福島第一原発圏内、川内村の作家・たくきよしみつインタビュー「3.11前よりはるかに、住民の原発依
■阿武隈梁山泊計画は絶望的になってきた
——作家のたくきよしみつが7年近く住んだ福島県川内(かわうち)村を離れたのは昨年の3月12日、福島第一原発1号機の爆発映像がテレビに映し出された直後のことだった。
自宅は原発から25km地点。心臓がばくばくした。放射能被曝の危険が迫っていた。
「逃げるぞ!」
妻にそう告げると、身の回り品をザックに詰め、車で神奈川県川崎市の仕事場にたどり着いた。
【たくき】その後、3月26日に自宅に荷物を取りに、川内村に一時帰宅したんです。線量が低いことは予想していましたが、実際に低い。村の中心部あたりで0.8マイクロシーベルト。自宅の室内は1マイクロほどでした。もともと川内村は地盤が固く、地震の被害はほとんどなかった。電気、プロパンガスなどのインフラも問題なかった。
当時、多くの人が避難していた郡山市の線量は2マイクロ前後もありました。友人たちも戻り始めていたし、一緒に村の再建に協力できればと思って、4月末に戻ったんです。
——川内村では3月16日、遠藤雄幸(えんどう・ゆうこう)村長が強制避難を決断し、約3000人の村民の多くは郡山市の「ビッグパレット」に身を寄せていた。村は原発から20km圏の警戒区域、20~30km圏の緊急時避難準備区域に二分された。こうしてほぼ無人となった川内村で、荒れ狂う4基の原発と背中合わせの生活が始まった。
【たくき】失望はしていませんでした。いや、むしろ川内を魅力ある村へと再生させるチャンスかもしれないとさえ思っていたんです。
——川内村の豊かな自然に魅せられて移り住んだたくきだが、血縁関係に縛られ、チャレンジをしない村民たちの姿に物足りなさを覚えることがしばしばだった。
【たくき】多くの村民が福島第二原発のある隣の富岡町や第一原発のある大熊町などで仕事に就き、収入を得ていることもあって原発ぶら下がり体質はかなりありました。原発の仕事をしている限り食べていける。そのため、豊かな川内村の自然を生かして、新しい産業やビジネスを起こそうという動きが起きない。
その一方で、風力発電プロジェクトやゴルフリゾート、産業廃棄物処理場といった誘致話ばかりが浮上する。村の有力者は川内村の自然を切り売りし、楽に儲(もう)けることしか頭にないんです。しかも、有力者は一族の代表として村議会議員に当選し続けるから、異論も封じられてしまいがちです。
——ところが、原発事故で状況が変わった。
【たくき】200人ほどの村民が川内村に戻ってきたんです。その中には、移住者も含めて、川内村の自然が大好きで、そこで暮らすのが当たり前と感じている人が多かった。だから、そうした人々と力を合わせ、原発に頼らないネオ川内村を作れるかもと期待しました。
イメージとしては“梁山泊(りょうざんぱく)”ですね。原発から30km圏というマイナスの風評は避けようがないけど、それを逆にエアカーテンのように使って、阿武隈(あぶくま)山地の森と水に触れながらゆったり暮らすことを望む人々が集まって、桃源郷のようなネオ川内村を作れないものかと。
——だが、期待はじきにしぼむ。4月22日、計画的避難区域、緊急時避難準備区域が制定されたのと同時に、国は同地域での稲の作付けを全面禁止した。8月には農水省が、もし収穫したら全量廃棄を義務づけるという省令も出す。
【たくき】これを受けて川内村でもすべての田んぼが作付けされませんでしたが、秋元美誉(よしたか)さんという農家だけが、自分の田んぼで穫れた米にどれだけの放射性物質が含まれるのか確認するために田んぼ1枚だけ作付けしたんです。村と県が何度もやって来てやめるように命じましたが、美誉さんは拒否して収穫までこぎ着けました。
——この“米騒動”、最後は「この作付けは村が検査を依頼したことにするから、収穫した米は全量廃棄してくれ」という提案がなされ、美誉さんもやむなく応じた。結局、県が検査用に持ち帰った1kg以外全量廃棄させられ、美誉さんが自主検査することも許されなかった。たくきはこう憤る。
【たくき】本来なら『村の稲作継続の可能性を探るために、条件の違う多くの田んぼで作付けをして検査したい』と村が県や国に言うべきなのに、補償金交渉を有利に進めることしか考えていない。これでは復興も何もないでしょう。
■人を入れ替えなければ復興などあり得ない
——こうした動きは賠償が始まる昨年夏頃から露骨になった。
