----- 旦那さま。久しくお姿をお見かけしないと思っておりましたら、冬眠されていたそうでございますな。
ん? 冬眠? あれは言葉のアヤだ。本当に寝ていたわけじゃないよ。
つまり気分の問題だ。なんだか今ひとつ活動的になれない。今動いても物事が改善するように思えない。いわば気力の問題だな。そんな気分を「冬眠したい」って、スネて表現してみただけじゃないか。
ようやく春の兆しが見えてなんとなく前向きになって来た、今はそう言いたいワケだよ。
----- 気力でございますか。モチベーションでございますかな。
人間、年齢を重ねると、新しいことを始めるのになかなか一歩が出ないことがあるのでございます。身体が固くなるのと同時に、頭も固くなるのでございましょう。ついでに言えば心も。
セバスチャンは、ずいぶんときついことを言う。
----- そうでございましょう? 旦那さまも若いころなら、酒を飲んで、笑って、眠って、翌朝には回復したような事で、冬眠だなんて言われるほど凹んでしまうのですから…… ずいぶんと柔軟性がなくなって来たということでございますよ。
おいおい。もう冬眠問題ではあまりいじめないでくれよ。歳を取るにつれて「固く」なるってのは、そりゃそうなんだろうと思うさ。
ところがだよ……
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今日の事なんだけど、母と一緒に食事をしたのさ。電車に乗ってちょっと離れた街に行ってね。
母は駅を出るなり「あら。ここ見た事あるわ。いつ来たのかしら。何しに来たのかしら」って言うんだよ。
しばらく歩いて角を曲がるとまた「あら。ここ見た事あるわ」って。そして、すこし行くとまた「あら。いつ来たのかしら」ってね。
----- そういうこともございましょう。以前何の目的で来たのかなんて、忘れてしまうことは多いものでございます。
確かにな。
でもセバスチャン、その街は母にとっては初めての街のハズなんだ。もちろん息子だからって母の何もかもを知ってるワケじゃないのは分かってるけどさ。最近母はどんなところに行っても「あら。ここ見た事あるわ」だからな。
デジャヴュかっつーの!
----- 確かにデジャヴュかもしれません。
「確かにデジャヴュかもしれません」ってね、セバスチャン。
デジャヴュってやつは、頭が柔らかいって言うか、頭の配線がまだフレキシブルなって言うか、若い頃に見るものなんじゃないのか? 少なくともボクはそう思っていたけどね。
ボクだって学生の頃まではあちこちで「お、ここ前に来たことある~」とか「この雰囲気、以前もどこかで感じたぞ」とか、やたらとデジャヴュっちゃってたワケだよ。
でも最近は全くない。
----- お母様の頭が青年の様に柔らかいのでございましょう?
まあなぁ。そうも考えられるだろ? 無理して考えればね。
でもさ、母は最近思い込みが激しいし、けっこう頑固だぞ。十分立派に「固い」年寄りなんだ。ところが一方では、グダグダにワケわからんところがあって、そういう所は「柔らかい」。
まぁ、あまり良くない意味でなんだけれども。
でもその「柔らかさ」のおかげでデジャヴュを見れるとは、なかなか面白いって思ったワケさ。
----- 旦那さまも、お母様を見習って柔らかくなってございまし。
ん? 見習うのか? それはやだよ。
----- なぜでございます?
だって、その「柔らかさ」が若い頃の「柔らかさ」と一緒だって言う保証はないだろ?
ボクは十分「柔らかく」ありたいとは思うけどね。でも進む方向は「固く」なる方を選ぶさ。徐々にであって欲しいけど。
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あのね、セバスチャン……
公園のベンチで幼なじみの2人の老人が話をしていたんだって。一人がもう一人にこう話しかけたんだそうだよ。
----- 歳はとるもんじゃない。わしはもう体中ボロボロで、あっちこち痛くてたまらん。おまえさんはわしと同い年だったじゃろ? 調子はどうだい?
----- わしかい? わしはまるで生まれたての赤ん坊のようじゃな。
----- 生まれたてだって? 赤ん坊のよう?
----- 髪の毛は薄いしな。歯も無い…… それに今ちょうど、ウンチちびったみたいだ。
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セバスチャン。言っておくけどな、ボクには髪も歯もあるからな。
----- でもちびったことはございましょ? 大人になってから。セバスチャンは存じておりますよ。