【ふ】藤原伊尹(ふじわら の これまさ / これただ) | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

藤原伊尹・・・

924年~972年、平安時代の公卿・歌人。

藤原北家、右大臣の師輔(もろすけ)の長男。

氏の長者として嫡家を継ぐ、天禄2年(971年)に48歳で太政大臣に任じられた。

諡号は謙徳公。

 

 

 

 

 

藤原伊尹は、ちょっと前に記事にした藤原義孝(よしたか)の父親です。

 
その時にも書きましたが・・・

今年の大河ドラマ『光る君へ』を楽しむため、冬嗣から道長までの平安時代の藤原氏の面々が描かれた『大鏡』の現代語訳版を読み直してまして・・・

藤原伊尹について、興味深いエピソードがありましたのでご紹介したいと思います。

 

 

 

この伊尹さん・・・けっこうエゲツない人でして・・・

 

藤原朝成(あさひら;北家勧修寺流)と共に蔵人頭の候補になるのですが・・・

朝成が「今回、殿(伊尹)は蔵人頭に任じられなくても、後々に蔵人頭になれる身分です。私は今回を逃すと、みじめなことになってしまうので、申請しないでいただけませんか。」とお願いしたところ・・・

伊尹は「今回の蔵人頭は私から申請しないようにします」と了承。

 

でも、心変わりしたのか、何の挨拶もなく、伊尹は蔵人頭になってしまったそうです。

そのため、両者の間は険悪になってしまい・・・

何かの時に、朝成は伊尹の家来に無礼な仕打ちをしてしまったそうです。

 

それを耳にした伊尹が憤慨していると朝成は聞き、弁明にために伊尹に訪問するのですが・・・

自分より身分の高い人のところへ訪問した際には、先方から案内がない限り御殿の上に上がれず、屋外に立ってなくてはならず・・・

朝成は6~7月の暑い時期に訪問したのに、夜になっても案内がなかったそうです。

 

朝成は「この殿(伊尹)は、私を焙り殺そうとしてるつもりだ」と思い・・・

帰ろうと思った時に、手にした笏を折ったくらい怒ったようです。

帰った朝成は「一条殿(伊尹)の一族を根絶やしにしてやる。男であろうと女であろうと、満足に暮せないようにしてやる。同情する人間も祟ってやる。」と誓って、亡くなったようです。

 

そのためか分かりませんが・・・

伊尹の家系は若死が多く、伊尹の弟 兼家の子孫が摂関家の嫡流として繁栄する素地になってしまったようです。

 

 

 

 

 

ということで、今回も本人は『光る君へ』に出てないけど、周辺人物が『光る君へ』に出ててるよ・・・列伝です。

 

 

 

ちなみに、伊尹の甥が道長・・・

 

伊尹の孫が、行成です。