征夷大将軍・・・
古代、蝦夷を鎮撫するために派遣される遠征軍の指揮官。
令外の官であり、征夷将軍とも。
鎌倉時代以後、幕府の首長、武家政権の最高権力者。
鎌倉幕府を開いた源頼朝以後、室町幕府の足利氏、江戸幕府の徳川氏と引き継がれ、俗に「将軍」と呼ばれた。
慶応3年(1867年)の王政復古によって廃止されるまで続いた。
(時代劇『吉宗評判記 暴れん坊将軍』)
前回の続きです。
征夷大将軍は源氏出身者が就任されるものと思ってましたが・・・
約150年続いた鎌倉幕府のうち、源氏将軍であったのは三代 通算で30年にも満たず・・・その後は摂家将軍二代・・・更にその後に親王将軍四代と続いてます。
親王将軍は四代で、82年になるそうです。
そんなこともあり・・・
鎌倉幕府が倒れた後に、後醍醐天皇が征夷大将軍に任命したのは、その皇子の護良親王(大塔宮)・・・親王将軍です。
鎌倉幕府の後半が親王将軍四代82年だったわけですから、自然な成り行きとも考えられるそうです。
(護良親王:大河ドラマ『太平記』より)
これに対抗し、足利尊氏が源氏として征夷大将軍になろうとしたことの方がイレギュラーとも考えられるそうです。
鎌倉幕府の三代の源氏将軍のブランドとしての価値がそれなりにあったものの・・・
足利氏が武家の棟梁としての権威を確立するため、源氏将軍のブランドをアピールすることに力を入れたとも考えられるようです。
(足利直義、足利尊氏、高師直:大河ドラマ『太平記』より)
なお、足利幕府は足利将軍・・・源氏将軍が十五代続いたので、ここで 征夷大将軍=源氏 が完全に定着したかと言いますと、そうとも言いきれず・・・
天下をほぼ手中にした織田信長が朝廷の官職に就いてない時期に、朝廷より征夷大将軍・太政大臣・関白のうちどれかに任官するよう提案がなされた(信長側から提案されたとの説もあり)ということがあります。
織田氏は平氏出身であることを称してましたので、それに征夷大将軍が提案されたわけですから、平氏将軍の可能性もあったわけです。
(織田信長:大河ドラマ『信長 KING OF ZIPANGU』より)
実際には、足利幕府だけではなく、その後の徳川幕府も含めた両幕府の存在によって 征夷大将軍=源氏 の観念が確立されたと考えられるようです。
(徳川家康:大河ドラマ『青天を衝け』より)