【ほ】法然(ほうねん) | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

公辞苑(ハムじえん)【第二版】

吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

法然・・・

平安末期から鎌倉初期の僧、浄土宗の開祖。

諱号は源空、法然は房号である。

美作国久米南条稲岡荘に、押領司 漆間時国の子として生まれる。

13歳の時に比叡山に上がる。

善導の『観無量寿経疏』(観経疏)の一文に触れ、43歳の時に専修念仏を奉ずる立場に進んで新たな宗派を開こうと考え、比叡山を下りてた。

のちに、この独自の宗教的立場は「浄土宗」と名付けられた。

(『法然上人行状絵図』より)

 

 

 

 

 

 

ちょっと前に、平日にお休みを頂き、上野に行ってきました。

お目当ては、東京国立博物館のコチラ・・・

 

 

 

特別展 法然と極楽浄土

 

浄土宗と法然について取り扱った特別展です。

 

 

 

阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏する・・・

阿弥陀仏の願に基づいて、念仏によってその浄土に往生しようと願う・・・

それが浄土思想で・・・浄土宗はその浄土思想に基づく宗派の一つです。

 

よくコントなどでお坊さんがお経を読むときに使われる「なんまいだ~」は、正確には「南無阿弥陀仏」であり、「阿弥陀仏に帰依する」という意味のお称え・・・

我々がよく使う「他力本願」、これも阿弥陀仏の本願に頼って成仏すること 指し・・・

実際に浄土思想に傾倒してるわけではなくとも、日本人は浄土思想に関する言葉をよく使っていますね。

 

 

 

 

さて、こちらの特別展の内容については、こちらをご参照に・・・

 

 

 

展示物の中で、個人的に印象深いものは・・・

 

 

まずは、愛知県の西光寺の「一行一筆結縁経」です。

西光寺の地蔵菩薩像の胎内に納入されていたもので、「無量義経」と「観普賢経」を写経したものですが・・・

一行一行を別な人物が写経し、行の最後にその人物の名が書かれたものでした。

その中には、源空(法然の諱号)の名もありました。

不思議なお経です。

 

 

あとは、鎌倉武士の熊谷直実の自筆の書です。

熊谷直実は、一ノ谷の戦いで、我が子と同年代の少年武将 平敦盛を討ったことが心に残り、その後に法然の弟子となった人物です。

 

 

また、徳川家康が晩年に日課として書いていた「南無阿弥陀仏」の文字!文字!文字!

家康も浄土宗の信者であり、徳川家の菩提寺 増上寺は浄土宗です。

 

 

歴史的な資料がいろいろ見ることができたのが印象的ですね。

 

 

 

 

 

会場の最後には、高松市の法然寺というお寺の仏像群が設置されており、ここのみ撮影OKです。

法然寺は、讃岐に流された法然が立ち寄ったところに建てられた寺を江戸時代の高松藩初代藩主 松平頼重(徳川光圀の兄)を「法然寺」と改名し、移転・建立したお寺で、高松松平家の菩提寺らしいです。

 

この仏像群は、釈迦入滅の場面を表しており、涅槃像とも言えます。

お寺では77体の像で構成しているそうですが、そのうちの26体がこの特別展で展示されています。

 

お釈迦様が亡くなれれたので、周りのお弟子さんや人々は泣きまくりです。

(お釈迦様の像がないと、酒飲んでくだ巻いてる人と飲みすぎでふて寝してる人に見えますが・・・)

 

この方々も泣いてるのだと思います・・・怒ってるわけではないと思います。

 

動物たちも泣いています。

 

でも、猫だけ・・・目線が・・・

 

 

でも、猫が変なとこを見ているのは、きちんと訳があるようです。

実際に涅槃図で描かれる猫も、沙羅の樹を登るネズミを狙っていることが多いようです。

釈迦入滅直前に猫がしでかした事を描いているようですが・・・

猫のしでかした事はコチラをご参照にされてください。