後家兼光・・・
南北朝時代に作られたと言われている日本刀。
伝 長船兼光刀(大磨上げ無銘)。
直江兼続の愛刀であったが、兼続の死後、後家となった兼続の妻(お船の方)が上杉家に献上したことが名の由来。
(大河ドラマ『天地人』お船と直江兼続)
この間の木曜日に夏休みを取り、旧東京音楽学校奏楽堂の木曜日コンサートに行ってきました。
木曜コンサートは午後で・・・
せっかくの夏休みなので、午前中は静嘉堂文庫美術館(通称:静嘉堂@丸の内)に行って、日本刀に関する展覧会を見てきました。
超・日本刀入門 revive
- 鎌倉時代の名刀に学ぶ -
日本刀って不思議なものですよね・・・
人を殺すために作られた武器でありながら、美術品としても愛でられる・・・
確かに、全体的に見て美しいということは分かります・・・
でも、正直 日本刀の観賞ポイントって、いまいち分からなく・・・
この展覧会は、日本刀の観賞ポイントについて、まとめて説明した説明板のほか・・・
展示されている日本刀の前に、鑑賞ポイントが書かれた刀の模式図が展示されてて・・・
日本刀素人の私に、ちょうどよい展覧会でした。
今回展示されていた目玉の一つが・・・
直江兼続の愛刀であった後家兼光です。
現在、静嘉堂文庫美術館が所有してるらしいです。
この刀のエピソードが中々なものです。
もともとは豊臣秀吉が所有してたものですが、秀吉の形見分けとして直江兼続に下賜。
兼続の死後、後家となった兼続の妻 お船の方が上杉家に献上。
その後、米沢藩 上杉家が保有。
幕末の戊辰戦争で、米沢藩は幕府方の奥羽越に加わり、新政府軍に敗北。
姻戚関係にあった土佐藩の山内家のとりなしによって、上杉家は厳罰を回避でき、そのお礼として山内家へ贈られる。
その後、山内家の重臣であった後藤象二郎へ与えられ、娘婿の岩崎弥之助(弥太郎の弟)に渡ったそうです。
静嘉堂は、三菱財閥の岩崎弥之助(第2代総帥)・小弥太(第4代総帥)親子が所有した庭園と遺品の古典籍・古美術コレクションを基礎として発足してるそうですので・・・
この刀の所有が静嘉堂文庫美術館なのは、そういう経緯らしいです。