【たくき】郡山市と川内村の二重生活者が増えたんです。ウイークデーを川内村で過ごし、週末だけちょこちょこっとアリバイ証明のように、郡山市の仮設住宅や借り上げマンションに戻る。ぼくは『死んだフリ作戦』と呼んでいました。
——避難した村民には東電から精神的損害への補償として、ひとり当たり月額10万円が支払われる。また給与所得者には失業手当に加えて、それまでの月収分が東電から補填される。さらに借り上げ住宅の家賃として県から月9万円まで支給される。
【たくき】だから、夫婦に子供3人、祖父母の7人家族だと、精神的被害への賠償金だけで月70万円がもらえる。これに、給与の補償、失業手当などを加えると、軽く一家の年収は1000万円を超えることになるんです。
こうなると、誰も村へ戻ろうとはしない。戻ったら、補償金がパーになるわけですから。だから、いつまでも村に帰らない、というより帰れない。実は軽傷なのに、包帯をぐるぐる巻いて補償金を待っているようなもの。これでは村の復興などできるはずがありません。
——補償漬けになり、一向に完全帰村しようとしない村民を、たくきは「原発ぶら下がり体質がさらに重症化した」と言う。
【たくき】芯がないというか、無抵抗というか。そんな川内村の人々を見ていると、僕はいっそのこと、飯舘村に住んでいればよかったとさえ思いましたね。飯舘は放射能汚染がひどくて、おそらく帰村は難しいでしょう。
でも、飯舘には全国に通用するブランド産品を作ろうとか、自然を生かした村作りをしようとか、自分の頭で必死で考えたり、工夫する村民がいっぱいいるんです。そうした人たちと一緒に被災したんだったら、彼らとまた協力して村作りに取り組んだり、別の新天地に移住してやり直そうって思えるから。でも、今の川内村にはそうした部分が見えない。
——9月30日、政府は緊急時避難準備区域を解除した。これで、医療機関や学校も再開できることになった。空間線量も低下し、場所によっては0.2マイクロシーベルトを切るほどにまでなった。だが、村人が戻ってくる様子はなかった。
【たくき】家に戻ったら、あるいは仕事を再開したら補償金が減らされるというバカな規定をやめない限り、戻れないでしょう。誰だってそうなりますよ。で、補償金の後は『除染ビジネス』です。すでに村では地元業者が『川内村復興事業組合』を作ってゼネコンからの下請け、孫請けを始めています。
——除染が始まると、粉塵が舞い上がり、作業員、住民が内部被曝の危険にさらされる。それがいちばん怖いことだと、たくきは言う。自宅そばに池を作り、孵化を見 守ってきたカエルたちが姿を消したこともショックだった。
【たくき】田んぼに水が入らなかったこともあり、2011年はカエルの姿が激減しました。おまけに、わが家の池で育ったカエルの子が例年の半分ほどのサイズしかなかったんです。ぺちゃっとして肉づきも悪くて。一概には言えませんが、やっぱり放射能の影響なのかなと落ち込みました。屋根から雨どいで雨水を池に流していたから、屋根に付着したセシウムが池に入っていたわけだし。その頃からです。除染ビジネスに巻き込まれ内部被曝するのも嫌だし、いったん川内村を出ようかなと考え始めたのは……。
——昨年11月11日、たくきはこのままでは仕事にも支障が出ると思い、生活拠点を日光市へ移した。
【たくき】今年の1月末に遠藤村長が帰村宣言を出したけど、郡山での二重生活を少しでも長引かせたい村民からは『余計なことをするな!』と、文句が出ているようです。原発マネーでシャブ漬けのままでは、いくら帰村宣言をしても川内村の復興はおぼつかない。『原発ぶら下がり症』を克服するには、まず、この原因を作った東電や保安院、原子力委員会、原子力安全委員会、原子力機構などの原子力ムラを解体して人間をすべて入れ替えることが必要です。村にも、あの土地を愛して守り抜く気概を持った新しい人材を外から入れないと、本当の復興は遠のくばかりですね。
●たくきよしみつ
1955年、福島市生まれ。作家、ミュージシャン。小説以外にも、デジタル文化論や写真、狛犬美術など専門分野は幅広い。著書は『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』(講談社)など。4月20日に『3.11後を生きるきみたちへ——福島からのメッセージ』(岩波ジュニア新書)を出版予定。公式HP【http://takuki.com/】
(取材・文/姜誠 撮影/山形健司)
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「この記事の著作権は 週プレNEWS に帰属します。」
