中国残留孤児が辿る
奥の細道紀行(3)
日光
あらたうと青葉若葉の日の光
日光と言えば、日本で有数の観光地。なによりも東照宮・華厳の滝・中禅寺湖・男体山・温泉・・数え切れないほどの観光スポットがある。最近ではコロナ禍になる前は外国人客が圧倒的に目に付く。見るところがこれだけあれば、芭蕉も来たなんて全然話題に上らない。正直に言うと、私もその一人。
暫時(しばらく)は滝にこもるや夏(げ)の初
温泉と大自然に憧れて、どれだけ行ったか覚えていない。しかし、この裏見の滝には行っていない。逆に芭蕉は華厳の滝には行ってないようだ。当時、いろは坂もなかったから、山の上まで登るにはたいへんだったと思う。「うらみの滝」については、奥の細道では「岩洞の頂より飛流して百尺千岩の碧潭に落たり。」とあるが、唐の詩人李白の廬山瀑布の詩を思わせる。
日照香炉生紫煙, 日は香炉を照らし紫煙生ず
遙看瀑布掛前川, 遙かに見る瀑布の前川に掛くるを
飛流直下三千尺, 飛流直下三千尺
疑是銀河落九天。 疑ふらくは是れ銀河の九天より落つる
かと
いまの時代にもし芭蕉が居たら、真っ先に歌垣の廬山へ飛んでいって、なにはさておき、まずは自分の目で滝の高さが三千尺あるかどうか確かめたいに違いない。自分は百尺としか言えないから。
奥の細道では日光において二人の人物を芭蕉の言葉で紹介している。
まず、仏五左衛門について、「唯無智無分別にして正直偏固の者也。剛毅木訥の仁に近きたぐひ、気稟の清質、尤尊ぶべし。」五左衛門の自己紹介では、「万(よろづ)正直を旨とする」という。まさに濁世塵土に出現した仏様そのものだ。芭蕉と曽良はこの日光山の麓で「一夜の草の枕も打ち解けて」休まれたようだ。
芭蕉はもう一人を紹介したが、相棒の曽良を、本名は河合惣五郎という。芭蕉に付き添って松島や象潟をみたいと、頭を剃り、僧衣をまとい、同行した。
剃捨て黒髪山に衣更
日光に着いたのは四月はじめ、衣更えの時期。芭蕉はこの(「衣更」の二字、力ありてきこゆ)と評した。曽良の決意の堅さを表している。後に、かれは幕府の巡見使随員、諸藩の監視役に命じられる。そのことから、今回の旅は情報収集の役目があったのではないかと、様々の研究者から指摘されている。しかし、芭蕉は「予が薪水の労をたすく」、つまり、身の回りを助けてくれるためだと言っている。
なお、この時点で芭蕉は東照宮を見ることができたようだ。今の人に考えられないことだが、当時、東照宮は一般公開していなくて、いろんなコネを使って、やっと紹介状を手に入れて、そしてあっちこっち掛け合ったうえで、やっと見ることができた。かなり骨を折ったらしい。
(次回は(4)黒羽へ)
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