福島第1原発 情報発信 -84ページ目

被災地で中国人研修生が不足、神栖市JAが訪中して来日要請


 東日本大震災と福島第一原発事故のため、多くの被災地で働く中国人研修生が帰国した。茨城県神栖市農業協会(JA)は17日、4人の幹部を中国へ派遣、中国人研修生が日本へ戻り仕事をすることを要請した。中国網日本語版(チャイナネット)が報じた。

 神栖市農業協会の野口嘉徳会長は、成田空港で「東日本大震災前、合計180人の中国人研修生が現地の農家で働いていたが、25人が地震後に帰国した。今は農業の最盛期で、被災地では労働力が不足している。中国人研修生が緊急に必要だ」と語った。

 野口嘉徳会長は神栖市農業協会の4人の幹部と、大連と瀋陽へ出向き、直接中国人研修生と彼らの両親に今の日本被災地と福島第一原発事故の情況を説明した。彼らの家族に研修生の健康と安全を保証し、早く日本を戻るようお願いした。

 野口嘉徳会長は、今回の中国行きで少なくとも20人の中国人研修生を連れて帰りたいとしている。(編集担当:米原裕子)

【関連記事】
中国人研修生の恩人・佐藤さんらに感謝、大連の会社が女川町を慰問
日本の被災地の中国人研修生9人と連絡とれず=中国商務部
日本の被災地の中国人研修生100人余りがいぜん安否不明
宮城県石巻市、中国人研修生百人と連絡取れず
まもなく帰国する中国人研修生、水餃子作りで感謝の意を表す

「この記事の著作権は サーチナ に帰属します。」




26、27日に初の一時帰宅実施へ~双葉町


 福島第一原子力発電所がある福島・双葉町が19日、一時帰宅の日程を発表した。

 双葉町の住民は現在、福島第一原発事故の影響で、福島県の他の地域や、埼玉・加須市などに避難している。

 井戸川町長は19日、双葉町では初めてとなる一時帰宅を、今月26日と27日に行うことを明らかにした。この2日間で3つの地区の約120人が一時帰宅する見込みだという。

【関連記事】
原発キーワード「一時帰宅」
川内村の一時帰宅が終了、通帳など持ち帰る
一時帰宅の福島・川内村の住民、警戒区域へ
警戒区域への一時帰宅、福島・川内村で実施
警戒区域への一時帰宅、川内村で実施へ

「この記事の著作権は 日本テレビ系(NNN) に帰属します。」




放射能と高波と…精鋭奮闘 陸上自衛隊


放射能と高波と…精鋭奮闘 陸上自衛隊
拡大写真
福島第一原発の30km圏内で捜索活動をする陸上自衛隊員 =福島県(陸上自衛隊提供)(写真:産経新聞)
 東京電力福島第1原子力発電所の半径30キロ圏内で陸上自衛隊が実施している行方不明者捜索の様子が公開された。陸自唯一の落下傘部隊「第1空挺(くうてい)団」で、腰まで海につかったり、狭い下水管に入り込むなど懸命の作業は続く。

 30キロ圏内での陸自の捜索は4月18日から。5月18日現在も3200人と170の重機を投入。精鋭部隊とはいえ線量計を確認しながらの時間との闘いだ。

【関連記事】
・菅首相がとうとう口にした「タブー」
・女川と思い込み原発へ労働者…派遣業者が釈明
・GW後のボランティア活動 息の長い支援、継続必要
・「みずありがとう」幼子からの手紙が勇気に
・自衛隊、警察…長引く遺体捜索で「惨事ストレス」

「この記事の著作権は 産経新聞 に帰属します。」




2号機内、温度・湿度高く作業難航


 東京電力によりますと、18日午前、福島第一原発の2号機の原子炉建屋の中に4人の作業員が入りました。建屋内の湿度はほぼ100%で、温度もおよそ40度と高かった影響で、作業時間はわずか14分間でした。

 「結果的に放射線量はそれほど高くなかった。ただ湿気が高かったため、14分程度の入室で本日は終了した」(東京電力の会見)