放射能避け岡山に移住女性「空港が近く海外脱出しやすい」
東京電力福島第一原発事故から1年。事態は解決に向かっているとはいいがたく、いまだ故郷に戻れない人もたくさんいる。脱原発なのか続行なのか、国の方針が定まっていないだけでなく、実態がどうなっているかさえ国民は知ることができない。
不透明な先行きのなか、子供への放射能の影響を心配し、安全な土地へ移住する子育て世代が相次いでいる。ノンフィクション・ライターの北尾トロさんはすでに移住生活を始めた家族たちに、その本音を尋ねて回った。
* * *
土曜の夜、午後9時45分発の深夜バスは、ほぼ満席だった。目的地である岡山県・津山への到着時間は早朝6時半。さらに電車に乗り換えて岡山市の金川駅で下車。服部夏生さん(38才)が家族と会うときのコースだ。平均月2回、夏生さんはバスを利用。有給などを使い、できるだけ長く滞在する。といっても3、4日だが。
「ぼくは深夜バスのヘビーユーザーですよ。新幹線の半額以下ですから、バスしかあり得ない(笑い)」(夏生さん)
そうなのだ。バスは圧倒的に安く、夜中に走るので時間が効率よく使える。ぼくも、家族が松本に行ったら特急あずさではなく往復バス利用組になるだろう。
しかし長距離はラクじゃない。横3席でリクライニングできるといっても、熟睡は困難で、微妙に疲れたカラダで津山に着いた。何もない。コンビニもファミレスも影も形もないのだ。夏生さんの苦労がしのばれる。
金川駅からタクシーで10分。郊外というより山あいといいたくなるのどかな道路に、長女の詩子ちゃん(7才)と長男の樹クン(5才)が迎えに出てくれていた。案内され、妻の育代さん(40才)に挨拶する間も、子供たちが元気に走りまわる。
服部家が移住した経緯は複雑。もともと原発が気になっていた育代さんは事故後すぐに夫の実家がある名古屋に逃れ、いったん戻った後もお母さんネットワークで情報をチェック。東京から離れるしかないと腹をくくっていた。
「瀬戸内の祝島や九州、島根、あと鳥取へは下見にも行きました。縁あって8月1日から津山に疎開して部屋を借りましたが、ノミがいた(笑い)。その後、将来的なことも考え、岡山市内に越してきたんです。いざというときは空港が近いので海外脱出もしやすいですし」(育代さん)
育代さんは、個人と団体による組織『子どもたちを放射能から守る全国ネットワーク』のメンバーで、毎月のように東京や福島に足を運ぶため、利便性も確保したかった。
また、岡山で長く暮らすためには中心部へのアクセスも大切になってくる。ただし、荷物は東京の持ち家に置きっぱなしなので、現状は移住者より避難者に近い。安全な地域へ脱出するのが先決で、あとは動きながら考えていこうというスタンスだ。
「私と子供たちが岡山にいて、ひとり東京に残った夫は寂しいし不便だし困ったなあと思っているわけです(笑い)」(育代さん)
放射能による見えない影響を考えれば、東京で子育てするのは厳しいと夫婦間の意見は一致している。だが、会社員の夏生さんとしては、踏ん切りをつけるまで2年程度は猶予が欲しい。育代さんは2年なんて長すぎると思う。そのことではたびたびケンカもしている。
「東京は便利だし、仕事も好きみたいだし、わかるんですよ。でも、別れて暮らすのは不自然。いつまでこれをやるの、と」(育代さん)
逃げるように東京を離れた後ろめたさみたいなものが育代さんにはある。本当にこれでいいのかと悩むこともしばしばだ。だからこそ、いつまでも東京生活を引きずって、後ろ向きな視点でいるのはつらい。ここで生きていくのだと思いたい。
※女性セブン2012年3月29日・4月5日号
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不透明な先行きのなか、子供への放射能の影響を心配し、安全な土地へ移住する子育て世代が相次いでいる。ノンフィクション・ライターの北尾トロさんはすでに移住生活を始めた家族たちに、その本音を尋ねて回った。
* * *
土曜の夜、午後9時45分発の深夜バスは、ほぼ満席だった。目的地である岡山県・津山への到着時間は早朝6時半。さらに電車に乗り換えて岡山市の金川駅で下車。服部夏生さん(38才)が家族と会うときのコースだ。平均月2回、夏生さんはバスを利用。有給などを使い、できるだけ長く滞在する。といっても3、4日だが。
