私はブログを続けるにあたって、DMでのやり取りはしない、オフ会もしない、と自分なりの取り決めをしています。ブロガーさんたちの記事を読むことが楽しみだし、いいねとコメントのやりとりで交流しているからなんですが、それでも、たまにDMや面会依頼をいただくことがあります。AMEBAのアカウントは持っていても、自分のブログは書いていない方からのメッセージがほとんどです。ブログがないとどんな方なのかもわからないので、心苦しくもやりとりは控えています。

 

ただ、ここ短期間で、3名の方から「アメリカに住んでいるけれど、アメリカ人の友達ができなくて寂しいのでどうしたらいいか」という内容の相談をいただきました。この3名の方々住んでる場所も、性別も境遇もそれぞれです。実は私も初めてアメリカに留学でやってきた時にしばらく友達ができずに色々悩んでいたので、他人事とは思えず、DMで回答はしないけどブログ記事という形で私の経験やどうやって乗り越えたを共有させていただくことにしました。


偉そうに、、とは思いつつも、今でこそアメリカ人と日々交流し、社交生活をブログで発信してる私でも、最初の数年はあまりアメリカ人の友人ができずに、交友関係という点で暗黒の時代でした。これから、アメリカは感謝祭、クリスマスと、一人でいることが余計に寂しく感じる季節がやってきます、今悩んでるみなさんを少しでも勇気づけられればと思います。

 

私がアメリカに来たのはもう20年も前のこと。大学院生として東海岸の某学園都市に住み始めました。大学院のパンフレットには、広大な芝生の上で、学生たちが楽しそうに歓談してる写真が掲載されていて、自分もそんなアメリカの学生生活を思い描いていましたが、そんなイメージとは裏腹に、最初の1学期はほとんど友人はできませんでした。ビジネススクールでの2年間は基本日々勉強漬けで友達を作るということ自体は目標ではなかったのですが、それでも、あの当時はまだ遊び盛りの20代。親しい友達を大勢日本に残したまま、自分はなんでこんな苦行をしてるんだと思ったこともありました。

 

MBA時代、こんな楽しそうな光景は幻想に終わりました

 

友達ができなかった理由は色々ありますが、まず、英語のリスニングもスピーキングもダメで、話が始まってもアメリカ人のクラスメートが話してることがわからないという大問題がありました。課題や講義内容の確認などで、私と同じくらいの英語レベルの韓国人と台湾人クラスメートとは助け合いの関係になりましたが、そうすると英語が伸びないというジレンマに陥りました。

 

色々頑張りましたが、結局、大学院の2年間では、大学院のパンフレットの写真のような、輪になって歓談するような絵の中に自分がいたことはなかったと思います。2年間でほぼ唯一と言ってもいいアメリカ人の友人は一度ブログで紹介したキャサリン。一般的なアメリカ人学生はほとんど外国人学生には興味はないので、今思えば、彼女が私と友達になってくれたことは奇跡にも近いことでした。そして今思うのは、たった一人でも、今も交流できる友人ができたことは素晴らしいことなのだと思います。

 

 

とは言っても、相談いただいた方々の「アメリカにいるのにアメリカ人の友達ができない」という悩みは現在進行形で切実だと思うので、私の大昔の話を出して、振り返ってみれば大したことないですよ、とか、開き直ってアジア人留学生と仲良くしましょう、という話は求められてはいないと思います。よってここでは、私がどんなところでアメリカ人の友人を作ってきたか経験をシェアさせていただきます。

 

MBAを修了して就職したのがテキサス。最初の1年はビジネススクールでの学生生活以上に私生活は孤独でした。会社はアメリカ企業で日本人は私だけ。今でこそ週末が待ち遠しいと思うはずが、あの時は休みにやることがなく週末が苦痛でした。意外にも救ってくれたのが気のいいテキサスのおばちゃん同僚。彼女の誘いがきっかけで自転車サークルに入り、そこから少しずつ交友関係が広がっていきました。

 

日本人やアジア人は、なんとなくウマがあって心を開いていく、という手順で友達ができますが、一般的なアメリカ人は初めこそフレンドリーですが、そこから友情が深化していかないという傾向があります。もちろん波長が合うことは人間関係で大切ですが、アメリカ人と友人になるには波長とか曖昧なものよりも趣味など具体的な共通項があった方が関係を構築しやすいというのが私の経験です。

 

それと、アメリカ人全般に共通しますが、会話は基本的に表面的です。日本にいた時の感覚で、友達だからといって意味のある会話を期待すると失望します。私はこれを失敗しながら学び、テキサスにいる間の数年間でゆっくりと友人を増やしていきました。アメリカのいいところは、人種や年代を超えて友達になれることです。例えばテキサスで入っていた自転車サークルには学生から、私の両親くらいの年齢のメンバーがいました。


