
このブログネタに、ピンポイントで戻りたい時期を示しちゃうと、
その時に人生の判断を誤ったって思っていることを、
ゲロっちゃってるようなものだよな。
たとえば、あくまでもたとえばの話なんだけど、
「27歳の秋に戻りたい」なんて言ったら、
それは、結婚が失敗だったって言ってるようなものだね。
記事を読んだ女房は、怒るだろうね。
くどいようだけど、
「たとえば」の話だよ、「もしも」のだよ、「仮に」だよ、「単なる例示にすぎません!」
って、恐妻家ですか? ボク。
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じゃぁ、いつにだったら本当に戻ってみたいかって、結構マジに考えた結果は、
「23歳の冬」だな。
その冬。ボクはマドリッドに住んでいた。
1年間休学の予定は、まさに終了目前だったのだけれど、
もう1年なし崩し的に休学を延長して、納得行くまでマドリッドに滞在した後、
陸路でインドまで行って、それから帰国しようと、
秋には心に決めていた。
ところがね。
なにかの拍子に、里心がついてしまったんだな。
今思うと、里心がついたというより、
そのまま人生を放浪する勇気がなかったってのが、本当の理由なのかもしれない。
今でもその日の事は、よく覚えているけれど、
考えても、考えても、どうしていいかわからずに、
「サルスエラ *1」を見に行くことにした。
なんか、気分転換が必要なのかなって思って。
でも、結局そのサルスエラの舞台の事は、実は何にも覚えていない。
ただ、その時のチケットが手元に残ってるだけ。
ボクは劇場の椅子の上で、ずっと、どうしていいかわからないまま、
考え続けていた。
そして下宿屋までの帰り道のバル *2 でビールを飲みながら、
「今したいようにすれば、いいじゃないか」って自分を納得させて、
そして帰国したんだよね。
もし、その時に帰国していなかったら、きっと大学に戻ることはむずかしくて、
そうなると、その後の就職もかなり大変になるだろうからって、
そのまま「放浪の詩人」になってたかもなぁ。
なんだ、今ボクが目指していることは、
23歳の冬の決断次第で実現してたのかもしれない。
そう思うと不思議な気分だよ。
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もし、帰国が無ければ、
あの復学もなくて、あの就職もなくて、女房や息子や娘(やワンコ)との出会いも無くて、
別の人生が開けていたんだろうけれどね。
じゃあ、そっちの別の人生を歩みたかったのかと問われれば、そうでもない。
今の人生は今の人生で、きっとありえた人生で、そして実際あった人生なんだって思う。
でもさ、一方では、
きっとありえた人生で、でも選択されなかった人生があったってことを、
そして、その人生のエキサイトを、ボクはありありと想像することができる。
今、自分に言えることは、
その人生を、若いころに経験するか、老いぼれになって経験するかの差だけだよ。
どっちか良かったかなんて、わかったもんじゃない。

*1 zarzuela スペインのオペラ音楽の一種。一般大衆向けの軽歌劇。
*2 bar スペインの立ち飲み居酒屋。街中ではどんな道にもバルがある。人々のコミュニケーションの場。