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しかし長距離はラクじゃない。横3席でリクライニングできるといっても、熟睡は困難で、微妙に疲れたカラダで津山に着いた。何もない。コンビニもファミレスも影も形もないのだ。夏生さんの苦労がしのばれる。
金川駅からタクシーで10分。郊外というより山あいといいたくなるのどかな道路に、長女の詩子ちゃん(7才)と長男の樹クン(5才)が迎えに出てくれていた。案内され、妻の育代さん(40才)に挨拶する間も、子供たちが元気に走りまわる。
服部家が移住した経緯は複雑。もともと原発が気になっていた育代さんは事故後すぐに夫の実家がある名古屋に逃れ、いったん戻った後もお母さんネットワークで情報をチェック。東京から離れるしかないと腹をくくっていた。
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育代さんは、個人と団体による組織『子どもたちを放射能から守る全国ネットワーク』のメンバーで、毎月のように東京や福島に足を運ぶため、利便性も確保したかった。
また、岡山で長く暮らすためには中心部へのアクセスも大切になってくる。ただし、荷物は東京の持ち家に置きっぱなしなので、現状は移住者より避難者に近い。安全な地域へ脱出するのが先決で、あとは動きながら考えていこうというスタンスだ。
「私と子供たちが岡山にいて、ひとり東京に残った夫は寂しいし不便だし困ったなあと思っているわけです(笑い)」(育代さん)
放射能による見えない影響を考えれば、東京で子育てするのは厳しいと夫婦間の意見は一致している。だが、会社員の夏生さんとしては、踏ん切りをつけるまで2年程度は猶予が欲しい。育代さんは2年なんて長すぎると思う。そのことではたびたびケンカもしている。
「東京は便利だし、仕事も好きみたいだし、わかるんですよ。でも、別れて暮らすのは不自然。いつまでこれをやるの、と」(育代さん)
逃げるように東京を離れた後ろめたさみたいなものが育代さんにはある。本当にこれでいいのかと悩むこともしばしばだ。だからこそ、いつまでも東京生活を引きずって、後ろ向きな視点でいるのはつらい。ここで生きていくのだと思いたい。
※女性セブン2012年3月29日・4月5日号
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「この記事の著作権は NEWS ポストセブン に帰属します。」
東電・勝俣会長の後任人事が難航
東電と、原子力損害賠償支援機構は、月内の総合特別事業計画の策定を目指していて、政府や機構は、これに合わせ原発事故などの責任をとって勝俣恒久会長を退任させる方向で検討してきました。後任の会長について政府や機構は複数の財界人に水面下で打診してきましたが、関係者によりますと、22日までに軒並み就任を断られたということです。
「この人事というのは非常に重要。大変な関心は持っている」(安住淳 財務相)
「総合特別事業計画にこういう名前をあげるとか私が許認可すると思いますが、株主総会までに決めないといけない」(枝野幸男 経産相)
政府・与党は、人選を急いでいますが、このまま決まらなければ、会長ポストが空席になるのではと指摘する声も上がっています。(23日11:01)
「この記事の著作権は TBS系(JNN) に帰属します。」
2号機、温度計設置へロボット調査
福島第一原発2号機の圧力容器の底に設置された温度計の1つが先月に異常値を示し故障と判断されたことから、東京電力は22日、新たに温度計を設置できるかどうか、原子炉建屋の1階にロボットを入れ調査を行いました。室内の線量が毎時1~3ミリシーベルトと比較的低かったことや配管などに目立った損傷がなかったことから、東京電力ではさらに調査を進め、温度計が設置できるかどうか検討することにしています。
また、東京電力は「2号機の圧力容器の下部にある温度計が故障した」と発表しました。故障したのは「冷温停止状態」を判断するための温度計の1つで、今後は3個の温度計で冷温停止状態が維持されているかどうかを判断することになります。(23日00:14)
「この記事の著作権は TBS系(JNN) に帰属します。」
放射能対策、情報の公開と農作物の生産過程での処置が重要 ー書籍「スウェーデンは放射能汚染からどう
放射能汚染対策、スウェーデンの経験から教訓を学ぶ
(GEPR編集部 GEPRでの記事)
