藤原義孝・・・
954年~974年、平安時代の公家・歌人。
藤原北家、摂政・太政大臣の伊尹(これまさ、これただ)の三男(四男との説もある)。
天禄2年(971年)右近少将になる。
中古三十六歌仙の一人。
今年の大河ドラマ『光る君へ』を楽しむため、『大鏡』の現代語訳版を少しずつ読み直してます。
紀伝体の歴史文学作品で、第55代 文徳天皇~第69代 後一条天皇の176年間を取り扱っており、同時代の藤原氏の面々のことが、いろいろと書かれています。
最近読んだパートで、藤原義孝という人物のエピソードが興味深かったので、ここで紹介したいと思います。
なお、『光る君へ』の時代にも生きていたと思いますが、劇中には出ていないようです。
義孝は、一条の摂政殿と言われた伊尹(これまさ、これただ)の三男もしくは四男で、同母兄に挙賢(たかかた)がいます。
兄の挙賢が天禄元年(970年)に左近少将となり、翌年の天禄2年に義孝が右近少将となり、それぞれ前少将(挙賢)・後少将(義孝)と呼ばれたそうです。
ちなみに、そんな二人・・・
天延2年(974年)に、流行していた皰瘡のため同日に亡くなったそうで、朝に挙賢が亡くなり、夕方に義孝が亡くなったそうです。
なお、義孝は亡くなる前に、息を引き取っても『法華経』を誦読するために暫く生き長らえるので、通例の葬儀の作法で死者扱いしないように母親に依頼したそうです。
ただ、前後不覚に悲しんでいた母親は通例のしきたり通りにやってしまい・・・
その後、義孝は母親の夢枕に立って、「約束を忘れるとは残念です」といった内容の歌を詠んだそうです。
その一方・・・
賀縁阿闍梨という僧の夢の中に、挙賢・義孝の二人が現れたそうですが・・・
挙賢は物思いに沈んでいるのに、義孝はたいへん愉快そうな様子だったようです。
その理由を問うと、「現世で時雨の時期でしょうが、浄土では花が時雨のようであり、私は幸せです」といったようなニュアンスの歌を詠んでおり・・・
また、親しかった実資(さねすけ)の夢の中にも出てきて、極楽世界で楽しんでいることを伝えたそうです。
あの世でけっこうエンジョイしているようにも思えますが・・・
信仰心の篤い人物だったようで、それであの世で良い境遇にあっているのかもしれません。
<オマケ>
藤原義孝自身は『光る君へ』に出てませんが・・・
その祖父は、藤原北家九条流の祖・・・師輔(もろすけ)。
その師輔の孫が道長なので、孫同士だったりします。
また、挙賢・義孝の同母弟に義懐(よしちか)がいますが、こちらは『光る君へ』に出てます。
それに加え、義孝の長男・行成(ゆきなり)も出演中。