また、スポーツクラブに入ると友人ができやすいです。やはり会話の共通項が多くなるからでしょう。ある年の感謝祭では、私が行くところないので一人で過ごすという話をしたら、自転車サークルの会長さんが家に招待してくれて、仲良くなり彼と彼の家族とは今もホリデーギフトの交換やお祝いカードのやりとりしています。こうして、アメリカ人と長い友人関係を築くお作法みたいなものを学んでいきました。

 

老若男女、分け隔てなく話せるのがアメリカ人のいいところ

 

 

30代に突入してからは、自分はゲイだと割り切ったゲイ友を作りも始めました。そうしてテキサス生活後半では、初心者歓迎のゲイのラグビーサークルにも入りました。勤務先と家の往復で、ガタイのいい兄貴たちが集まってる競技場があってずっと気になって、しかもゲイ臭漂う集団だなという下心から興味を持ち始めました。ある日、「Open House」という見学会をやっていて、それで体験入会してみました。あまり社交的ではない自分には自分からクラブを訪ねていくことなど勇気がいることでしたが、自分のコンフォートゾーンを抜け出して自分で自分の背中を押さないと友人はできないと思います。ゲイのラグビーチームだから弱々しいのかと思ったら大間違いで結構厳しく、3週間で骨折して脱落しましたが、、、。完治した頃にはニューヨークへの引越しになったのでラグビーに戻ることはありませんでしたけど?ゲイ友作りの基本を学んだことは、その後ニューヨークに移ってからもとても役に立ちました。「Open House」みたいなイベントは色々なグループがあちこちでやっているので、興味があったらどんどん顔を出していいのです。「あ、ここ何か違うな、」と思ったら即退出して全然OKです。

 

そして旦那Dと出会い、マンハッタンに移り、いつの間にか「アメリカ人の友達ができない」という悩みは解消していったわけですが、そういう状況に至るまでに10年はかかったと思います。アメリカ人である旦那経由で人間関係も一気に広がった感はあります。旦那自身は、私がいまだに日本の学生時代の友人と会ったりするのをみて羨ましがっています。彼曰く、アメリカ人は地理的に広大で、転職や結婚(離婚も)であちこち大移動をする人が多いので、物理的に繋がりを維持するのが難しいと言っています。でも、彼は、住む先々でボランティアやチャリティー、教会などの活動に精を出しているので、これまで住んだ先々で新しい友人関係で困ったことはないようです。旦那に自分が白人だからじゃない、と意地悪な質問してみましたが、慈善活動するような場所に集まる人たちはたとえ、アジアや日本に興味がなくても多様性に満ちた精神、そして困っている人を助けたいという純粋な動機があるので、絶対そんなことはない、と言っています。彼曰く、日本人が友達ができないと悩むのは、人種というよりは、言語の問題ひいては自信の問題だと思う、と真実を突かれた気がします。

 

なお、チャリティーや教会でのボランティアというと清貧なイメージがありますが、資金規模が大きい団体では、大規模なファンドレイジングイベントできるところもあります。ホリデーパーティーなどは、一見派手に見えますが、地に足のついた人たちが多いという印象です。怯まないで、堂々と参加することが大切です。そうして同じテーブルで座った人たちと会話をしながら共通点があったら連絡先を交換し、またはソーシャルメディアで繋がり、少しずつ関係を深めていくと自然に友人関係に発展していくと思います。

 

あるチャリティーの資金調達パーティー。一見ゴージャスな感じでも参加者はみな素朴な人たちだった

 

という感じで、アメリカに住んでいるのにアメリカ人の友人ができない、という悩みに関して、私がどうやってアメリカ人の友人を増やしていったかという経験を共有させていただきました。私は特別社交的な方ではなかったので、こうして20年もかけてアメリカでの人間関係を作ってきました。

 

最後に、これは私の超個人的な経験と限られたサンプルですが、早いうちに車を持つ決断をした日本人は結果的に長くアメリカに溶け込んで、現地の友人を多く持っていると言えます。マンハッタンなど大都会なら車を持たない方が楽ですが、ちょっとでも郊外に出るとアメリカでは車が必須です。それなのに、意地でも車を持たないと決めてる日本人の方々を結構見てきました。現実的には車があると行動範囲が広がるので、結果的に人間関係も広がります。車を買ったり、自分でメンテナンスをするのが面倒という見方もあるようですが、こういうのを乗り越えないと、結局人間関係は点と線だけにとどまり広がりはありません。

 

旧友のプールパーティー。自然体で居させてくれる人たちでした

 

と色々書いてしまいましたが、以上が「アメリカに住んでいるが、アメリカ人の友達ができなくて寂しいのでそうすればいいか?」という悩みに対する私なりの回答です。とは言っても、私がアメリカに来た20年前とは違って、今はアメリカ人にも日本の存在が身近で、日本食や文化に興味を持っているアメリカ人の数も比べものにならないほど増えました。よって、アメリカ人と友人関係を作るきっかけやツールは今の方が断然恵まれていると思います。

 

下の記事、私がアメリカに来た最初の年の感謝祭の思い出です。この秋に日本からアメリカに来た学生さんなどで、これから一人寂しく感謝祭を迎えるのは憂鬱だなと思ったら読んでみてください。