 建屋内の空間線量は1時間あたり最大50ミリシーベルトで、作業員の被爆量は1人あたり3~4ミリシーベルトでした。

 2号機の原子炉建屋は、1号機や3号機と異なり、屋根が残っていて、使用済み燃料プールなどから出る水蒸気がたまりやすいことから、東京電力は燃料プールの冷却システムを当初の予定より前倒しして設置したいとしています。(18日23:04)

「この記事の著作権は TBS系(JNN) に帰属します。」




原発作業員が語る緊迫の現場


 「建屋は真っ暗な中に自前の懐中電灯だけでケーブルを持っていかなければならないので、足元はびちゃびちゃだし、1回水が入ってきているので怖い」

 福島第一原発で10年以上働く男性は、津波が襲った直後の様子をこう振り返りました。当時の中央制御室。ホワイトボードに書かれているのは、すべての電源が失われたことを意味する「ステーション・ブラック・アウト」の頭文字です。最初の爆発が起きたのは地震の翌日のこと・・・

 「何らかの爆発的事象が、あったことということが報告をされております」(枝野幸男官房長官〔3月12日〕)

 「バーンっていう破裂音がして、とたんに空が粉じんで真っ茶色になって、そのあとに保温材の綿みたいなものが飛んできて」(原発作業員)

 それでも、男性は作業を続けました。満足な食料もなく、時には、一食クラッカーだけの時もあったといいます。それから2日後には3号機が爆発。

 「音は大きかったですよ、1号機より全然。うまい具合に風が吹いていたので、視界が良くなり『逃げるしかない』と」(原発作業員)

 さらに、その翌日には2号機からも爆発音が発生し、敷地内の放射線量が急上昇しました。

 「一時的に当発電所から、安全な場所へ移動を開始している」(東京電力・福島事務所の会見〔3月15日〕)

 「説明は別になかった。今、こういう状況だから退避しなければというのではなく、とりあえず退避できる格好で待機しててくださいと。誰かの指示で動いたというより、なんとなくみんな退避だってよという感じで」(原発作業員)

 男性は第一原発から退避し、しばらく避難していましたが、再び現場に戻りました。

 「建屋に入るときは怖いですし、足がすくむまではいかないが、気分的には嫌ですよね。“退路はどっちだ”とそれを頭に入れていますよ。そういう意味では信用していないですよ何も」(原発作業員)

 「直ちにベントを行わなければいけなかった」(自民党 西村康稔衆院議員〔16日〕)

 格納容器の弁を開放して水蒸気を逃がし、圧力を下げる「ベント」。たびたび実施の遅れが指摘されます。政府は東電の対応を非難し、現場でも「早くベントすべき」との声が上がっていたといいます。

 「爆発する以前にベントしなければいけないというのは技術的に知っていた。爆発後にベントを何でしなかったのかという話はあった」(原発作業員)

 では、なぜ「ベント」は遅れたのでしょうか。

 「判断はどこでするのかというのがはっきりしてない。何も分からず待機の状態」(原発作業員)

 地震の翌日、原発を訪れた菅総理。そのときの様子は・・・

 「怒ってましたね。『何なんだ、この状況は!』って。『俺はこんなことをしに来たんじゃない』と言っていた。どういう意味かよく分からないですけど、うわさでそういう怒る人というのは聞いていたが、本当にすごいなと」(原発作業員)

 1か月前、東電は事態収束への“工程表”を始めて公表。内容は、原子炉を6か月から9か月かけて「冷温停止状態」にするというものです。

 「僕らは正直、その工程表にあわせてという考えは持っていないので。安全でなければ仕事はできない。そこで何が遅れようが、危険であれば(作業は)やらない」(原発作業員)

 17日、あらためて東電から発表された工程表は、内容の見直しはあったものの、当初の「6か月から9か月で冷温停止させる」という目標は変えませんでした。果たして、目標とおりに進むのでしょうか。

 「自分の自宅も20キロ圏内なので早く戻りたいし、それだけですよね。一生懸命やって、なるべく早く復旧すれば、自分も早く帰れるので」(原発作業員)
(18日23:06)

「この記事の著作権は TBS系(JNN) に帰属します。」