1986年のチェルノブイリ原発事故によって放射性物質が北半球に拡散し、北欧のスウェーデンにもそれらが降下して放射能汚染が発生した。同国の土壌の事故直後の汚染状況の推計では、一番汚染された地域で1平方メートル当たり40-70ベクレル程度の汚染だった(図表1)。福島第一原発事故では、福島県の中通り、浜通り地区では、同程度の汚染の場所が多かった(図表2)。
(図表1)スウェーデンにおけるチェルノブイリ原発事故由来のセシウム137の土壌汚染の推計値(「スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか」資料)
http://www.gepr.org/ja/contents/20120319-01/
(図表2)日本における福島第一原発事故由来のセシウム137の土壌汚染の推計値(文部科学省資料)
http://www.gepr.org/ja/contents/20120319-01/
スウェーデンも事故発生直後の1年は、日本と同じように放射能をめぐる社会混乱が起こった。人々に不安が広がり、政府の対策も遅れた。それに対する反省から、政府と民間で適切な対策を考える調査と研究が行われた。
その一つが、同国の防衛研究所、農業庁、スウェーデン農業大学、食品庁、放射線安全庁が1997年から2000年までに行った合同プロジェクト「どのように放射能汚染から食料を守るか」だ。その報告書を合同出版が今年2月に「スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか」というタイトルの書籍にして発売した。福島原発事故に直面した日本に参考になる点が多いために、それを紹介する。
報告書からの教訓1-情報と検査方法
この本は4章、邦訳で172ページになる。構成は以下の通りだ。
「1章:チェルノブイリ原発事故からの警鐘」では、この事故直後のスウェーデンの状況と、そこから得た教訓が示されている。
「チェルノブイリ原発事故によって被災した直後のスウェーデンにおける行政当局の対応は、『情報をめぐる大混乱』として後々まで揶揄されるものでした」と振り返る。そして、迅速な汚染マップの公表、正確な情報を繰り返し提供する必要があると指摘した。
印象的なのは、情報公開をめぐる日本の失敗と同じことがスウェーデンでも起こり、教訓として「してはいけないこと」が導かれていることだ。以下引用する。
「行政当局は、ときに、国民に不安をあたえることを危惧して、情報発信を躊躇する場合があります。しかし、各種の研究報告によれば、通常、情報発信によってパニックの発生を恐れる根拠は無く、むしろ、多くの場合、十分に情報が得られないことが大きな不安を呼び起こすのです。とりわけ、情報の意図的な隠蔽は、行政当局に対する信頼を致命的に低下させかねません」
「行政当局が十分な理由を説明することなく新しい通達を出したり、基準値を変更したりすれば、人々は混乱してしまいます」
また事前の備え、事故直後の汚染マップの迅速な作成、農業と畜産業の長期的な対策が必要とも述べている。
「2章 放射線と放射性下降物」では健康への説明、さらに同国での2000年時点での検査体制の説明が行われている。放射性物質の解説は分かりやすく詳細だ。
また同国の2000年時点の食品検査体制も紹介されている。牧草、葉物野菜、肉などの農作物で、サンプリング検査しか行われない。全量検査などは費用がかかり、それに見合った効果がないと判断されているためという。日本では現在、米などの農作物について、特定地域の全量検査をするかについて、議論になっている。スウェーデンのように「サンプリング検査しかしない」という判断もあり得るだろう。
また報告書発表時点(2000年)時点での、同国での放射能による住民への健康被害はこの報告書の中には記述されていない。
報告書からの教訓2-社会への悪影響の広がり、内部被曝の削減方法
「3章 放射性降下物の影響」では、農作物への影響が記述されている。放射性物質にある地域の土壌や水が汚染された場合に、食物連鎖によって、どのように地域で作られた食物に汚染が広がるかについて、説明している。どのような影響があるかを算出する「移行係数」という推定する考え方も紹介している。
こうした配慮によって、農業においては農作物の生産段階で対応し、食品が放射能に汚染されないようにすることを勧めている。
またチェルノブイリ事故によって、心理的・社会的影響、労働環境への影響、経済的問題が、スウェーデンで複雑な形で発生したことも指摘している。
「4章 食品からの内部被ばくを防ぐ有効な対策」ではスウェーデンにおける食品安全基準、また家庭の食生活で、避ける方法を紹介している。