 

 

先日知り合いのお誘いで、在NYの日本人が集まる夕食会に参加してきました。その時に、日本には持ち込めない処方薬や市販の薬、サプリの類が結構あるという話になりました。私は幸いにして、アメリカの20年住んできた今も、常に薬を持ち歩くような状況になったことがないので、あまり考えたことがありませんでした。

 

発端は、違法性が疑われるサプリメントをめぐり自宅の家宅捜索を受けた日本を代表する実業家新浪剛史氏(66)の話題からでした。新浪氏は、サントリーやローソンなど日本の大企業の経営を率いた日本を代表するビジネスマンの1人です。私はお会いしたことはありませんが、マンハッタンにもコンドミニアムを所有しており、ある程度の期間滞在されることもあるようです。

 

 

ディナーに参加してた方が、新浪氏のNYでのプライベートでの行動や、違法性のあるサプリを日本の新浪氏の親族に送付していた当地在住の女性のことも知っていると、スキャンダラスな話から始まったのですが、話題の興味関心は、一体どんな薬が日本に持ち込みが禁止されているか、またどうしても必要な時に持ち込むにはどうすればいいかということになりました。

 

参加者は中高年の方ばかりでしたので、薬を手放せない方もおられるし、明日は我が身。薬含め禁輸品は文字通り持ち込み禁止ですが、持病のために自分で使用する薬の場合や、その薬の中に禁輸成分が含まれている場合は税関に輸入確認証を提出・許可を得れば持ち込みが可能です。よく、病気のために必ず飲まなければならない薬に違法成分が含まれている薬を持って日本に到着してからその薬が持ち込み禁止対象であることがわかり、捜査の対象になったり、薬を破棄するかその場で日本を去るかの選択を迫られたりする話はよく聞いていました。

 

家に帰ってうちの旦那Dにそんな話をしたら、過去に日本への旅行の際、麻薬携帯輸入許可書を取得していた経験があったことがわかりました。直近では数年前の冬。確かあの時は、私は先に日本入りしていて、Dが実家でクリスマスを過ごして1週間後に私を追いかけてくるというパターンであまり記憶になかったのですが、Dは日本への渡航のちょっと前に腎臓結石になりました。手術が年明けになってしまうということで、医者に日本に年末に旅行する予定を話したら、12時間以上の飛行機の中で痛みが再発したら絶望的だからということで強い痛み止めの薬が処方されました。医者は一応基礎知識として、国によって持ち込み禁止の国があるから、日本に行く前にチェックしてくださいとDに勧告していたようです。そしたら案の定、その鎮痛剤には日本には禁輸されていている成分が入っていたのです。渡航の1週間前に日本の関係当局に連絡して、持ち込み特別許可を得ました。下の写真、その許可書の現物。「麻薬携帯輸入許可書」という文書名が物々しいです。そして数ページにわたる書面にも結構難しい専門用語が並んでいます。日本語ができないDは読むことができませんが、これは税関職員に提出するもののようです。

 

 

 

Dの話を聞いていて、医者が処方した痛み止めの薬に、禁輸されている成分が入っているかもしれないと調べる人もさらには税関への事前許可が必要だと知っている人がどのくらいいるのか不思議に思いました。Dの場合は、医者ときちんとコミュニケーションして、必要情報を供与されたわけですが、知らないうちに持ち込んでしまっている人も多いことでしょう。

 

元々職業柄、遵法意識が高く事務能力に長けているうちの旦那ですが、東京に駐在した時の駐在員トレーニングで、アメリカ人が犯しがちな日本の税関や薬事法違反の例をよく知っていて、日本訪問時に薬を服用している時は常にチェックするようにしているそうです。何度も二人で一緒に訪日しているのにこんな旦那の行動は全く知りませんでしたが、私自身とても勉強になりました。

 

 

日本人の集まりで話した方々の中には、見つかる確率は0.0001%以下だとか、インバウンドに目をつけているから日本人はほぼチェックされないよおっしゃっておられる方もいました。処方薬の成分に入っている禁輸品などは、抜き打ち検査でもしなければ麻薬探察犬などでも探すのは困難でしょう。それに私もこれまで何十回と税関を通過して荷物を開けて検査されたことはないです。よって、実は私も「見つからなければ、、」と思う節はありました。

 

