!』

ヒーロー…。
七海の声が、聞こえてきた。こんな俺を…ヒーローと呼んでくれた。
本当の俺は、なにもできない。それを隠すために強がって自分が嫌いでしかたがなかったガキな俺を…

『水無月咲也』

と言う人間にしてくれた。認めてくれた。
そんな七海や涼風のみんながいたから俺は無力でガキなどうしようもない俺を…過去にできたんだ。
水無月咲也は、なりたかった自分の塊だ。

「…水が…」

ふと、目に入った川の底が見えていた。
ここは、本来水がなくなるなど考えられないほどの内陸のはずだった。異常な光景でしかなかった…普段なら見えるはずはない。ここまで、水が引いたとしたならば…

「…予想以上に、時間無さそうだな。」

ふっと、笑って車を降りた。

「ごめんな…七海。」

人のために、飛び込むのが水無月咲也と言うのなら俺は七海が
『会いに行く』
と言う約束をそのために多少時間を破っても怒らないことを知っていた。
多分…泣くだろうけどな。

「でもさ…お兄ちゃんは、不死身だからさ。」

走った。
警察の人たちから、どこに避難を促しているのかを聞いて、転んでいたお年寄りに声をかけ背中にかついだ。
地域社会がしっかりとしている田舎ならば、どこに誰がいるかを把握できていたのだろうが、仙台は田舎とも都会とも言えなかった。目がついたところでは、声をかけたり様子を見るようにしていた。

「水がー!!」
「早く、上にあがれ!!」
「いいから!!振り返るな!」

悲鳴とも怒濤ともとれる…そんな、声が飛び交っていた。
いよいよ…津波が目に見えるほどに近寄って来たらしい。俺は力の限りで坂をかけ上った。
さすがに…苦しい。

「大丈夫ですか?」

すぐに、数人が声をかけてくれた。声を失ったまま、俺におんぶされていたお年寄りを、お願いしますと頼むと、遠くから、若い声が聞こえてきた。

「おばあちゃん!よかった、よかった…本当に、よかった…ありがとうございます、ありがとうございます!!」

お孫さんだろうか?
一人、家に残していた祖母を助けに戻れなかったことを悔やんでいたらしい…涙をふこうともせずに、俺に「ありがとう」と言ってくれた。

良かった。
息をついた。
…俺にでも守れたよ…。
まだ、水はこの場所までは来ていなかった。
さっき見た、川の様子が頭に浮かんできた…俺のイメージが杞憂であることを祈った。

疲れから、倒れ込んでいた俺の耳には…女性がわめいている声が聞こえてきた。どうやら、坂をおりようとしているのを止められてしまったらしい。
金切り声になりながら、その手を払い除けようとしていた。

「行かせてください…助けて…助けてください!お…願いします!まだ、まだ息子が…車のなかに…助けてください!助けてください!」

…車のなかに?
立ち上がるしかなかった。まだ、水はここまで来ていない…助けられるかもしれない。
何よりも…車のなかで、恐怖に震えているであろう男の子を思うと…行かないわけにはいかなかった。

「助けてください!助けて…ください!」

力なく、崩れ落ちた母親と言う女性は…考えていたよりも少し年をとっているように見えた。…いや、このストレスにより…急にそうなったのかもしれない。
なんとなく…最後に見た、自分の母親の姿を重ねてしまった。


「俺が行きます…息子さんはどこにいるのですか?」
周囲の人たちが、息を飲んだのがわかった。蜘蛛の子を散らすかのように、母親と俺の間に道ができた。
その顔には、一様に焦燥感が浮かんでいた。

「あ、あそこの…スーパーの…赤い車のなかに…」

指を指した位置は、そこまで遠くはない。幸いなことに赤い車は一台であり間違うことはなさそうだった。建物や国道を飲み込んだ津波は、少し速度が落ちるだろうと判断した。

「名前は?」

「優斗…ゆう…とです。」
十分だ。
さすがにそれ以上に聞いているだけの時間はない。

「わかりました。俺に任せてください。…こうみえて体力には自信あるんで!」

周りを安心させるために、俺は笑った。涼風で、教えてもらった笑顔が役に立った。
その場で、軽くスクワットをして…俺はまわりが止める言葉を聞かずに…走り出した。

きっと…母親が帰ってきてくれると信じている少年の姿が…幼い頃の自分に…かぶってみえてきた。
俺のお母さんは戻ってこなかった…あんな、悲しみの中…命を落とすことなど…

