モスタルの休日 | /// H A I H A I S M ///

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あわてない、あわてない。赤ちゃんが「はいはい」するように、のんびりゆっくり進みましょう。

アドリア海の海岸から内陸に50キロ。
モスタルはボスニア・ヘルツェゴビナ南部の中心都市で、街を流れるネレトヴァ川の渓谷にかかる石橋スタリ・モストの歴史は、16世紀オスマン時代さかのぼる。

モスタル? どこ? だろうから、簡単に紹介するね。

スタリ・モスト(とその周辺の旧市街)は、ユネスコの世界遺産に登録されているんだけど、建設当時のものじゃない。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が激しかった1993年に、スタリ・モストは爆撃で破壊されているんだ。でもその後1999年に再建が開始され、2004年に完成、そして2005年には世界遺産に登録されたってワケ。

今もモスタルの街のあちらこちらには、破壊された建物や、壁に砲撃の痕跡のある建物が残っていて、街を散策しているだけで、20年前の悲惨な出来事をどうしても思い出してしまうんだな。
まだたったの20年前。その頃ボクは十分に大人だったから、若いころから訪ねてみたいと思っていた街が次々と破壊されて行くニュースを、悲しい想いで見ていた。
だからこのエリア(旧ユーゴスラビア)の国々に来ると、この件について触れなくちゃならないと、つい思ってしまう。

それでもモスタルの空は青く、陽射しは輝いていて、街の人々は平和な顔をしている。宿の窓を開け放つと、どこからともなくコーランを詠唱する声が聞こえて来る。かと思うとカトリック教会の鐘の音が響く。
本来ならば、異文化の交錯するエキゾチックな街の一風景のはずなんだけれどもね。今もなお、カトリックのクロアチア人と、イスラムのボシュニャク人とは川を隔てて生活をしているんだそうだ。

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今回、アドリア海沿岸の街をいくつか訪ねようと決めた時、モスタルも絶対に外せないと思った。ローマからイタリアのアドリア海側の港町アンコーナまで4時間列車に揺られ、そこから1晩かけてクロアチアのスプリットまでアドリア海を渡り、さらにバスで5時間。ようやくモスタルにたどり着いた。

宿は、17世紀オスマン時代のトルコ様式の屋敷で、日中は博物館として公開されているんだ。その屋敷の2階の一部屋がボクの部屋としてあてがわれていているものだから、街の散策に疲れてホテルに戻って部屋で休んでいると、博物館を訪ねて来たツアーの一行が、ボクの部屋の扉が面するホールでガイドの解説を聞いていたりする。
客室になっている部屋の装飾もそれぞれに異なっていて、見物客のリクエストに応じて部屋の中を見せたりもするのね。さすがにボクが使ってる部屋が公開されることはなかったけど。

博物館だから、ロビーやホールには色々な展示がしてある。まぁ、当然。
屋敷の当主が交わした書状が額に入れられて壁に飾られてあったり、当時の豪華な什器がガラスケースに納められてロビーに置かれていたり。
そして、当時の典型的な衣装を展示するために、2体のマネキン人形が置かれていた。宿の入り口の、靴を脱いで入るホールの真正面に。ボクはその2体のマネキンが座るソファーの横の階段を上って、自分の部屋まで行かなくてはならない。

屋敷には数組の宿泊者しかいない。とても静か。
そして歩くと、一足ごとにギシギシと床のきしむ音がついて来る。

夜は怖い。

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