しかし、万が一(それこそ0.0001%)の確率で見つかってしまったら、懲役や入国禁止措置など失うものがあまりにも大きいため、こういう決まりは遵守し決してリスクも犯さない、という旦那の姿勢は正しいと思います。今のところ私は、処方薬も常備薬も薬を持参して国境を超えるような状況にはなったことがありませんが、アメリカの薬局で普通に売られてる常備薬やお土産用のハーブやアロマオイル、バスソルトなどの商品の中には、「麻薬」や「指定薬物」にあたり、輸入が禁止されているものがあるようです。また、こういう危機意識の低い日本人層、特に学生や駐在妻さんたちの中には、帰国した日本人の依頼でサプリを日本に送付したり、薬局で売ってる強めの痛み止めをお土産に持ち帰ったりしてる方々もいるようですが、危険な行為ですね。私も、過去に、NYに駐在してた知人から、本帰国後にこっちの薬局で売ってる睡眠導入薬を送付して欲しいと言われたことがありました。本人は全く悪気はない感じでしたが、なんとなく狡猾な感じのする人だったのと、そもそもそんな大量に必要なのかときな臭い感じがしたので、断ったことがあります。当時のメールを探してあの方が私に依頼してた薬の名前を確認し、Dに調べてもらったら、案の定、禁輸指定の成分の入っている薬を依頼されていました。

 

あれ以降、人間関係は切れましたが、それほど好きなタイプの人間でなかったので、特に失ったものはないです。思えば、彼の不正輸入がもし見つかったら、新浪氏みたいにシラを切って、まるで私が押し付けて売ったように話すのではないかと思ったりもしています。ちなみに彼は、誰もが知る旧財閥系の大企業の方です。このブログをご覧になられている方も、こういって他人に発送を依頼された時や、自身の日本への持ち込み品に禁輸品がないか、ぜひ気をつけてください。

 

さて、最後に、新浪氏。日本ではカリスマ経営者ともてはやされていて、多少のスキャンダルでは英雄色を好む的取り扱いがされていたように思いますが、今回の違法サプリの件では、これまで彼に恨みを持っていた人たちがいかに多かったのかを感じます。気の毒にすら思えます。

 

 

 

 

先月も外国人問題についての投稿しましたが、右寄りとされる高市さんが女性初の総理大臣になった今、ネット界隈では日本にのさばる外国人や押し寄せるインバウンドをどうにかしてくれ、というような期待がさらに高まっているようですね。

 

日本のネットでは、インバンド関係というと、京都などの有名観光地のオーバーツーリズム、新幹線の荒れた乗車マナー、ホテルの備品の持ち帰りなど、迷惑な外国人たちという括りのニュースを目にしますが、外国人の中には、悪気がないのにいつの間にか迷惑行為をしているというケースもあります。別に擁護するわけではないけれど、今日は外国人旅行者、特に最近の円安・インバウンドの波に乗って日本にやって行く外国人旅行者側から見た日本の宿泊施設の話。勧善懲悪、喧々諤々の議論したいわけではないので、インバウンドというとカッときてしまう方はスルーしてください。

 

先日、日本を旅行中という知り合いのアメリカ人女性のFacebookストーリーが流れてきました。東京のビジネスホテルに泊まった時、部屋に色々と魅力的な小物や備品が置いてあって、何が無料で何が客室備え付けなのか誰か教えて〜というもの。興味本位でコメントしてたら、色々写真を送ってくれて、本人許可で掲載してます。

 

 

そのホテル、西新宿界隈にあって、スタッフさんも優しくて、全般的に居心地の良いホテルだったそうですが、部屋の小物やパブリックスペースの備品にいちいち、テプラで「これは持ち帰らないでください」と注意書きが貼ってあって、まるで泥棒扱いされているようだと思ったそうです。でも一方で、注意書きが書いていないものもあって、それは持って帰って良いのかと言う疑問も。

 

「常識で判断しろ」ということもできるかもしれませんが、やはり異文化出身の人には日本の常識が通用しないから色々なトラブルが起こるわけで、海外生活が長い私からしてみれば、まず、こういった海外からの宿泊者をホテルなど観光業者側が外国人の特性や文化の違いを把握してきちんとルールなどを設定したり、それをきちんと説明しているかという疑問があります。そして日本のホテル全般に見られる、値段に見合わない過剰サービスや慇懃無礼なおもてなしは必要なのかとも問いたくなります。例えば、この女性が「全部持って帰りたい!」と思ったのは、木製フレームの目覚まし時計、小型鏡セット、ポータブルホットプレート、フルーツナイフとまな板、急須と湯呑みセット、そして小型プラネタリウム。そして部屋着。

 

 

彼女はいわゆる常識人なので、もちろん持ち帰りはしなかったようですが、全部便利そうだし、スーツケースに隠して持って帰れるようなポータブルサイズという誘惑もあったようです。注意書きだらけということは、これ根こそぎ持って帰ってしまう旅行者がいかに多いかを物語っています。それと、冒頭にも述べたように、注意書きが書いていないものもあったらしく、それはホテルからのプレゼントなのか?と言うのが彼女の疑問でした。自分で判断しろ、と言うのは酷で、グレーな部分を好まない文化背景からくる旅行者もいるのです。よって、ホテルの客室備品を盗むつもりはなくても、便利そうだし、何も注意書きは書いてないから持って帰ってもいいのかな、となるわけです。

 