「んなこと…見逃せないんだよ!」

止めようとする手を、ふりきった。
走れるのだから、走らなくてはならない。できることを諦めてはいけない。
後悔するくらいなら、走れよ!
下り坂は早かった。
足がもつれて、何回か転がった。
人の波に逆らって走っている。人々が止めようとする中を邪魔にならないようにとにかく走った。

「赤…ど…こだ…赤い…。」

鼓動が早くなる度に、迫り来る恐怖が背中を押す。
車を目指した。記憶の中の配置と指差しをしながら確かめた。そしてついに視界の端に、赤を認識し、走った。

「いた…おい、…優斗君!?」

泣いていた少年が顔をあげた。涙がたまった目が俺を見つめていた。

「だ…れ?お兄ちゃん、誰?」

そうだ。今の自分は…「涼風の咲也」ではない。
誰も俺を知らない。
…ためらった…でも…俺はまるであの日泣いていた幼い自分と向かい合っているような気分で…精一杯の笑顔を浮かべ、小さく開いた窓から手を差しのべた。

「拓人だよ、君のお母さんに頼まれてきたんだ。知らない人にいきなり声をかけられたら困るだろうけど…」

落ち着かせようとしている途中で、少年は小さな手で俺の手を握り返し、必死に首を振ってみせた。

「お兄ちゃんを…信じてくれるかい?必ず、お母さんのところに連れていくから!」

「…うん!!」

涙混じりの少年が笑う。
一人で、怖かったよな…。一人で、寂しかったよな…。

俺は、会えなかったけど、君は必ず、お母さんに会わせる。

「じゃあ…まずは車からでよう。お兄ちゃんの言う通りにすれば大丈夫だからな。」

……風向きが変わった。

恐らく、もうあの坂を駆けのぼるのは間に合わないことを背中に感じる。それならば、この子を抱えて電柱にでも木にでも…よじ登ってやろうじゃないか。

「…大丈夫だよ、お兄ちゃんは不死身だから、な。」
妹がいるであろう方向を見つめて、自分に言い聞かせるように呟く。

なにがあっても、この子をお母さんのもとへ連れていく。
なにがあっても、生きて…また七海やみんなから泣きながら「バカ」って言われる。

だからどうか…どこかで懸命にもがいているであろう俺の大切な家族たちが、無事であるよう。

「…拓人…お兄ちゃん!!」
車から出ることができた少年が俺の手を握りしめる。俺はしゃがんで、背中におぶさるように促す。

「よし、一緒に行くぞ。」
確かな重み。
柔らかな温かさ。
生きている証を感じながら、俺は、ただただ重ねた約束を守るために…走り出した。
俺は、きっといつもこうして…駄々をこねながら走り続けてきたんだ。
それが俺の生き方だから。今回も最後まで…
「…走り抜ける!!」
それだけだ。
あの日、大学院で進めていた研究が予想よりも早く一段落したため、俺は急遽仙台へと向かう日付を早めることにした。

すべては偶然だった。しかし、俺には俺が必然的に呼び戻されたとしか…思えなかった。見えない場所で、なにか…そう、なにかが俺『たち』を突き動かしていたとしか思えない。
それがまさか…かえって、俺が涼風に戻る日を遅くすることになるなんて、夢にも思っていなかった。

見慣れた景色。
芽生え始めた新しい息吹き。所々に小さな命の証であり緑が目につく。いつもこうして、徐々に景色が戻ってくる度にテンションが上がっていた。
この景色が…もうすぐ、なくなるなんてことを考える訳もなかった。
よく言われる

『一秒、一秒、を大切にしなさい。同じ明日はないのだから。』

確かに、一秒で世界を変えてしまうようなモノを人間はたくさん作り上げてきた。それだけではなく、いきなり何が起こるかなんて…誰にも予測できない。
理論的に述べるとするならバタフライ効果と言う言葉もある。
小さな蝶の羽ばたきが…どこかで、大きな嵐になることもあるとかいう。
誰がそんなのを調べたんだよ?って信じられないことだけどな。
すべてが繋がっている。
…分からない。
俺にはそれを否定できないなにかがある。
今こうしていることで…もしかしたら、俺の一言が、どこかで誰かの気持ちを変えてしまっているかもしれない。
それが原因となって泣かせているかもしれない。

そうだろ?