同国ではそれまで1ミリシーベルト(mSv)の平常時の放射線量の防護基準を採用していたが、事故後の86年に1年間は5ミリシーベルト(mSv)の被曝も容認した。その基準に合わせて、セシウム137の食品基準値を300ベクレル・キログラム(BQ/KG)、同国人があまり食べない食品、例えばトナカイの肉などは、1500BQ/KGと定めた。しかし、この基準の緩和に対して市民の抗議が広がり、政府は情報提供を繰り返すことになった。
ただし同国政府の調査によれば事故直後の86年、市販食品による内部被曝は年間換算で0.1~0.2mSvでしかなかったという。狩りや、野いちご摘みをする人、さらに狩りによるトナカイ肉を多く食べる北方民族のサーメ人には、そうした食品をなるべく食べないように政府が勧告した。
スウェーデンの動きに似た状況が日本では起こっている。日本では福島原発事故直後に年間被曝基準を1mSvから20mSvに引き上げた。これによって市民の間に不安が広がった。4月からは現在500BQ/KG の食品安全基準を100BQ/KGと、厳しい安全基準にする予定だ。ちなみに、日本では食品に置ける内部被曝は福島産の市販の食品を食べても、0.1mSv程度と推定されている。(内閣府の昨年8月調査)
そして同報告書は以下のポイントを一般原則としてまとめている
「現行法や国際的な取り決めに反した対策は行わない」
「急性の深刻な健康被害を防ぐために、あらゆる努力を行う」
「対策は正当性のあるものでなければならない」
「講じる対策は、なるべく良い効果をもたらすように最適化する」
「対策の柔軟性が制約されたり、今後の行動が制約されることはできるだけ避けるべき」
「経済的に費用が高くなりすぎない限り、農作物・畜産物は生産段階で汚染対策を行う」
「一般的に大規模な投資の必要がない汚染対策を実行すべき」
日本に必要なこと-情報の公開、コストと効果の確認
この本は、被曝量を減らそうとする人、そして農業に関わる人には作物の汚染を減らす手引書として役立つだろう。またスウェーデンの経験は、日本が現在、放射能対策で経験している状況とよく似ており、参考になる点が数多くある。
ただしこの報告書は2000年までの知見を集めたものだ。最近の医学的知見、疫学的知見、チェルノブイリの調査報告などによって、「低線量被曝(100mSv以下)では健康被害の可能性がほとんどない」という科学的な認識が定着しつつある。この事実は紹介されず、また取り入れた政策も行われていないことは、同書を読む際に念頭におかなければならない。
この本は政府報告書であるためであろうか、同国の政策において、負担と対策が効果に見合ったかという批判的な評価は掲載されていない。しかし放射能汚染対策で、コストと効果の均衡を取ることが難しいことを示している。
またコミュニケーションの難しさも指摘している。スウェーデンの対策は、チェルノブイリ事故が東西冷戦下に起こった状況を反映して、核戦争に備えた軍の関与が大きく、事前の準備も行政・軍にあった。しかし一般の人に放射能の知識、準備がなく、不安のために市民の情報要求は「底なし」(1章)であり、「解釈が多様になり混乱した」(同)という。
こうした他国の例を参考に、日本は政策をつくるべきであろう。日本における今の放射線量に対する規制が、コストに見合うものになっているかを見極める必要がある。日本では健康被害の可能性がほとんどないにも関わらず、福島県民11万人の自主避難は続いている。さらに食品安全規制も、チェルノブイリで健康被害の観察されなかったスウェーデンの基準よりも厳しい内容で設定されている。これによって東北の農業が悪影響を受ける可能性がある。
さらに日本では中央政府、地方自治体の広報を強化する必要もある。今でも、放射能をめぐる健康被害デマが一部の人々によって流布し続け、社会に不安が残っている。これは政府の事故前、そして事故直後の情報発信が失敗したためだ。「原発は安全」と繰り返し、事故時点の広報を想定しなかった。日本の学会、医学会、自衛隊などの専門家の知識の活用も乏しかった。
政府への信頼が崩壊したにもかかわらず、さらに発表が二転三転、丁寧な説明もしていないため、市民の不信を強めた。スウェーデンの失敗を調べた上で、コミュニケーションを再構築する必要があるはずだ。
(アゴラ編集部)