一方、注意書きで無知による持ち帰り被害を減らせる分もあると思いますが、そんなのお構いなしな人もいます。そうなると意図した盗難。いつまでも日本的な性善説に凝り固まっているのではなく、ホテル側も自衛が必要です。まず盗まれるようなものをホテル内に置かなければいいのです。スマホ隆盛の今、小型目覚まし時計なんかいらないと思いますし、たかが1万円程度の部屋に、スマホ・タブレットチャージャー、機能性に満ちた手鏡や、デザイン性に満ちたかわいい急須と湯呑みセットも本当に必要なのかと思います。どうぞ、盗んでください、といってるようなもの。ちなみに、アメリカのホテルでは、日本のホテルで部屋に常備してあるような小物をホテル内の売店やフロントで販売しているところもあります。あとは、バスローブとか、ドライアーなど盗難が多い備品には値段が書いてあるホテルもあります。

 

過剰なおもてなしアイテムががなければ、取り替えやオペレーションコストが下がり清掃係の労働力不足に助けにもなります。サービスの低下だと文句言う小煩い日本人客もいると思いますが、そういった小煩い少数の日本人には別途対応すれば良いだけの話です。前述のアメリカ人知人が泊まったのは長期滞在仕様のホテルなのだそうですが、彼女が宿泊したのは2泊だけ。ポータブルホットプレートとか、調理器具は、必須ではない状況。使わないのに、こんなに可愛いアイテムがあって、勿体無い、、だったら持って帰ってしまおうか、と思うのかもしれません。いっそ、シャンプーとか石鹸とか必需品以外の日常アイテムは、何泊以上の客室に設置とか決めれば良いのにと思います。日本の宿泊業界お得意の「目的別宿泊プラン」にして、必要する客の部屋にだけ設置するサービスにすれば、盗難被害も減らせると思います。性悪説にして、物品は盗まれるという前提にすればそもそも被害は発生しません。最近は、アメニティー・バーなるコーナーがフロント横に設置されていて、歯ブラシやティーバック、綿棒セットなどは欲しい人だけが持っていく方式にしているのは良い傾向と思います。(おひとり様一セットでお願いします、という注意書きは必要かもしれませんが)

 

 

 

 

おもてなしなのか、製造する企業宣伝に置いてるのか

 

と、しばらく日本に行ってないのに、日本のホテル批判みたいになってしまいましたが、サステイナブルなインバウンド受け入れ態勢のためには、客がちょろまかすような事態をわざわざ提供してしまう前に、部屋に置いてある備品は本当に必要なのかを考え、また価格に応じたサービスを提供するにとどめ、過剰な対応はやめた方がいいでしょう。海外からのお客様には全員に最高のおもてなしを、、というお花畑思考は捨てて、金払いのいい客にはそれ相応のサービスを提供し、そうでない客にはそれなりの対応と割り切ってもらいたいです。

 

なお、無印良品が運営する銀座の「MUJI HOTEL」はNYから訪問する日本好き旅行者に人気のホテルです。客室も無印良品のモデルルームのようらしいです。小物や備品も自社製品なんでしょうけど、海外からの宿泊客が多いためきちんと「Take-home amenities=お持ち帰りOKなものリスト」を作成して、インバウンドの素朴な疑問に真っ向から取り組んでいる良い例だと思います。ちゃんと海外の日本好きインフルエンサーがソーシャルメディアで啓蒙してくれてます。

 

 

銀座の無印ホテルの客室アメニティ

 

Take-home amenities=お持ち帰りOKなもののリスト

 

それと、最後に。日本語ネットのインバウンド関連のニュースでは、外国人旅行者たたきが隆盛ですが、海外に行く日本人の中にも同じようなことしてる人たちがいます。総じて日本人は行儀がいいと言われていますが、中には迷惑な日本人もいます。例えば、ある日本人のブログでは、マンハッタンの有名地中海シーフードレストランに、醤油やわさび、柚子胡椒などを持ち込んでいて、勝手に自分たちの好みに味変してるんだと豪語し、大ぴらに自慢してました。調味料とはいえ、他の飲食物は持ち込み禁止なので店員に注意されたそうですが。日本の寿司屋で、マヨネーズやチリソースの小袋やハロペーニョ持参してスパイシーマヨ寿司に味変する迷惑外国人とどこが違うんでしょう。

 

また、日本人だけでなくアジア人全般嫌われるのが、一つのメイン料理を複数でシェアする行為。日本の定食屋さんでも中国語で「1人1定食オーダー必須」が掲げられているところがあると聞きましたが、皮肉なことに日本人が同じことをアメリカでやってます。女子旅3人組とか、旅する母娘がこういうのやってる姿を見かけます。アメリカの料理は時に量が多くて、小柄なアジア人には食べきれないのはわかりますが、テーブル支払い全体総額何%というチップが大きな収入源のサーバーにとっては迷惑です。メイン料理を頼まない客がいても、その人のことは無視して水も食器も出さないわけにはいかないし。店内が狭いマンハッタンの店は混雑する時間帯に金にならない客が1席占領すると利益にダイレクトに響きます。こういう傾向がアジア人に多いから、店から敬遠されているのかもしれません。こういう客に限ってアジア人差別とか言いますが、肌の色で差別してる訳ではなく、金払いの悪さで選別されていると言えるでしょう。アジア人だけのグループにはサーブしないと決めてるサーバーもいると聞いたことがあります。最近は、メイン料理をシェアする場合、15ドル〜20ドル加算するレストランもあります。