だから、俺という人間ができることなんか本当に少ないことではあるが…反面では歴史なんてものはその一人の人間の気まぐれが何十にも重なってできたのではないかとも考えられる。
こうなるとやはり、否定はできない。
なのに、なぜかここだけはそんなことは…無関係に、故郷へと向かう道は、絶対に失われたりなんかしないと思っていた。

短絡的な思考だった。
きっと、浮かれていたんだとも思う。

だから、俺は大切なことを忘れていたんだ…。
幸せな時間が、続いていたから。
甘えていたのだ。
『今』
がどれだけ大切なものであったのかと言うことを。
ここにくるまでに、何回涙を流したのかを。
どれだけの人を傷つけたのかを。
どれだけのことがあっての『今』なのかを。

忘れていたんだと思う。

信じられないことだけど…あの道は、もう見ることはできなくなってしまった。
懐かしく思える場所が…また一つ無くなろうと、否応なしに無くなってしまうことを…なぁ?
もしもがあるなら、あの時の俺に…誰か伝えてきてくれないか?

ーその景色を心に刻み込んでこい…ってさ。ー

気がつけば、もう何度目かの春がまわってきていた。毎日、毎日…数字と向き合い、みんなから無理しすぎだと言われながらも勝ち取った少ない春休みを無駄にしたくない一心で愛する『家族』のいる涼風をめざした。

研究が立て込んでいた。
一応は、大学院生なのだ。自覚を持たなくてはいけないことを何度か言われていた。
しかし残してきた団員たちが気になりすぎて、なにかある度に真夜中の高速道路を走っていた。
少しでも、なにかの変化があれば距離なんて無視をした。睡眠時間だろうが、なんだろうが削ってでも駆けつけていた。

それを…咎められていた。俺が手本とならなくてはいけないのにも関わらず、勉学を軽んじていたからだ。久しぶりに黒崎と暁羅から怒られることとなった。
涼風にいる団員たちは、多くが訳ありで…なにかを探して迷子になったような人ばかりだ。
俺のように、家族とうまくやれてなかったり、病を抱えていたり、とにかく問題を抱えた人間は当時の団長であった暁羅に
『誘拐される。』
文字通りの意味だ。
勿論、暁羅は
『誘拐ちゃうから!スカウトや、スカウト!』
と主張をする。
なかには、確かにスカウトもいたのかもしれないが…俺たちは、物騒に思われるかもしれないが『誘拐』と表現している。
仕方がない。
どう考えても、こっちのほうがしっくりしてしまったのだから。
まぁ…なんにせよ、連れてこられた仮団員たちは涼風で暮らす。しばらくしてやっていけると判断されれば、暁羅たちが勝手に
『家族から預かる。』
ということで、話をつけてくれる訳だ。
そうなってしまえば、団員たちの生活の基盤は涼風での共同生活となる。

そこで、心を許せる人や場所を見つけて…俺たちは、あらためてまた人間となれる。
涼風は『大きな家族』。
笑いあえた、真剣に怒られたはじめてできた自分の居場所だ。

不思議と、ここに来ると抱えていたトラブルが解決することが多い。
いや…変わりに、他の団員たちのトラブルに巻き込まれてしまうこともあるのだが…とにかく、俺たちは変わるのだと思う。
笑えなかった子が、自然と笑ったり、下ばかり向いていた子がいつの間にか自分を認めていけるようになる。

家族のもとへと帰ることになった時、当たり前だが
『成長』していなければ、文句を言われかねない。
暁羅曰く大切なお子さんをお借りしとるんやから『教育をするのは当たり前や』と話していた。
問題ばかりの俺たちを、よくも相手にするもんだと関心してしまう。

もう一つ大切なことは何よりも、『団員が自律できるようにすること』にある。社会で一人で生きていかなくてはならない年齢になったとき困ったりしないために、生きていくための知識をお互いに交換しあう。

