勉強ノート  奥の細道を辿る(4) 黒羽・那須野 | 中島幼八

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中国残留孤児が辿る

 

  奥の細道紀行(4) 

        黒羽・那須野

 

 

今回、私が辿った地域は行政区域でいうと栃木県の大田原市のエリアになる。真ん中を南北に走る国道294号線を境に東半分は黒羽、西半分は那須野。

 

松尾芭蕉と河合曽良は黒羽の雲巌寺、那須野の那須与一の郷を訪ねている。ほぼ2週間知り合いの家を拠点にして回ったようだ。

 

私は那須温泉郷を拠点にして、このエリアを二回に分けて、もちろんバスでまわった。雲巌寺に行くときはバス便はあまりなく、帰りの便が午後三時すぎにしかない。三時間あまり待つのはもったいなく、ヒッチハイクを決行した。中型のトラックに恐れ恐れ手を上げて、気持ちよく乗せてもらった。ドライバーの30代の若者二人と溶け込んですっかり仲良くなった。芭蕉の館を通るというのでそこで降ろしてもらった。庭に馬に乗った芭蕉の像があるが、どうやら芭蕉と曽良もヒッチハイクしたようだ。もちろん自動車ではないが馬であった。しかも野飼、つまり放牧されている馬なので、馬主は親切に貸してくれた。その上、乗り捨てていいという許しであった。このとき、人なつこくついてくる「かさね」という女の子

 

     かさねとは八重撫子の名成べし  曽良

 

これは旅を終えて4年後に芭蕉自らの発句であるらしいが、なぜか曽良の名前にしている。芭蕉にとってこの女の子はよほど可愛かっただろう。ほかに小松の名前の小娘ものちに登場してくるほどだ。

 

「頓(やが)て人里に至れば、あたひを鞍つぼに結び付けて馬を返しぬ。」

 

中国語に「老馬識途」という熟語がある。「奥の細道」の解説書「菅菰抄」に中国の「韓非子」を引用して、馬には道を知る智恵があると説明している。乗り捨てでいいと言われたから、芭蕉はどうやらお礼を鞍にくくりつけて、そのまま放して馬に帰ってもらったそうだ。

道と言えば、ここで芭蕉も「されども此野は縦横にわかれて、うひうひ敷旅人の道ふみたがえん・・」と嘆いた。私もバスに揺られながら道を憶えようと努力したが、右折・左折が多くて、つい居眠りの旅行に終わった。

 

芭蕉はここから今で言う那須温泉郷の殺生石までは、城代の馬で送ってもらったようだ。馬の口を取る御者が芭蕉に「一句お願いしたいですが・・」と短冊を差し出した。なんと教養のある方だろうと芭蕉は感心する。そして、

 

  野をよこに馬牽きむけよ郭公(ほととぎす)

 

と、芭蕉もお願いを出した。ほととぎすの鳴き声は聞いたことがないが、私はこの辺を歩くときに、ウグイスの鳴き声をしきりに耳にした。

 

ところで、雲巌寺のことだが、まさに古刹そのもので豪壮な構えであった。赤い橋を渡り、石段を一気に登り、鮮やかな山門をくぐる。短い距離ではあるが、「十景尽る所」、すなわち各種の造形をみごとに凝縮した感慨を受けた。

 

さらに

        啄木も庵はやぶらず夏木立

 

 

 

私は二回目に那須与一の郷を訪ねた。

「八幡宮に詣(まうづ)。与一扇の的を射し時、別しては我国氏神正八まん」とちかひしも・・

 

長い参道を歩くと、突き当たりに構える山門が見えてくる。せまい境内が苔むす。こういう神社はまことに風情を感じさせる。

 

神社の隣には那須与一伝承館がある。パネルの説明によると、11人兄弟の末っ子らしく、十人に一人余るというので余一という名であったが後に与一に変わった。その与一が馬に乗って弓を引く像がシンボルのように広場に建っている。またパネルの説明によると、その馬の名は鵜黒であり、ご当地黒羽の産だという。さらにネットを調べたら、鵜黒の生年月日は承安元年(1171)三月十日。昔、東国の名馬は磨炭・池月のように名馬の伝承になっているのが多いとか、中国にも古来八駿の伝承が絵になり、詩になって伝わっている。その影響かも・・

中国の画家徐悲鴻作:八駿図

 

肝心なヒロインの与一については、出自や誕生がほとんど不詳である。ただ坂東の武者であることは確かである。

そういえば、平家物語に登場してくる武将には東国の出がおおい。熊谷直実・齋藤實盛・岡部忠澄・佐藤継信兄弟などなど。

これら平家物語に登場する武将について、旧いものではあるが当方の下記のブログをご覧ください。

https://ameblo.jp/fosi8008ynmar/entry-11921943841.html

 

この界隈は、江戸時代では大関藩であった。城代家老と古くから懇意あり、ついつい長逗留になったらしい。そして、次の場所になる芦野を薦められたのである。

 

 

         (次回は(5)章 芦野へ)

 

 

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