 

ということで今日は、お客様は皆神さまという日本的の性善説のおもてなしと、ホテルの客室備品を持ち帰るようなインバウンド外国人の立場から思ったことを書いてみました。

 

メイン料理のシェアは嫌がられるのは日米共通

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今月2回にわたって、仕事でマンハッタンに来ていた従兄弟のトシ君にカミングアウトをした話を書きましたが、親戚であると同時に、大学の後輩でもありビジネスマンである彼とは昨今の日米の政治や経済、社会問題の話もしました。

 

 

特に盛り上がったのは移民政策の話。というのも、トシ君が出張に来たちょっと前に、南部ジョージア州の韓国系自動車会社の工場建設現場で一斉に移民摘発が行われ、475人もの労働者が拘束された事件がありました。その中には、不法労働とされる移民だけではなく、韓国本社から出張してきていた社員や日本人の工作機器メーカーの出張社員も含まれていたとの報道もありました。よってトシ君も不安に思っていたのです。

 

 

トシ君の出張は、NY近辺の取引先を訪問して製品サービスのクライアントへの説明やシステムの使い方のトレーニング、そしてそれに関する様々な会議が目的でした。日本人ビジネスマンが出張でやってきてこういった活動をするには労働ビザは必要とされていません。90日以内であれば観光目的の日本人と同様ESTAで入国できます。これは、トシ君が勝手に判断していたわけではなくて、トシ君の会社がきちんと国際弁護士事務所に確認した上ので判断です。今回も同様の方法で入国したのですが、例の韓国系工場での社員拘束事件もあって、トシ君は、クライアント先の工場にガサ入れがあって自分も移民当局に職務質問にあって拘束されたら大変だと思っていたようです。

 

 

そんなこともあり神経質になったいたトシ君。クライアントの事業所に滞在中、技術者から製品サービスについて質問が相次ぎ、システムバグなどを解決しているうちに、技術的な話になっていき、これはもしやESTAで活動が認められている範囲を超すのではと思うようになったそうです。それで、こちらで得たジョージアでの韓国人拘束事件の話を会社にして、自分も心配だという話をしたら、アメリカ国籍を持つ社員を派遣してくれることになったそうです。たとえ今現在日本在住でも、アメリカ国籍者にはそういう活動の制限はありませんから。

 

それが、トシ君の滞在最終日にディナーに来た後輩君です。後輩君を最初に見たときは生粋の日本人だと思っていたのですが、聞いたら日本人のお父さんと中華系インドネシア人でアメリカのパスポートを持つお母さんがアメリカで結婚し、滞在しているときにこちらで生まれたのだそうです。よって、今も米国パスポートを持っています。その後両親が日本に来て、ずっと日本で育ったのと、お母さんはインドネシア出身とはいえ中華系なので、後輩君の見た目は日本人にしか見えません。今このブログ書いてる時に、インドネシア人の奥さんと子供がいる俳優ディーン・フジオカの離婚がニュースになっていますが、後輩君はまさにそんな環境で育ったようです。ディーン・フジオカの子供と違うのは、ジャカルタじゃなくて東京でずっと育ってほぼ日本人として育っていること。

 

ディーン・フジオカの離婚は国際結婚の難しさを物語る

 

そんなトシ君と後輩君、そして私の3人で、現在の日米の移民に対する世論の行方を憂いました。確かに度を越した不法移民の流入やビザ切れの後のオーバーステイ、また外国人の税金逃れ、社会保障のただ乗りは日米両国で問題になっています。それに加えて日本では、オーバーツーリズムや日本の文化伝統の軽視や破壊、一方アメリカでは麻薬の流入なども外国人を巡る議論の争点になっています。高市さんもトランプも当選の背景にはそんな国民の怒りの声を受けた形になっているとも言えるでしょう。

 

しかし、そんな民衆の怒りとは裏腹に、日米に共通して言えるのは、どちらの国も移民なしでは社会が回らなくなっていることです。日本に帰る度ごとに思うのはコンビニや飲食店での外国人店員さんの比率の増加。ずっと日本に暮らしていると気がつかないのかもしれませんが、1年に1回帰国する私には、今や東京にいても東南アジアのどこかにいるような感覚を覚えます。私が日本にいた頃からすでに、農場や工場などお客から見えないところで外国人(特に日系ブラジル人等)が多く働いていましたが、今や接客や小売などのサービス業の現場でも外国人がいないと回らなくなっているようです。


でも、それって究極的に言えば、好むか好まざるかにかかわらず、民衆が移民を必要としてるってことにもなるんですよね。

 