ーわかってはいるのだ。
ずっとここにいて、守られているだけではいけないことを。ー

結果として年長組からたくさんの知識を与えられることとなる。
しかし、年長組の人たちも苦手なことは得意な年下から聞くことをためらわない。
これは、涼風の伝統だ。
これがあるからこそ、新しく『誘拐されてきた団員』も『自分の価値』に気がつくことができる。

そんなわけで、俺たちが共有する知識は一般的な国数英等の科目だけにはとどまらない。
医者は医学を、歌がうまいやつは歌を…生きていくために必要なものをみんなで分かち合っていくのが、理想とされていた。

早い話、暁羅から差しのべられた手は俺たちを縛るモノから…新しい未来へと連れ出してくれる道しるべだった。
あの手に触れたことにより、俺たちは新しい未来へ進むチャンスを与えられた。
ーたった、それだけで…未来が変わるのならば…小さな人間の悪あがきとしか見えない行動だって、なぁ?それは…未来を変えていたのかも知れないのだって、思わないか?ー

俺は、お手本となるために必死でやりとげた。
充足感に包まれている。
久しぶりに帰れるのだ、助手席にある小さな緑色の袋を確認するように軽く撫でた。
たまたま、立ち寄った雑貨屋で見かけた桜柄の手帳が入っている。ハードカバーであり、作りもかなりしっかりとしているためそれなりの値段もした。
手帳とは言ってもスケジュールを処理するにはサイズ的にも不適応であり、むしろ日記帳のようだった。

だからこそ、選んだのだ。
俺たち二人の心を本当の意味で繋いだのは、一冊のノートからだった。
まだ、お互いに幼かった。懐かしい日々だ。
二人で、紡いだ毎日は…確実に絆となっていった。
学校が隣の県にあった俺は、いつも帰りも朝も早かった。ゆっくりと話すこともできない。
これでは、せっかくまた出会えたと言うのにいつまでも七海との距離が縮まらないと焦っていた。
だから、俺はいつも七海が宿題として日記をつけているのを思い出して、一冊のノートを手渡した。
可愛いげもなんにもない。ただの大学ノートだった。そこに七海が『悲しかったこと』『嬉しかったこと』『してみたいこと』を書き、机の上に夜食とともに置いておく。
俺は帰ってきたら、眠ってしまった七海を見ながらノートに返事を書いて、またそこに置いた。
交換日記というよりは、俺が先生になったように返事をしていた。だが、たまに朝早くに台所を覗くと七海がノートを目にして、嬉しそうに抱き締めている光景を目にすることがあった。
一目で気に入るだろうと思った。
甘やかすつもりではないが、喜ばせたくて迷うことなく買ってきてしまった。

「黒崎に…また、なんか言われっかな…」

とことん、七海に甘い俺はよく黒崎や暁那さんに注意されていた。確かに自覚もしている。だが、気にしたことはない。
笑顔が見たいだけだから。とりあえず、今日も黒崎にお土産はないことは確かだった。

目的地に最適のインターチェンジより少し手前で高速をおりる。やや寝不足気味な頭をすっきりさせる為にも風にあたる海沿いの道路を、ドライブすることにした。

海を見るのは好きだ。

揺れる水面は、心を落ち着かせてくれる。だから、仙台へ行くときには必ずこのルートを通り、心を洗い流すのが俺の楽しみだった。
しかしこの日・・・なぜか、俺の心は、海を見て違和感を感じていた。
どこまでも深い蒼に・・・吸い込まれてしまいそうだった。
そして、その予感は…すぐに現実のものとなることを俺はまだ知らなかったのだ。

『もうすぐ、アウトレットのあたりだからな。早くついたら、兄ちゃんがなんか奢ってやるからお茶でもするか!』

美容室に行っているらしい妹へ、メールを打った。
七海は便宜上、俺の『妹』とされている。それは、鍵っ子の上に体が弱い七海を守るためにそばにいる理由として結んだものだ。
もちろん・・・お互いに、欠落した存在として安定するための大切な約束だ。
内向的すぎる七海を、自然に笑えるようにするまで見守るために兄になることを決めたのは、自分だった。
小さい頃に病院で天井ばかりを見上げていた七海と偶然に出会い
『七海が寂しいときには迎えにいく』
と約束を交わし・・・五年後に本当に帰り道でうずくまりながら泣いている彼女を見つけた時には、ガラにもなくこれは『運命』だと感じてしまった。

