スペインで暮らした1年は、人生でもっともハッピーだった1年だったかもしれません。
ボクはマドリッドの下町、アトーチャ駅やプラド美術館の近くのフカール通り(calle fúcar)の下宿屋に暮らしていたのですが、そこには、中南米から来ていた家族や学生がたくさん住んでいました。
おかげでボクのスペイン語は、どこの国で勉強したのがわからない不思議なイントネーションがあるんだそうです。
その下宿屋にはスペインで定住をすることを望んでやって来たニカラグア人の家族がいました。下宿屋で催されたあるパーティの晩、お父さんは、フライドポテトにケチャップをつけながら「サルサが出たから、サルサを踊ろう!」なんてはしゃいでいました。
長身で妙に細い身体を揺すりながら、腰をクィッ、クィッ、って振ったりしてね。コキッ、コキッ、って音がしそうだったな。
スペイン語でサルサというのは、タコスにかけるスパイシーなトマトのソースに限りません。ソース一般を言うもので、つまり彼は「ケチャップソースがでてきたので、サルサを踊ろう」と言ったわけです。
ま、その程度のことだったのです。
でも実はボク、結構これが気に入って、というか慣れない外国語で冗談を言うことなんて難しいものだから、これを応用しようって思ったわけです。
で、しばらくして下宿屋の一人娘がケーキをつくっていた時に「メレンゲ作ってるんだったら、メレンゲを踊ろう、一緒に!」って言ってやっちゃいました。
狙ってましたよ。彼女がケーキを焼くのを。ついでに腰をクィッ、クィッ、って振ったりして。
彼女はしら~っとした顔で「メレンゲって何?」だって。あはは。
彼女は、卵白と砂糖の焼き菓子メレンゲも、ドミニカの音楽メレンゲも、どっちも知らなかったのでした。
どうする。行き場を失ったボクの腰。
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さて、この話に出たニカラグアの家族には10才くらいの男の子が居て、名前をギジェルモっていいました。サルサを踊ろうとギャグをかましたお父さんの息子です。
ボクが帰国のためその下宿屋を去る前の晩、日本に持って帰るまでもない衣類を「ギジェルモに着せてあげてね」って、お母さんに渡したのです。ボクは当時スリムだったし、ギジェルモは発育が良かったし。
翌朝、空港に向かうタクシーを下宿の前の道に待たせて皆とお別れのあいさつしていると、ギジェルモのパパがボクのコートに無理矢理細長い身体を押し込んで戸口に出て来ました。手首が袖口から10センチくらいはみ出してたんじゃないだろか。パッツン、パッツンです。
で、「似合うかな?」って。
それギジェルモにあげたんだけどって言ったら、「ボクの名前もギジェルモだよ」って。どうしてボクは父親の名前を知らなかったんだろか。
しかし、親子で同じ名前をつけるかね 笑。