前回一時帰国した時、ある東北の老舗温泉旅館のフロントでネパール人がチェックイン業務をしてました。インバウンドが押し寄せるような有名観光地ではないので、インバウンド対応のために彼がいるのではなく、単に地元では日本人の労働者を採用できないからのようでした。でないと80過ぎたおじいさんとおばあさんぐらいしか働いてくれる人がいない。最近では、建設業界、土木業界でも外国人依存は強まっています。国家の安全保障上の観点から外国人を採用することに抵抗があるとされるインフラ関係、鉄道の保線業務にも外国人技術者に特定技能種で労働ビザを発給しようという動きもあるそうです。

 

移民排除しても、その後待ち受ける状況は、、、

 

アメリカではそれ以上に移民に頼った社会になっています。特定の業界で移民が多い、というのが難しいほど、ほぼ全ての経済活動で移民依存は常態化しています。よって、トランプ政権が移民排斥を訴えて、移民を追い出しても、後々になって経済が回らなくなってしっぺ返しをくらうのはアメリカの有権者なのです。例えば農業などはすでに大きな打撃を受けていると言われています。これまで農作物の収穫を担ってきた中南米系の移民が激減してしまったのです。だからと言って、アメリカ人の労働者を雇えばいいじゃないかとなるのかもしれません。しかし、そう単純でもないのです。移民依存の経済構造に慣れてしまっているアメリカ人、特に若者は農作物の収穫のような仕事を好まないという労働市場の不一致があります。またファーストフード店など店によっては店長以外全て正規の労働ビザを持たない移民労働者で運営されているところもあります。昨日、南部の某都市で1日に897人の検挙がありほぼ全員が強制送還になる予定だとニュースで聞きました。キッチン・接客スタッフがほぼ全員収監されたというハンバーガー店は営業できず閉店になるようです。なお、冒頭に述べた韓国系自動車工場もそうですが、きっかけは、外国人を快く思わない地元住民の密告によるものと言われています。

 

 

私のブログで扱えるような問題ではないので、従兄弟と話したことをきっかけに、アメリカの現状はこんな感じですよ、と言うレポに留めておきますが、政治的イデオロギー的に、そして感情的に移民を追い出しても、経済的には、待っているのは労働力不足による賃金の上昇、そして物価高です。アメリカでは、現在の移民排斥モードがどう社会経済に影響を与えていくのか、これからじわじわと影響が可視化されていくことでしょう。

 

少子高齢化の進む日本ではそもそも製品の供給が滞り、様々なサービスが受けられないと言う結果になります。それでも移民や外国人が嫌なら、経済活動の縮小をすればいいのかもしれませんが、国のレベルでそんな政策は取れないでしょう。日本の地方都市で「コンパクトシティー化」という政策がありますが、地方ならまだしも国政レベルで、国自体の衰退を連想させるような政策議論は難しいのではないかと思います。どの国も、技能の高い(=その国にとって有益となる移民)は欲しいけれど、不良外国人には入ってほしくない、というのが基本的な政策になるかと思います。しかしボリューム的には単純労働の分野においてこそ移民の需要が高いのであり、不良外国人化しやすいとされるそれほど教育レベルの高くない層が入ってくることは避けらません。

 

また、今の日本の状況を見るに、それこそ、今回登場した後輩君のような高スキル技術者の外国人にも居心地の悪い社会になってしまい、早晩賃金の高い国に逃げられる恐れもあります(とはいってもアメリカもヨーロッパも大して魅力的なところではないと後輩君は言ってますが、、、)。

 

いずれにしても、性善説に基づいたお花畑主義や、移民にはいづれ帰っていただく、と言うようなこちら側の勝手な幻想はすて、外国人が移民した先のルールを守らないと生きていけないようなきちんとした法整備が必要と思います。高市さんにもトランプにもそういったところを期待したいです。

 

と、久々に真面目な投稿でしたが、移民論争の行き着く先はどうなるのだろうと思う毎日です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋の到来を告げたニューヨーク。まだ紅葉の真っ盛りには早いですが朝晩は冷え込み秋の匂いを感じます。

 

毎年この時期にはほぼ週末毎にニューヨークから日帰りで小旅行をしていて、今年も10月最初の週末にハドソン川をずっと上流に行ったところに位置するハイドパークという小さな町に行ってきました。うちからは車で2時間弱、マンハッタンからは電車でもアクセス可能です。

 

 

 

旦那は義父の介護で2週間帰省中でしたので、今回の旅は、前の会社の同僚のK子さんと、彼女のお友達でアメリカ人女性のBさんと一緒。K子さんは、車なしの生活してるので、たまにこうして連れ出してあげています。昨年も一度郊外のショッピングモールに行くのにKさんをお連れして、その時Bさんとも会いました。よってこのメンバーでドライブするのは2回目。あまり天気の良くない日でしたが、雨には降られずまあまあのドライブ日和。鮮やかな紅葉にはちょっと早くとも、日頃来ることのないハドソン川上流地域まで来ると旅気分を味わえます。

 

この辺り視界が広くドライブだけでも清々しい気分になりますが、観光のハイライトがいくつかあります。

 