ー守らなくては。ー

はじめは、自分のバラバラになった家族…特に七海と同じ年の妹に彼女を重ねていたこともあった。
しかし、いつからか…七海はかわりなんかではなくなっていた。

守るべき、家族であり愛を注ぐべき相手であり…なによりも『特別』だった。
涼風の中でも、パートナーとしての絆の強さは群を抜いていた。
お互いに依存症だったためにずっと、べったりしていた。それでもよい。そのままでいいと思っていた。そばにいられれば、それだけでよかった。

そんなことが、続くと信じていたにも関わらず…ここまできてもまだ社会が、それを認めなかった。
七海が年齢を重ね欠けていたものを取り戻す度に『兄妹』ではいられなくなったのだ。

必然的に、『妹離れ』をしなくてはならなくなった。
本当は、したくなかったが七海と離れることを選ばなくてはならなかった。
東京の大学院にいってから一年になった。
結局、涼風の団長としての立場と共に七海のパートナーとしての権利も弁護士となってちゃっかり帰ってきた黒崎に託して旅立った。うまくいくはずもなく、心配でたまらなくなり何かある度に行ったり来たりを続けていた理由がそれだった。

ナビの前には、お世辞にもうまいとは言えないキリンのぬいぐるみが置いてある。七海が、寂しくないようにと作ってくれたものだ。いつも、俺を守るようにこっちを見つめている。
それが、ふいにコロンと転げ落ちた。
首の長さのわりには、足元はしっかりと作られていて一度も、落ちたことがなかったので驚いて見つめていた。

ー兄さんは、キリンみたい!だってこんなに背が高いんだよ!ー

180センチを越えていた俺のことを、いつも七海は見上げながらそうやって笑いかけてくれた。
本当なら、俺は・・・欲望に満ちた狼あたりが妥当だろう。

信号で止まったのを良いことに拾おうとした瞬間だった。
携帯からの警告音と揺れは、ほぼ同時だった。

「う・・・そだろ!?」

車を端に止め、音楽をラジオに切り替えた。
その間も、激しく揺れは止まらなかった。
混乱した頭。転がるキリンのぬいぐるみが目についた瞬間に七海の笑顔が、頭に浮かんだ。
早く、早く行ってやらないと…また泣き出してしまう!守らないと…あいつだけは!

背筋に冷たいものが走る。揺れがおさまらない。


強風ですね(-_-;)先ほど、ねねこのうちのアパートの物干し竿が飛びましたあせる

人や車がいなくてよかった・・・と青ざめましたカゼ

まだまだ、不安定な天気・・・みなさんもどうか気を付けてください。



明日で、震災から二年ですね。

無力さに泣いた日、優しさに励まされた日、たくさんの方に助けていただきました。

私はなにもできないけれど、それでも本当にみなさんに感謝しています。

前を向いて、歩き出せる強さを・・・私も持ちたい。

なにより、少しでも感謝の気持ちを伝えたい・・・。


さて、前に少し予告しましたが、2年間見てきたものや感じたことを「涼風」を通して小説にしてきたものが

あります。書きかけだったり、このテーマ対しての重さ、未熟な私が書いていいのか迷いましたが・・・

最近よくデータをクラッシュさせてしまうことがあるのでせめてもに少しここに残させていただきたいと思っています。

「繋げたい思い~震災と団員たちの記録~」

のテーマの中では、こうしたものを掲載していきます。

不快な思いを感じたり、見たくないと思った場合はいつもの突拍子もないSS「涼風の一日」や他の方のところへとんでいただけたらと思います。


こうして、わざわざ文章にする必要はないのかもしれない

それでも・・・僕らは伝えたいんだ・・・あの日から感じた多くの思い・・・

伝えたいんだ・・・僕らが立ち向かったあの日を・・・誰かに・・・少しでもいいから・・・ありがとうって


そもそも「涼風シリーズ」はねねこが書いてきた小説?です。

本編につきまして、興味がわかれた方は

~風花・茉莉夏~

のほうをよろしければのぞいてみてください(‐^▽^‐)


それでは、これからもシリアスもギャグもただのブログにコスプレに・・・奔放なブログですがよろしくお願いいたしますm(u_u)m