なんかこの疲れは「和」のパワーを借りなくては癒されないのではないだろうか。
この疲労の先に死が待っているとして、最後に和食を食べずにあの世に行って、あの世で永遠に後悔するようなことにはならないのだろうか。
あの世にはきっと最後が無いだろうから、永遠ってのは本当に永遠なんだ。困ったな。
まぁ、そのくらい食べたかった。もうずいぶん食べてないしな。ちっ!若い頃にはずっと地元メシでも平気だのに。
ローマ最後の夜、これからしばらくは日本料理屋なんて期待できないところを旅することになるから、ここに居る内に食べておこうって考えた。でもね、なかなか無いんだ。本当の和食で、美味くて、そして「安い」ところが。
ホテルの部屋でネットで探している内につい寝込んじゃって、夜の8時近くになった。そろそろ食いに行かなくちゃならない。しかたがない。メトロの中で宣伝してたあの店が近くだから行こう、そう思った。
ホールもキッチンも中国語が飛び交う日本料理屋は、結構な人気だった。
ボクは壁際のテーブルを1つあてがわれて、まずお好みで寿司を頼んだんだけど、寿司ネタが、まぐろ、サーモン、さば、スズキ、エビ、タコ、玉子しかない。あ、あと「スリミ」があった。スリミってのは、ヨーロッパでは「カニかま」の事を言うんだけど、メニューのスリミのところには説明書きに「カニ」と書いてあって「*」マークが付いている。そっか。「カニとは書いてあるけれど、実は本物のカニではなくてカニ風味のかまぼこだよ」って、そう説明が付いているのかと思った。ところがそうじゃなくて、冷凍食材ですとの注意書きだった。
ってことは、カニなのか? 本物の。
注文してみた。カニかまだった。それも結構かまぼこらしさを前面に押し出した、そのまんまのかまぼこだった。
シャリは、握りすぎて餅みたいになっていて、歯にへばりついた。
かんぴょう巻は、なぜかアボカドが巻いてあった。
何せネタの数が少ないから寿司にあきて、最後に牛丼の小丼を頼むと、具にモヤシが入っていた。
ホールのウェイター達は良くしゃべる。そしてその会話に、寿司職人達も参加している。ちょっとそこの布巾とってくれる? はい、どうぞ! なんてノリなんだろうなぁ。ウェイターが放り投げる布巾が宙を舞い、寿司コーナーのカウンター越しに寿司職人の手に渡る。
すごいな。日本じゃ見られない光景だぞ。
火を通さない生ものを手で直に「調理」してもそれに不潔を感じさせないためは、実際に寿司職人の周りが清潔に保たれているだけじゃ足りなくて、所作の1つ1つに薄汚れた感じがしちゃいけないんだと思ってた。
*****
でもね。結局、中途半端な和食しか食べなかったんだけど、「和食じゃなきゃ死ぬ!」って気分も、このニセ和食ですっかり落ち着いちゃってね。なんだか胃も満足してるし、心もハッピーを感じている。味覚は満たされなかったけど、なんとなく精神的に満たされちゃったみたいな?
案外、バカ舌なんだ、ボク。いや、舌がバカじゃなくても、感受性がバカなのかも。
だから、後悔なんてなーんも無いんだけど、残念なのはこれが和食だって思われることだよ。
ニセ和食のくせに、それで人気がないんだったらまだ救われるんだけど、そこそこ客がたくさん入っているんだもの。
ま、ボクが子供の頃は、ふっにゃふにゃのケッチャップ味のスパゲッティをイタリア料理だって思っていたんだから。
それから比べたら、マシ? ん? どっこいどっこい?
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