 

 

まずは、ヴァンダービルト・マンション・ナショナル・ヒストリック・サイト(Vanderbilt Mansion National Historic Site)です。アメリカ大陸に鉄道網を敷き詰めた鉄道王として有名なコーネリアス・ヴァンダービルト氏の別荘地が今は国に寄贈され史跡になっています。当時の別荘は綺麗に保存整備されて、今もその豪勢な暮らしぶりを垣間見ることができました。ヴァンダービルト家はその栄華を今に伝える名門財閥一家で、その子孫はアメリカの実業界の各分野で今も活躍しています。CNNのニュースで有名なアンダーソン・クーパーも実は、ヴァンダービルトの末裔です。今も全米中にヴァンダービルト家ゆかりの建造物が残され、私が通勤で使っているグランドセントラル駅一体の通りも駅舎の隣にあるビルも、ヴァンダービルトと名がついています。

 

 

 

 

そしてもう一つ外せないのが、第32代大統領フランクリン.D.ルーズベルトが住んだ邸宅(Home of Franklin D. Roosevelt National Historic )です。ルーズベルトはここで生まれ育ち、そしてポリオに罹って体が不自由になった後も難病の保養地として愛した場所です。現在は米政府の管轄のもと歴史的建築として保護されています。敷地内にはルーズベルト大統領と妻レオノアのお墓もあり、二人はこの地に静かに眠ってます。また同じ敷地内にはルーズベルト大統領図書館兼ミュージアムもあり、ここだけで半日は費やすことのできる充実した観光スポットと思います。第2次世界対戦時にアメリカの大統領として、日本を敵国として見ていた大統領であり、資料館には第2次世界大戦時の多くの資料が展示されています。また、日系アメリカ人を専用キャンプに隔離したのも彼。日本人である私には複雑な思いを起こさせる場所でした。ここ、マンハッタンに住んでる日本人でも知っている人が少ないので、ご興味を持っていただいた方はぜひいらして見てください。

 

 

 

 

ところで、この日は、アメリカ連邦議会で公務員予算が承認されず政府機関が閉鎖された5日目にあたりました。ヴァンダービルト・マンション・ナショナル・ヒストリック・サイトもフランクリン.D.ルーズベルトの生家も国立公園扱いのため、一部かアクセス不可能になっていましたが、園内ツアーは実施されていました。どうやらツアーガイドは連邦政府の職員ではなく、ボランティアの方々のようでした。これから紅葉の見頃を控え、観光客も冷えていくでしょうから、早く政府業務が再開して、上記2施設も通常営業に戻って欲しいものです。

 

 

以上、2箇所回っただけで結構な時間になってしまいましたが、我々にはもう一つミッションがありました。それは、ハイドパークにある大学に通うB子さんの息子さんに会うこと。この夏に入学して以降、二人の3ヶ月ぶりの再会の場面に立ち会うことができました。シングルマザーであるB子さんと息子さんが離れ離れに住むのは人生初ということで、お互いさぞ恋しかっただろうと思われる感動のシーンでした。その息子さん、K子さんから噂で聞いていたけれど、イケメン。高校時代はホッケーの花形選手。余計な情報だけど。

 

大学の寮に入ったものの、色々と不自由なので市内のアパートを探しているそうです。Bさんが家賃を払ってあげるらしいので、契約予定の物件を見たいとの親心で、K子さんと私も付き添って一緒に全員でゾロゾロと行ってきました。私のスマホの地図を使って学生街のアパートまで行ったので、スマホのアルゴリズムが働いたのか、男二人でシェアをする物件の案内が次々とインスタに掲示されるようになってしまいました。私のスマホ内のゲイ的な閲覧履歴を感知したのか、スマホ内のアルゴリズム、恐るべし。

 

こんな物件紹介広告が立て続けに表示

 

 

さて、盛りだくさんの日帰り旅行、あちこち行ったので、まとまりのないブログになってしまいましたが、最後に、ニューヨーク市内への帰り道に野菜類の即売やっている農園に立ち寄りました。りんごやなし、かぼちゃなど、実りの秋は到来したのだなと季節の移ろいを感じた旅でした。

 

 

 

リンゴと梨をたくさんに購入しました

 

ドライブ中、K子さんとBさん女性二人は楽しそうに話していました。私も混ざれる会話には混ざりつつも、二人の会話をBGMかわりに聴きつつ色々と考え事をする良い機会でした。K子さんもBさんも、明るい性格だけど、私の私生活の詳細を聞いてきたりしないし、踏み込んでほしくない領域には決して踏み込んで来ないので、楽しいドライブのお供に最適。車を持たない二人にとっては私のような存在は重宝なようで、また来年の今頃、収穫の時期に紅葉狩りに戻ってきましょうと話しました。

 

なお、この記事時間差投稿です。実際にハイドパークに行ったのは10月の上旬。あれから2週間近く経っているので、そろそろ紅葉も見頃を迎えていると思われます。