ちょっと前のこと。
小学校の時の恩師の家にお礼をしに行く用事があって、
先生の好きなウィスキーを1本仕込んで、
日も暮れてすっかり空気の冷え切った夜の街を歩いていたところ、
小学生の時には何度か訪ねた先生の家が分からなくなってしまった。
細く入り組んだ住宅街の道を、あちこち曲がったり引き返したり。
そうこうする間に何度も同じ場所を行き来することになったのだけど、
ある電柱の下にすらりと背の高い髪の毛の長い女性が立っている。
先生の家は、かなり広い都立の霊園のすぐそばにあって、
そんなことに気づいてからボクは、なんだかその女性のことが気になって、
こちらが気にし始めたのに気づいたのか、彼女もボクの方を気にしているようだった。
そして、彼女の前を何度目か通り過ぎたとき、
「あのぉ...」
と彼女がボクに声をかけてくる。
一瞬、ビクッとしたな。
普通この時間に、長い間電柱の下にたたずんでいないでしょ。
普通の女性はさ。
で、なんとなく薄気味悪そうに彼女を見たのだけど、
決して白い長襦袢姿で立っているのでもなく、
髪の毛が蛇だったりもしないで、
見た目ごく普通の女性だったのでちょっとホッとして、
「はい、なんですか?」
*****
彼女の立っていた電柱の前には、
外階段の2階建ての、どこにでもあるようなアパートが建っていて、
彼女はそのアパートの入り口の見えるあたりにずっと一人でたたずんでいたのだそうだ。
そのアパートの一室に住んでいる男を訪ねて、
わざわざ北関東の田舎の方から出てきたのはいいけれど、
部屋のドアをノックする勇気がない。
「せっかく思い切って出てきたんだから、彼のところに行けばいいのに。」
「でも、もしかしたら、他の女性が中にいるかも知れないし...」
「そっかぁ。でも、いたらいたで、その時のことだよ。 ここでずっと立ってるつもりなの?」
「あのぉ... 本当に申し訳ないんですが... 他の女性が部屋にいるか確認して来てもらえますか?」
お、そう来ましたか。
そういうことですか。
冷静に考えてみれば、そんな依頼は断っちゃっても良いと思うし、
いやむしろ、見てきたふりをして「女性がいたよ、残念だったね」なんてことにして、
まぁ今日のところは一緒に飲もうか、
なんてことも出来たのかもしれないけれど。
「あ、わかったよ。」
と答えるボク。
「でも、どうすればいいかなぁ... ちょっとまってよ。今、考えてみるからさ。」
ボクは何でも屋さんですか?
*****
で、考えること約3分。
ボクは部屋の呼び鈴を鳴らして、彼に玄関まで出てきてもらい...
「あの、○○新聞のものなんですけど、半年でいいので新聞とってもらえませんか?」
「あれ? うち、○○新聞だよ。」
「あ、失礼しました。 どうしてかな? 間違えました。」
なんて会話を玄関先ですることになったのです。
でも、彼のアパートの小さな玄関のたたきには、女性用の靴が無いことはちゃんと確認しました。
*****
寂れたアパートの鉄骨の外階段をコツコツと降りてくるボクを、不安そうに見つめる電柱下の彼女。
あの男がそんなに魅力的なのかなぁ、なんて考えながら、
よく見るとなかなかきれいな顔立ちのその女性に、
女性は居なかったみたいだよと告げると、とたんにうれしそうな表情になって、
「ありがとうございました。本当に、ありがとうございました。」
と何度も会釈しながら、鉄骨の外階段を上り始めていた。
大きな紙袋を2つ両手に提げて。
ボクは人の役に立ったのかな?
あの後、2人は幸せだったのかな?
なんて話です。
実話です。