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1986年のチェルノブイリ原発事故によって放射性物質が北半球に拡散し、北欧のスウェーデンにもそれらが降下して放射能汚染が発生した。同国の土壌の事故直後の汚染状況の推計では、一番汚染された地域で1平方メートル当たり40-70ベクレル程度の汚染だった(図表1)。福島第一原発事故では、福島県の中通り、浜通り地区では、同程度の汚染の場所が多かった(図表2)。
(図表1)スウェーデンにおけるチェルノブイリ原発事故由来のセシウム137の土壌汚染の推計値(「スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか」資料)
http://www.gepr.org/ja/contents/20120319-01/
(図表2)日本における福島第一原発事故由来のセシウム137の土壌汚染の推計値(文部科学省資料)
http://www.gepr.org/ja/contents/20120319-01/
スウェーデンも事故発生直後の1年は、日本と同じように放射能をめぐる社会混乱が起こった。人々に不安が広がり、政府の対策も遅れた。それに対する反省から、政府と民間で適切な対策を考える調査と研究が行われた。
その一つが、同国の防衛研究所、農業庁、スウェーデン農業大学、食品庁、放射線安全庁が1997年から2000年までに行った合同プロジェクト「どのように放射能汚染から食料を守るか」だ。その報告書を合同出版が今年2月に「スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか」というタイトルの書籍にして発売した。福島原発事故に直面した日本に参考になる点が多いために、それを紹介する。
報告書からの教訓1-情報と検査方法
この本は4章、邦訳で172ページになる。構成は以下の通りだ。
「1章:チェルノブイリ原発事故からの警鐘」では、この事故直後のスウェーデンの状況と、そこから得た教訓が示されている。
「チェルノブイリ原発事故によって被災した直後のスウェーデンにおける行政当局の対応は、『情報をめぐる大混乱』として後々まで揶揄されるものでした」と振り返る。そして、迅速な汚染マップの公表、正確な情報を繰り返し提供する必要があると指摘した。
印象的なのは、情報公開をめぐる日本の失敗と同じことがスウェーデンでも起こり、教訓として「してはいけないこと」が導かれていることだ。以下引用する。
「行政当局は、ときに、国民に不安をあたえることを危惧して、情報発信を躊躇する場合があります。しかし、各種の研究報告によれば、通常、情報発信によってパニックの発生を恐れる根拠は無く、むしろ、多くの場合、十分に情報が得られないことが大きな不安を呼び起こすのです。とりわけ、情報の意図的な隠蔽は、行政当局に対する信頼を致命的に低下させかねません」
「行政当局が十分な理由を説明することなく新しい通達を出したり、基準値を変更したりすれば、人々は混乱してしまいます」
また事前の備え、事故直後の汚染マップの迅速な作成、農業と畜産業の長期的な対策が必要とも述べている。
「2章 放射線と放射性下降物」では健康への説明、さらに同国での2000年時点での検査体制の説明が行われている。放射性物質の解説は分かりやすく詳細だ。
また同国の2000年時点の食品検査体制も紹介されている。牧草、葉物野菜、肉などの農作物で、サンプリング検査しか行われない。全量検査などは費用がかかり、それに見合った効果がないと判断されているためという。日本では現在、米などの農作物について、特定地域の全量検査をするかについて、議論になっている。スウェーデンのように「サンプリング検査しかしない」という判断もあり得るだろう。
また報告書発表時点(2000年)時点での、同国での放射能による住民への健康被害はこの報告書の中には記述されていない。
報告書からの教訓2-社会への悪影響の広がり、内部被曝の削減方法
「3章 放射性降下物の影響」では、農作物への影響が記述されている。放射性物質にある地域の土壌や水が汚染された場合に、食物連鎖によって、どのように地域で作られた食物に汚染が広がるかについて、説明している。どのような影響があるかを算出する「移行係数」という推定する考え方も紹介している。
こうした配慮によって、農業においては農作物の生産段階で対応し、食品が放射能に汚染されないようにすることを勧めている。
またチェルノブイリ事故によって、心理的・社会的影響、労働環境への影響、経済的問題が、スウェーデンで複雑な形で発生したことも指摘している。
「4章 食品からの内部被ばくを防ぐ有効な対策」ではスウェーデンにおける食品安全基準、また家庭の食生活で、避ける方法を紹介している。
同国ではそれまで1ミリシーベルト(mSv)の平常時の放射線量の防護基準を採用していたが、事故後の86年に1年間は5ミリシーベルト(mSv)の被曝も容認した。その基準に合わせて、セシウム137の食品基準値を300ベクレル・キログラム(BQ/KG)、同国人があまり食べない食品、例えばトナカイの肉などは、1500BQ/KGと定めた。しかし、この基準の緩和に対して市民の抗議が広がり、政府は情報提供を繰り返すことになった。
ただし同国政府の調査によれば事故直後の86年、市販食品による内部被曝は年間換算で0.1~0.2mSvでしかなかったという。狩りや、野いちご摘みをする人、さらに狩りによるトナカイ肉を多く食べる北方民族のサーメ人には、そうした食品をなるべく食べないように政府が勧告した。
スウェーデンの動きに似た状況が日本では起こっている。日本では福島原発事故直後に年間被曝基準を1mSvから20mSvに引き上げた。これによって市民の間に不安が広がった。4月からは現在500BQ/KG の食品安全基準を100BQ/KGと、厳しい安全基準にする予定だ。ちなみに、日本では食品に置ける内部被曝は福島産の市販の食品を食べても、0.1mSv程度と推定されている。(内閣府の昨年8月調査)
そして同報告書は以下のポイントを一般原則としてまとめている
「現行法や国際的な取り決めに反した対策は行わない」
「急性の深刻な健康被害を防ぐために、あらゆる努力を行う」
「対策は正当性のあるものでなければならない」
「講じる対策は、なるべく良い効果をもたらすように最適化する」
「対策の柔軟性が制約されたり、今後の行動が制約されることはできるだけ避けるべき」
「経済的に費用が高くなりすぎない限り、農作物・畜産物は生産段階で汚染対策を行う」
「一般的に大規模な投資の必要がない汚染対策を実行すべき」
日本に必要なこと-情報の公開、コストと効果の確認
この本は、被曝量を減らそうとする人、そして農業に関わる人には作物の汚染を減らす手引書として役立つだろう。またスウェーデンの経験は、日本が現在、放射能対策で経験している状況とよく似ており、参考になる点が数多くある。
ただしこの報告書は2000年までの知見を集めたものだ。最近の医学的知見、疫学的知見、チェルノブイリの調査報告などによって、「低線量被曝(100mSv以下)では健康被害の可能性がほとんどない」という科学的な認識が定着しつつある。この事実は紹介されず、また取り入れた政策も行われていないことは、同書を読む際に念頭におかなければならない。
この本は政府報告書であるためであろうか、同国の政策において、負担と対策が効果に見合ったかという批判的な評価は掲載されていない。しかし放射能汚染対策で、コストと効果の均衡を取ることが難しいことを示している。
またコミュニケーションの難しさも指摘している。スウェーデンの対策は、チェルノブイリ事故が東西冷戦下に起こった状況を反映して、核戦争に備えた軍の関与が大きく、事前の準備も行政・軍にあった。しかし一般の人に放射能の知識、準備がなく、不安のために市民の情報要求は「底なし」(1章)であり、「解釈が多様になり混乱した」(同)という。
こうした他国の例を参考に、日本は政策をつくるべきであろう。日本における今の放射線量に対する規制が、コストに見合うものになっているかを見極める必要がある。日本では健康被害の可能性がほとんどないにも関わらず、福島県民11万人の自主避難は続いている。さらに食品安全規制も、チェルノブイリで健康被害の観察されなかったスウェーデンの基準よりも厳しい内容で設定されている。これによって東北の農業が悪影響を受ける可能性がある。
さらに日本では中央政府、地方自治体の広報を強化する必要もある。今でも、放射能をめぐる健康被害デマが一部の人々によって流布し続け、社会に不安が残っている。これは政府の事故前、そして事故直後の情報発信が失敗したためだ。「原発は安全」と繰り返し、事故時点の広報を想定しなかった。日本の学会、医学会、自衛隊などの専門家の知識の活用も乏しかった。
政府への信頼が崩壊したにもかかわらず、さらに発表が二転三転、丁寧な説明もしていないため、市民の不信を強めた。スウェーデンの失敗を調べた上で、コミュニケーションを再構築する必要があるはずだ。
(アゴラ編集部)
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